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星と月と太陽  作者: 水無月
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理屈じゃない

 月也が星良の異変に気づいたのは、教室に戻ってすぐだった。


 まず、屋上の鍵がカバンのポケットにそっと差し込まれているのを見つけた。通常なら、手渡しで返すはずだ。それに、午後の授業が始まるまでまだ少し時間があるにもかかわらず、一度教室に帰ってきたはずの星良の姿が見えない。笑美や千歳は戻っているのにだ。訝しく思っていると、星良はチャイムと同時に教室に戻ると月也の方に一度も視線を向けずに自分の席についた。


 これは変なスイッチが入ったな、と、月也は思った。


 休み時間に入っても星良は視線を合わせようとしないが、月也をものすごく意識をしているのがわかる。月也の一挙手一投足を気配で感じ取り、それに合わせ、何気ない風を装って距離をとるのだ。


 ようするに、全力で避けられている。


 太陽がひかりに同じようなことをしていた時期もあるが、星良のそれは比べものにならない。ひかりのように遠慮がちに接しようとするという選択は、月也にはない。避けられようが、それに負けじとそばに行って話しかけようとしたのだが、その距離はまったく詰めることができなかった。携帯電話もしっかりと電源ごと切られ、声をかけようと息を吸った瞬間には教室から姿を消している。


 気配を察する能力と運動神経が普通の人間とは違いすぎて、時代が時代ならさぞや優秀な忍びになっただろうと、月也は溜息と共に考える。


「太陽、昼休みに星良さんと会ったりした?」


 ホームルームが終わると同時に瞬間移動のように姿を消した星良と帰ることを諦め、太陽と神崎道場に向かうことにした月也が尋ねると、太陽は小首を傾げた。


「昼休みは、月也と一緒だったんだろ?」


「そうなんだけどねぇ」


 含みのある返答に、太陽の眉間が軽く寄せられる。


「何かあった?」


「僕まで避けられてる」


「……何かした?」


 疑わしげな太陽の眼差しに、月也は半眼で見かえす。


「避けられるような心当たりあったら、太陽に聞かないよ。それに、照れて逃げられるようなことは、星良さんの心の余裕がもう少しなきゃしないし」


「余裕があったらするのか……」


 複雑な表情を浮かべる太陽に、月也は意味ありげな笑みを浮かべる。


「するよ。太陽とは違って、そういう意味も含めて好きなんだから」


「…………」


 返す言葉が見つからないらしい太陽。娘に彼氏ができた父親は、こんな顔をするものかもしれないと、月也は微苦笑を浮かべた。


「久遠にも会ってないよね?」


 黙って悩ましげな表情で歩く太陽に念のために尋ねると、太陽は寂しげな表情に変化した。


「うん。今日も星良から連絡もらえなかったって言ってたし」


 太陽とひかりは、今までと同じ友達として接している。互いに避けるのもおかしいし、だからといって星良のことを考えると恋人同士の気分にもなれない。仲の良いクラスメイトとしているのが、今は一番落ち着く距離だ。


 ひかりは、星良からの連絡を待ち続けている。すぐに元の関係に戻れないことはわかっているようだが、メッセージや電話が着信するたびに、緊張と期待をはらんだ眼差しで携帯電話を確認し、少し寂しそうな顔をしている。そんなひかりを見つめている太陽も切ない。自分のせいだとわかっていても、太陽にはどうすることもできない。星良とひかりとの関係に何か口を出したりアクションを起こせば、おそらく余計感情がこじれるだろうからだ。ただ見守るしかできない。


「だよねぇ」


 一応聞いてみたものの、予想通りの答えに、月也は嘆息混じりに答えた。二人に関係がないと確定すると、残りの選択肢は二つだけだ。星良が自ら陥った考えなのか、かおるが何かを言ったのか……。


 道場についても姿を見せず、翌日も授業中以外は姿を見ることさえ難しいレベルで避けられた末、月也は後者が正解だと予測をつけた。



 昼休み、かおるのいる教室に向かうと、すれ違う男子生徒たちから軽く睨まれる。『月也がかおるに振られた』ということになっているはずだが、それでも、かおるとつきあっていたという事実は、今もなお多くの男子の妬みや僻みのもとになるのだろう。煩わしい視線だとは思うが、かおると付き合う時点でそれは覚悟の上だったので、月也はあまり気にしていなかった。


 月也が教室の前にたどり着く前に、数人の友人と共にかおるが廊下を歩いてくる。足を止めた月也に気づくと、かおるの顔から笑顔が消えた。それは、別れた恋人と顔を合わせたくないという表情と少し違う。


「かおるさん、少しいい?」


 別れの本当の理由を知らないのか、かおるの友人たちは月也に『諦められていない可哀想な男』に向けるような哀れみとも侮蔑ともつかないような眼差しを向け、かおるの様子をうかがうようにその横顔をのぞき見た。


