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星と月と太陽  作者: 水無月
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激昂

 月也のヒントで扉以外の入り口を思いだした星良は、急いで旧体育倉庫の側面から裏まで回った。地を蹴り、さらに屈んだ月也の背を足場にしてジャンプし、旧体育倉庫の屋根に手をかけようとする。


 が、明り取りの小窓があるのは三角形になっている屋根の頂点の近く。ぎりぎり屋根の頂点に指先が引っかかったが、体重を支えきれずに落ちてしまう。焦りは募るが、一度深呼吸をし、集中力を取り戻して挑んだ二度目の跳躍で、今度はしっかりと屋根に手がかかった。


 足を壁につけ、膝を曲げる星良。その足で思いきり壁を蹴って勢いをつけ、小窓を蹴破った。ガシャンと甲高い音と共に厚めのガラスの多くが室内に落ちる。まだ窓枠に少しガラスが残っていたが、それを綺麗に取り払う時間も惜しかった。


 星良はもう一度壁を蹴り勢いをつけ、自分の身体がぎりぎり通る窓枠の中にするりと身体を滑り込ませた。足に走った痛みも、気にならなかった。


 薄暗い室内の中で目にしたのは、三人の男に組み敷かれたひかりの姿。制服の前が開かれている。星良は全身の血が沸騰した気がした。


「ひかりから離れろぉぉ‼︎」


 星良の怒号に男たちはびくりと身を竦めるが、ひかりから離れはしなかった。唇を僅かに動かしてぽろぽろと涙を流しはじめたひかりを押さえたまま、ぼう然としたように同じ体勢のまま星良を見ている。


 その手に、ひかりに向けられた携帯電話があることに気づいた星良は、タンッと床を蹴った。数メートルの距離を一気につめ、男が避ける間もない早さで握られた携帯電話だけを蹴り飛ばす。携帯電話はノーバウンドでコンクリートの壁に叩きつけられ、その勢いで数メートル先に落下した。液晶画面は粉々だった。


「ひかりから離れろって言ってるの、聞こえない?」


 すぐ隣で見下ろされながら低い声でそう言われ、男たちはようやく我に返ったようにひかりの上から逃げ出した。足をもつれさせながらひかりから遠ざかった男たちを一瞥してから、星良はひかりを見つめた。反射的に乱された制服の前をかき合わせたひかりの隣に跪くと、自分のブレザーを脱いでかけ、ひかりの手をとり、背中に手を回し、そっと起き上がらせた。


「せい、ら、ちゃ……」


 緊張の糸が切れたのか、涙でぐしゃぐしゃになり、しゃくりあげながら自分の名を呼ぶひかりを、星良はぎゅっと抱きしめる。


「ごめん、ひかり。怖い思いさせて」


 腹の底から沸き上がり続ける怒りを抑え込みながら、星良は抱きしめたひかりを安心させるように髪を撫でる。その時だった。


「お、俺たちは、お、お前の復讐を代わりに……」


 星良の背中に怒りを見たのか、背後から男たちが僅かに震える声で、精一杯強がるようにいい訳をする。が、肩越しに星良にギロリと睨まれ、言葉と共に息まで止まる。


「あたしが、何だって?」


 ひかりの肩に手を置いてから星良はゆっくりと立ち上がり、男たちに向き直る。


「あんたたちの行為が、誰のせいだって?」


 低く暗い声を出しながら、星良はゆっくりと男たちに歩み寄る。全身から迸る威圧的なオーラに気圧されたのか、男たちは今にも腰を抜かしそうだった。膝が震え、逃げることもできずにいる。


「ふざけるなっ! 友達をこんな目に合わせたい人間が、どこにいるっ‼︎」


 倉庫の中の空気が震えるほどの怒号と共に、星良は近くにあったベニヤ板の看板を補強の木材ごと拳で叩き割る。割れた木材が星良の拳に傷をつけ、一滴の赤い液体が床に落ちたが、星良は気に留めた様子もない。


