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星と月と太陽  作者: 水無月
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素直に

  帰りのホームルームが終わると同時に、星良は一人、急いで神崎家に帰った。太陽には稽古が終わってから話がしたいと伝えてある。


 部屋について、制服からグレーのパーカー付きスウェット上下の部屋着に着替える星良。


 太陽が稽古の手伝いをしている子供の部が終わるまで、約一時間半の時間がある。学校では聞きたくもないひかりの悪口などが耳に入り、考えるのはひかりの事が多かった。太陽を想うと泣きそうな気がしたのもある。だから、一人きりの静かな空間にきてようやく、星良は太陽のことを考えることができた。


 あっという間の一時間半だった。窓の外から聞こえる子供たちの声で、稽古が終わったと気づく星良。気持ちを落ち着けるように大きく深呼吸をしてから、星良は部屋を出て階段を下りた。緊張で早まる鼓動を落ち着かせようと胸に手を当てていた星良は、廊下を右に曲がろうとして、見慣れた背中が既に縁側に座っているのが見えた。星良の足が止まる。


 胴着姿のままの太陽は、ごくごくと喉を鳴らしながらペットボトルに入ったスポーツ飲料を飲んでいた。空になったペットボトルを右側に置き、ふぅっと息を吐く太陽。額から頬にかけて流れ落ちた汗を道着の袖で拭うと、星良に気づいたのか、左後ろを振り返った。緊張で身を竦めた星良に、太陽は柔らかく笑んだ。


「これ、月也から差し入れ」


 太陽がひょいっと投げた物を、星良は反射的に受け取った。まだほんのりと冷たいそれは、パックの『いちごミルク』だ。


「何故、いちごミルク……」


 淡いピンクの背景に、可愛らしい真っ赤な苺と昔懐かしい牛乳瓶が描かれているパッケージを見つめながら思わず突っ込むと、太陽が穏やかな声で答える。


「甘い物とった方が気持ちが落ち着くからって。月也のオススメらしいよ」


「ふーん」


 短く答えながら、星良はパックの背面についたストローを取り出し、パックにさすと口にくわえた。チュウッと吸うと、ほんのりと苺の香りがする甘いミルクが口の中に広がった。ほどよい甘みが、緊張をほぐしてくれた気がしなくもない。


 優しく見つめている太陽の隣に歩いて行くと、星良は静かに腰をおろした。


 さわさわと、色づきはじめた庭の紅葉が風に揺られて静かな音楽を奏でる。いつもは気にも留めないそんな音が心に留まるほど、静かな時間。


 どう切り出していいのかわからず黙っていた星良の代わりに、その静寂を破ったのは太陽だった。


「ゴメン、星良。一昨日のこと、ちゃんと話さなくて」


 ドクンと、星良の心臓が過剰に反応する。だが星良は、右隣に座る太陽から見えないように、左の拳をぎゅっと握り、何とか平静を装う。


「話してくれて良かったのに。気を遣うような間柄じゃないでしょ?」


 なんてことないというように、笑顔を浮かべてそう言った。太陽はそんな星良をじっと見つめる。


「大事な人だからこそ、気遣うこともあるよ、星良。今回はオレの間違った判断で、星良を余計に傷つけてしまったけど……」


 浮かべている笑顔と裏腹に、心の中では泣きそうでいる自分を見透かされているようで、星良は感情が表情に表れぬよう、握った拳にさらに力を込めた。太陽に自分は大丈夫だと告げなければと思うが、声が震えそうで口を開けない。表情を作るだけで精一杯だ。


「久遠さんとは、付き合うことになったわけじゃないんだ」


 星良が言葉を発する準備が整う前に太陽から告げられた言葉に、星良は驚きで目を見開いた。


「……そんなウソ、つかなくても、いいよ」


 途切れ途切れにそう言うと、太陽は静かに即答した。


「ウソじゃないよ」


「だって! ひかりは太陽に想いを告げたって言った。太陽もひかりのことが好きだから、ああなったんでしょ?」


 思わず大声で返すと、太陽は困ったような微苦笑を浮かべた。


「それは、そうなんだけど……」


「だったら!」


 これ以上優しいウソなどいらないと心の中で叫ぶ星良だったが、迷うような瞳で星良を見つめている太陽は、ウソをついているようには見えなかった。どうしていいのかわからずに見つめ返すと、太陽は意を決したように口を開く。


「久遠さんに気持ちを告げられて、正直嬉しかったよ。でも、すぐに思い浮かんだのは星良のことだった。泣かせたくないって思った。恋愛感情とは違うけど、星良のことが大事なのはこれからもずっと変わらない。どうするのが一番いいのか、自分の久遠さんへの気持ちがはっきりわかったあとも答えが出せなかった。だから、その答えが出るまで友達のままでいようって、久遠さんが言ってくれたんだ」


「ひか……りが?」


 星良の小さな声に、太陽が頷く。


「うん。久遠さんがオレか星良のどちらかを選ばなきゃいけないなら、星良と友達でいることを選ぶって即答もされたよ。星良とずっと友達でいるために、けじめをつけるために告白したとも。星良が大好きだからって」