 かおるはふっくらとした唇を一瞬噛んだ後、余裕のある笑みをその顔に貼り付ける。


「いいわよ」


 友人たちに断りを入れ、かおるは特に何も尋ねずまま、場所を変える月也の隣を静かに歩いた。


 互いにどこと決めなくとも、自然と足は屋上に向かう。月也が扉を開け、かおるが先に外に出る。ゆるく巻いた髪が風になびくのを手で押さえながら、かおるは屋上の端まで歩いて行き、少し景色を眺めてからフェンスに寄りかかるように月也を振り返った。


「あの子が泣きついてきたの?」


 顔のパーツは笑顔を浮かべているが、目は笑っていないかおる。自分が星良に与えたダメージを自覚しているらしい。


 月也はかおるから少し離れた位置に立ち、微苦笑を浮かべた。


「まさか。全力で避けられてるだけで、星良さんには何も言われてないよ」


「そう……」


 短く答えた後、かおるは長いまつげを伏せ、そのまま黙る。月也はそんなかおるを優しく見つめながら、口を開く。


「かおるさん、責めるなら僕を責めてよ」


 決して責めてはいない穏やかな口調に、かおるはちらりと視線をあげて月也を見つめる。が、すぐに再び目を伏せた。


「そうやって……あの子をかばうのね」


「かばうというか、星良さんは何もしてないからね。僕が一方的に好きなだけで」


 月也の言葉に、かおるは唇を噛み、拳をぎゅっと握った。痛みを堪えるようなかおるの表情を、月也は真っ直ぐに見つめる。


「かおるさんを傷つけたのは、僕であって星良さんじゃない。一番好きな人がいながらかおるさんと付き合って、傷ついたその人の傍にいたいからかおるさんと別れた僕が、どう考えても悪い。平手打ちじゃ足りなかったなら、かおるさんの気が済むように、僕は何されてもかまわないよ。嫌われて、憎まれて当然だと思う。その気持ちは全部僕がひきうける。だから、星良さんはそっとしておいて……」


「やめてっ」


 我慢できないというように、かおるが月也の言葉を遮った。かおるのプライドが許さないのか、涙は浮かべていない。だがその瞳はひどく傷つけられた人のものだ。


「これ以上、月也の口からあの子をかばう言葉なんて聞きたくない」


「かおるさん……」


 少し離れた場所で困ったようにかおるを見つめる月也の傍に、かおるは歩み寄っていった。動かずに待っていた月也の胸に、かおるは自分の頬を寄せる。


「私は、確かに傷ついたよ。月也に自分を選んでもらえなくて。好きだから、傷ついたんだよ? だけど、好きな人に幸せになって欲しいから、諦めたの。それなのに、あの子は月也の気持ちなんて考えてない。傷ついた自分と、自分の好きな人のことしか見えてない。月也がどんな思いでいるかなんて、わかってない。それが悔しいの。許せないの。月也を一番に想えない人に、月也を利用してる人に、奪われたことが耐えられないの」


 かおるはゆっくりと、月也の首に自分の腕をまわす。柔らかな身体を月也に押しつけるように抱きつき、背伸びをして月也の耳元に唇を近づける。


「私じゃダメなの? あの子よりずっと、月也のこと大事にするよ」


 囁くようにそう言って、かおるは間近で月也を見つめた。眼鏡の奥の月也の瞳を綺麗だと思いながら、徐々に目を伏せて唇を近づける。だが月也は、今までのように唇で答えてくれることはなく、かおるの唇は月也の長い指で止められてしまった。


「ゴメンね、かおるさん」


 首に回されたかおるの手をそっとほどきながら、月也は言った。


「星良さんじゃなきゃ、ダメなんだ」


 かおるはぎゅっと奥歯を噛んだ。胸が痛みを超えて、熱い。


「どうして? あの子のどこがそんなにいいの?」


 少なくとも見た目は星良よりもいい女だという自負がかおるにはある。どんな性格かは噂でしか知らないが、誰からも好かれるほどいい人だとは聞かない。他の男を好きな星良と、自分を愛しているかおるとで、月也がどうして星良を選ぶのかが納得がいかない。


「理屈じゃないんだよ」


 困ったように月也は言った。


「見た目のタイプとか、理想の女性像でいったら、かおるさんを選ぶよ。綺麗だし、知的だし、常識もあって、女性らしさも強さもある。それに比べたら、星良さんは猛獣というか珍獣というか、素直さと運動神経だけが取り柄の、ただの不器用な人だからね。99.9パーセントの男はかおるさんを選ぶよ」