「お、俺、たち、は、た、ただ……」


 カタカタという音が震える自分たちの奥歯が奏でる音だと気づくこともできず、男たちはいい訳を続けようとする。が、いつもはするりと出てくるウソが何も思い浮かばない。星良の射るような眼差しに、思考も身体も動きを止められている。


「ひかりが受けた痛み……あんたたちにもわからせてあげる」


 星良の宣告に、男たちはゴクリと息を飲むしかできない。蛇に睨まれたカエルのように、勝てないとわかっていても逃げることすらできない。


 そんな男たちに、扉の外から声がかけられた。


「さっさと扉開けてくれませんかねー?」


 ぴりぴりとした旧体育倉庫の中の空気とは全く違った軽い口調に、男たちの動きを止めていた呪縛がとかれる。だが、続いた内容は軽い物ではなかった。


「星良さんを人殺しにはしたくないんだけど。今、手加減できないだろうからさー」


「っ……」


 月也の言葉に、男たちの脳裏に星良に対する様々な噂が浮かんだ。


 その蹴りや拳は骨を砕く。たった一人でいくつもの不良グループを壊滅した。裏家業の人間ですら土下座する……。


 大げさに語られているだけだと思っていたが、凍るような眼差しの星良を前にすると、大げさとも思えない。ベニヤ板だけならともかく、数センチの厚みがある木材ごと叩き割った拳で急所を殴られたら、携帯電話を吹っ飛ばしたあの蹴りを頭にくらったら、本当に命すら危ういかもしれない。


「うわぁあぁあぁぁ!」


 恐怖を少しでも軽くしようと叫び、足をもつれさせながらも扉に向かう三人。焦りのあまり、扉に立てかけたパイプがなかなか外れない。早くしろと互いに罵倒し合いながらようやく両方のパイプを外し、ガタガタと扉を左右に開き、我先にと外へ出ようとする。


 薄暗い部屋に差し込む、西日。扉の向こうの眩しい光の中にある人影を、気にする余裕もなかった。


 が……。


「っ……⁉︎」


 何が起こったのかわからぬまま、景色がぐるりと一回転し、背中に衝撃が走る。肺の中の空気が強引に排出され、一瞬息が止まる。


 数秒の間に、三人に同じことが起こった。


 数瞬後、失われた酸素を求めるように、地面に転がったままげほげほと咳き込む男たち。その中の一人の上に、ふっと影が落ちた。


 涙目になりながらその影を見上げると、綺麗な顔立ちと、その中に全てが凍り付くような冷たい瞳があった。


 恐怖に飲み込まれるように息を吸った男の目の前で、その彼の足が大きく振り上げられた。それが、男の顔面めがけて手加減なく振り下ろされる。


「ヒッ……」


 悲鳴にも鳴らない声を漏らした男の耳に、ダンッと大きな音が鳴り響いた。振り上げられた足は、男の耳の僅か数ミリ横に着地している。少しでも動いていたら、自分の顔がどうなっていたか考えるだけで恐ろしい勢いだった。それなのに彼、太陽の顔は冷たい表情のまま一ミリも動いていない。


「久遠さんが与えられた恐怖は、こんなもんじゃない」


 一年生で……いや、学校で一番の好青年と名高い太陽を男たちも知っている。腹が立つほど爽やかで、誰に対してもうさんくさいほど優しく、欠点を見つけようにも見つけられないほど何でもできる男。穏やかな表情や笑顔の印象しかない男。そんな太陽が、体温を感じさせないような冷酷な表情を浮かべるなど思ってもみなかった。男の奥歯が、再びカタカタと音を鳴らす。


 そんな男の耳は、くくっという場違いな笑い声をひろった。動くこともできぬまま、眼球だけでその音源の方を見ようとすると、チェックの制服のズボンが近づいてきた。頭の上の方に立って男をのぞき込んだのは、メガネをかけた一年生。メガネの奥の瞳を三日月型に細めて口を開く。