「…………」


 星良は表情を作ることも忘れ、ぎゅっと唇を噛みしめた。


 ひかりは、星良との約束を守っただけ。互いに全力を尽くそうという約束を守り、玉砕覚悟で告白したのだ。自分とまた心から笑いあえる友達に戻れるように。


 それなのに、自分は――。


「その話をしてしまったら、星良を余計悩ませるだけかと思って、オレが話さないでおいてほしいって頼んだんだ。それが結果的に星良を傷つける形になって、ゴメン。オレが優柔不断なのが悪い」


 頭を下げた太陽に、星良はうつむいてぶんぶんと首を振った。誰が一番悪いのか、自分が一番知っている。


「違うよ、二人は、悪くないよ」


 ずるいのは自分。


 太陽もひかりも自分の事を大切にしてくれるのを知っていて、両想いの二人の間に割って入ろうとしたのだ。幼馴染みで一番傍にいた特権を利用して。


 星良さえアクションを起こさなければ、二人はなんの憂いもなく幸せになれたはずだ。みんなにも祝福されて、校内一の美男美女カップルとして羨まれていただろう。友達を裏切った女という、攻撃しやすい言い訳など誰にも与えずに……。


「ゴメンね、太陽」


「どうして星良が謝るの?」


 気遣うような太陽の声に、星良はただ首を振った。


 太陽とひかりは、一番に自分の事を考えてくれた。それなのに、自分は自分の事を一番に考えていた。その結果、誰もが傷ついた。


 だけど、それを口にする勇気が足りなかった。ただ、謝ることしかできなかった。


 太陽を待つ間、太陽のことばかり考えていた。自分の幸せよりも、太陽の幸せを考えようと心に誓った。それなのに、懺悔すらできない。


 言っても、太陽はきっと赦してくれるだろう。星良を見捨てたりはしないだろう。


 ならば、この痛みも苦しみも、一人で背負う方が贖罪となるのではないか……。


「ちゃんと、受け止めるから」


 一時間半の間に出した答えだけ、なんとか口にした。涙を飲み込み、顔をあげて笑顔を浮かべる。戸惑う瞳の太陽を見つめながら、星良は言葉を続ける。


「太陽がひかりを好きなこと、ちゃんと受け止める。二人が恋人同士でも、心から祝福して笑顔でいられるようになる。だから、太陽は自分の気持ちに素直になっていいよ。あたしのこと、心配しなくていい。あたしは今まで通り、幼馴染みとして一緒にいられればいい。太陽が悩んで答えを出すことなんて、ないよ。太陽は恋人としてひかりが好き。あたしのことは大事な幼馴染み。単純に、それでいいんだから」


「星良……」


 熱を出すほど悲しんだ人間に言われても説得力はないかもしれない。でもこれが、星良が太陽を苦しめないための精一杯の答えだった。


「少し時間はかかるかもしれない。その間、ひかりとは少しぎくしゃくすると思う。でも、必ず乗り越えるから。弱い自分に勝ってみせるから、太陽はあたしに遠慮することなくひかりと幸せになって。あたしを傷つけるかもなんて、心配しないで。太陽があたしを泣かせたくないと思ってくれたように、あたしも太陽を苦しめたくない」


「…………」


 太陽は星良をじっと見つめて何かを言いかけ、だが言葉を飲み込んだ。大きな手で、ただ星良の短い髪を撫でる。星良はその手の温かさと優しい眼差しに泣きそうになるが、それでも破顔してみせた。


 太陽の前ではもう泣かない。


 そう決めたから。


 と、いつの間にか大人の部の稽古がはじまる時間になったのか、道場の方から呼ぶ声があった。太陽は行くのを迷うように星良を見つめたが、星良は再びニコリと笑った。


「稽古に行って、太陽。太陽目当ての人もいっぱいいるんだから」


「そんなこと、ないと思うけど……」


 苦笑を返す太陽の背中を、星良はぱぁんと叩く。


「いいから! あたしは大丈夫。完全に元に戻るには少し時間が必要だと思うけど、ちゃんと一人で歩けるから。太陽は太陽のするべきことをして!」


「……ありがとう、星良」


 太陽は少し寂しげに微笑むと、もう一度星良の髪を撫で、名残惜しげに道場に向かった。



 太陽が母屋から道場につながる渡り廊下にさしかかると、そこに座っている見慣れた人物と目が合った。


「なんで太陽がそんな顔?」


 月也の指摘に、寂しげな太陽は力なく苦笑する。


「自分の我が儘だとわかってるけど、星良との間に距離ができたみたいで寂しいとか言うのはなしだよな?」


「なしだね。星良さんの精一杯の決意を揺らがしちゃダメでしょ。両手に花になろうなんて図々しいよ?」


「だよな」


 ふぅっと溜息をついた太陽の肩に、立ち上がった月也がぽんっと手を置く。


「代役は僕が務めるから安心して」


「オレの代わりじゃなくて、月也は月也として星良の傍にいたいんだろ」


 返事の代わりに、唇の端をあげる月也。そのままスタスタと母屋に向かっていった。


 その場に立ったまま、まだ気持ちが切り替えられずにいた太陽の耳に、かすかに聞こえてきたのは悲しみの咆哮。傷ついた星良の傍に自分以外の誰かがいてくれることに、安堵と寂しさが入り交じりつつ、太陽は稽古に向かったのだった。

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