 星良が聞いたら怒りそうなことをさらりと言うが、星良を語る月也の表情は柔らかい。その愛情あふれる表情が、かおるの胸に刃となって突き刺さる。


「でも、0.01パーセントの月也は、あの子を選ぶのね」


 答えの代わりに、月也は微笑んだ。


「星良さんに出会ったときから、僕はずっと星良さんに惹かれてるんだ。この地球(ほし)の周りから月が決して離れないように、僕も星良さんの傍から離れられない。その理由を言葉で表現するのは、無理かな。僕にももうよくわからないから」


「それは……どんなに私が頑張っても、無理って意味だよね」


「……うん」


 目の前でうつむいたかおるの柔らかな髪を、月也はそっと撫でた。


「それに、かおるさんは僕のことかいかぶりすぎだよ。そんなに想ってくれるほど、いい人間じゃない。そんなにピュアじゃないよ」


 動かないかおるに、月也は微苦笑を浮かべながら言葉を続ける。


「よく考えてみてよ、かおるさん。一番好きな人を諦めるために、他の人と付き合うのがまず相手に失礼だよね。挙げ句の果てに、一番好きな人が失恋したのをいいことに、その心の隙を狙うため、彼女と別れたんだよ。最低でしょ?」


 先ほどと同じことを、かおるに言い聞かせるようにゆっくりと語る月也。だが、かおるはうつむいたまま何も反応しない。月也は聞こえぬように小さな溜息を漏らしてから、再び口を開く。


「それに、星良さんにだって利用されてるんじゃない。僕が、星良さんの失恋の傷を利用してるんだ。弱ってるところを優しくしたら、痛みで麻痺した心は僕を頼って、そのまま好きだと思い込んでくれるかもしれないって。自分の身を犠牲にして尽くしてるんじゃない。狡賢く勝算を計算して動いてるんだよ、僕は」



――だから、僕を嫌いになって。好きなまま、苦しまないで。そのほうが、かおるさんは楽になれるでしょ?



 最後は不敵な声で演じた月也だが、かおるには言葉にしなかった月也の想いが聞こえた気がした。


 わかってないな、と思う。


 月也が本当に最低な人間だったとしても、もうかおるにとっては他には変えられない大事な人なのだ。自らをけなしたところで、嫌いになれるわけではない。


 でも……。


 かおるは華奢な手をぎゅっと握りしめた。唇を固く結んだまま、意を決して顔を上げ、月也を睨む。


「ホント、最低ね」


 言って、月也の頬を思い切り殴った。平手ではないグーのパンチは予想外だったのか、殴られた頬を抑え、月也は眼鏡がずれたままかおるを見つめている。


 かおるは、笑ってみせた。


「こんないい女を利用したあげくに捨てるなんて、本当に最低だし、大バカね」


「……うん。僕もそう思う」


 月也は眼鏡を直し、微笑みながらそう答えた。


「私はもっといい女になってみせる。後悔しても、遅いんだから」


「……うん」


「じゃあね。もう、月也にもあの子にも、関わらないから」


 そう言い捨てて、かおるは月也の横を通り過ぎて屋上の扉に向かって歩いて行った。月也の「ありがとう」という言葉が聞こえた気がしたが、振り返らなかった。


 きっと、月也はわかっている。かおるが無理をしていることを。でも、これ以上情けない姿を月也に見せたくなかったことを。


 再び想いをぶつけたのは、月也と同じ理由だ。好きな人が他の人を好きだという事実をつきつけられ、弱っているところを攻めたら、また振り向いてくれるかと少し期待したから。その人を忘れるためでもいいから、もう一度自分を選んで欲しかった。


 でも、月也の想いはそんな弱いものではなかった。それを確信したら、これ以上すがるのはみっともなくて迷惑なだけだ。


 好きな人の前で、そんなかっこ悪い女として終わりたくなかった。だから、自分から切り捨てる演技をした。その方が、月也の気持ちも楽になるから……。


「幸せにならなきゃ、許さないんだから」


 屋上の扉を閉め、かおるはひとり呟く。そして、月也以上に幸せになってやると決意して、階段を下りていった。



 屋上に取り残された月也は、大きく息を吐いた。

 かおるの消えたドアを見つめ、微苦笑を浮かべる。

「ほんとに、バカだよなぁ」

 強がってくれたかおるを愛おしく思いながら、そう呟く。

 星良と出会っていなければ、かおると別れることなど考えることはなかっただろう。それほどにいい女だとは思っている。振られたとしても、振ることはなかったはずだ。冷静な男性目線で考えたら、星良の為にかおると別れるなど、愚の骨頂かもしれないと思う。

 でも、月也は星良を選んだ。それを後悔することは、この先一度もないだろう。

 明確な理由などなくとも、月也にとって星良が一番大切だという気持ちは揺らぐことはない。

「さてと、どう捕獲するかなぁ」

 その場に座り、かおるに殴られた頬をさすりながら月也は思案を開始する。もはやツチノコレベルの捕獲の難しさとなった星良と話をするために。

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