「太陽が優しくて良かったですねー、先輩。これでも手加減してくれてますよ?」


「月也……」


 親友のゆるい口調に、力が抜けたように名を呼ぶ太陽。月也は太陽の肩をぽんっと叩き、男の上から太陽をどけ、自分は男の横にしゃがみこんだ。そして、男の耳に口を寄せる。


「僕は手加減しない。精神的に追い詰められるの、楽しみにしてて」


「なっ……」


 笑いを含んだささやき声に男は短い声をあげるが、月也はにっこりと笑むだけ。その微笑みが逆に男に恐怖を与える。


「とりあえずー、無駄な体力有り余ってるからこんなことするわけだからー、神崎道場更正スペシャルプログラムでもやってもらいましょうかねー」


 地面に転がったままの男三人に、笑顔で伝える月也。男たちは理解不能ながらも怯えた表情になり、太陽は押さえきれない怒りを鎮めようと大きく息を吐いた。


「それだけでいいのか?」


「あとは久遠次第だよ。騒ぎを大きくしない方がいい場合もある」


 言って、太陽と月也は旧体育倉庫の中に視線を向けた。星良が、まだ涙の止まらないひかりを優しく抱きしめている。


「太陽も行ってあげたら? こいつらは僕に任せてさ」


「……もう少し、待つよ」


 今は男の自分より、星良の方がひかりの心を落ち着けるだろう。二人の邪魔をしてはいけないようにも見えた。


 沸き上がる様々な思いを拳を握ることで押さえ込み、太陽は再び男たちを睨む。


「あんたたちの処断は、久遠さんが落ち着いてから決める。でも、このまま解放するのは気がすまない。月也の言うとおり、更正プログラムを受けてもらおうか」


「な、なんだよ、それ……」


 ようやく言葉を発するほどに回復した男の問いに、月也が笑顔で答える。


「健全な精神は健全な肉体に宿るってコンセプトなんだけどね。まー要するに、悪いこと考える余裕もないほど、きっちりみっちり稽古をつけてくれるってこと。あ、安心していいよ。身体壊さないようにちゃんと人に合わせて内容変えてくれるし、休憩もとってくれるから。飴と鞭の使い分けは抜群だよー。まー、精神的には死んだ方がマシってくらいきつい稽古だけどね」


「…………」


 冷たく見下ろす太陽と、笑顔の裏に不気味さを感じる月也に、嫌だとは言えない男たち。逃げ道を見つけたいが、油断のかけらも見えない太陽から逃げられるとは思えなかった。


「あ、ちなみに、もうお迎えは呼んであるから」


「え、いつ?」


 あまりの手際の良さに、太陽が驚きの問いを向けた。月也は唇の片端をあげる。


「ここに向かう途中。女子に不届きな行為をしてる輩がいるから、お迎えよろしくって電話しといた。シゲさん辺りがやる気満々で来るんじゃないかな?」


「それは、ご愁傷様」


 太陽にかけられた言葉に、男たちに怯えが募る。月也はだめ押しするかのように、男たちに微笑みを向けた。


「ちなみに星良さんにまつわる噂に『裏家業の人間が土下座する』ってのがあるけど、実際は星良さんじゃなくて、師匠とかシゲさんとか、うちの師範たちに土下座するんだよ。そんな師範たちの稽古、楽しみにしてて」


「…………」


 先ほどの恐ろしい星良を思い浮かべ、それ以上の人間に引き渡されることに、男たちは絶望しそうになる。自分たちは、手を出してはいけない相手に手を出そうとしたのだと後悔しても、時既に遅し。


 いい訳をする余裕もないままに、彼らは罰の手始めに人生史上一番辛い時間を過ごすこととなったのだった。

 

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