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星と月と太陽  作者: 水無月
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妬みや僻み

 休み時間、トイレの個室に入ったひかりはふぅっと大きな溜息をついた。


 色々と苦しい。


 太陽に告白したことは後悔していない。だが、その後の対応は間違ったと思う。何の軋轢もなく元の友達に戻れると甘く考えていたわけではないが、友達に戻れないと言われたのはさすがにショックだった。


 あんな形で知られる前に自分の言葉で伝えていたら、少しは違ったのではないか……。


 そんな後悔が胸の中から消えない。


「なんか、嫌な感じだったよねー」


 再び溜息をもらしていたひかりは、トイレの中に響いた声ではっと我に返った。聞き慣れた声。いつも一緒にいるクラスメイトに違いない。


「ほんとだよ。心配してあげたのに、あんな言い方されたらうちらがただ悪口言ったみたいじゃんねー。いい子ぶっちゃってさ」


 ひかりはすぅっと血の気が引くのを感じながら息をのんだ。クラスメイトの好奇の視線に耐えられずに授業が終わるとすぐに教室をでたひかりがここにいることを、彼女たちは気づいていない。知らないからこそ、彼女たちの会話が指す人物が誰のことなのか、ひかりは気づいてしまう。


「そもそもさー、友達だったらつきあい始めたって報告してくれてもよくない?」


「だよね。あたしだったらすぐに報告するけどな。会ってから話すにしても、大事な報告がありますってくらい先に伝えておくのが友達じゃない」


「動画見せられるまでしらばっくれてるし、何なんだろうね」


「友達だと思ってないんじゃない? 神崎さんと同じで、自分の引き立て役だと思ってたりして」


「うわー、それ最悪ー」


 そんなんじゃない。そんな風に思ったことなど、一度もない。


 そう心の中では叫ぶが、それを声に出すことはできなかった。ただ両の手を口元にあて、ぎゅっと目を閉じて自分の話題が終わるのを待つしかできなかった。


 二人がそれぞれ個室の中に入ったのだろう。声が途切れ、洗面台の方から人の気配が消えたのを感じ、ひかりは急いで個室をでて手を洗うとトイレを飛び出した。教室に戻る気にもなれず、屋上に向かう階段をのぼる。屋上の扉は閉まっているだろうが、その手前のスペースなら誰もいないはずだ。


 表情を硬くしたまま階段を早足で上っていたひかりは、涙腺が緩まないように気を張ることに精一杯で、周りが見えていなかった。突然腕を掴まれ、階段から落ちそうなほどにびっくりする。


「いや、そこまで驚かれると僕のほうがびっくりなんだけど」


 階段の一段下に立ち、掴んだ腕をすぐに放して苦笑したのは月也だった。


「何度も呼んだんだけど?」


「あ……気づかなくて、ごめんね」


 微苦笑を返したひかりをじっと見つめ、月也は小さく嘆息すると再びひかりの手をとった。驚いたひかりが大きな瞳を瞬く間に、月也はそのまま階段をのぼりはじめる。


「た、高城くん?」


「落ち着ける場所の方がいいんでしょ?」


「……うん」


 月也の大きくて温かな手が心地よく、ひかりは優しく手を引かれながら屋上の扉の前まで誘導された。月也は手慣れた様子で扉の鍵を開ける。屋上にでると冷たい風が吹き抜けたが、今のひかりには心が洗われるようで心地よかった。


「ありがとう」


「いえいえ」


 少し落ち着いたひかりの礼に、月也は微笑を浮かべた。その微笑みに、ひかりはなんだかホッとする。


 昔から、月也はこうだった。困っていたり、辛い思いをしている人に、何気なくそっと手を貸してくれる。そんなところが、好きだった。


「何か用だった? 星良ちゃんのこと?」


 名を呼び、手を掴んで止めるような用があるのかと尋ねたが、月也は小さく首を振った。


「いや、久遠らしくないものすごい表情で階段のぼってたから、何事かと思って」


「え……。そんな変な顔してた?」


 焦るひかりに、月也は唇の片端をあげる。


「久遠のファンが見たらショックをうけそうなほどには」


「えーー」


 いったい何人に見られたのかと両手を頬に当ててショックを受けるひかりに、月也は小さく笑んだ。いつも星良にしているのと同じことをされたのだとすぐに気づき、ひかりは小さく唇を尖らせる。


「もう、高城くんってば」


「久遠はどんな顔してても可愛いから大丈夫だよ。ま、何事かと思ったのは本当だけど」


 さらりとドキッとするようなことを言っておきながら、見透かすように真っ直ぐな瞳で見つめられ、ひかりは思わず目を反らした。きゅっと唇を噛む。


「何でもないよ。それより、星良ちゃんは大丈夫?」


 友達の会話を思い出して震えそうになる声を無理矢理押さえつけ、落ち着いている振りをして尋ねる。話題をすり替えられ、月也は小さく息を吐いたが、扉を背もたれ代わりにしてその場にすとんと座ると口を開いた。


「大丈夫ではないけど、星良さんの方は時間が解決するよ。なんだかんだあっても、結局あの人は強いからね、乗り越えられる。味方も多いしね」


 一番の味方は自分だと言うような強気の笑みを浮かべた後、月也は真顔でひかりを見つめた。その視線を感じ、ひかりはおずおずと月也を見た。真っ直ぐな瞳が自分を捉える。


「僕が一番大事なのは星良さんで、星良さんが早く元気になれるように手助けするのが一番の目標ではあるんだけど……、今、一番心配なのは久遠だよ」


「え……?」


 真剣な眼差しの月也の発言に、ひかりは戸惑った。短く呟くだけでそれ以上何も返せずにいると、月也が言葉を続ける。


「女の友情って、男が関わると案外もろいからね。憧れの太陽を奪われたことで、久遠への感情に僻みや妬みがでてくる人もいると思う。もともと、久遠は羨まれるだけのものをもってるからね、ルックスも、才能も。きっかけがあれば、転がり落ちるように僻み根性が増してもおかしくない。久遠は何も変わってなくても、周りの見方がかわるのは、辛いだろ?」


「…………」


 自分に羨まれる物があるかはともかく、友情の脆さは実感したばかりで何も言えない。妬みや僻みではなく、彼女たちに何も相談しなかった自分が、友達として足りないものがあっただけかもしれないが……。


「星良さんが久遠を気遣えるだけの余裕がでるには、時間がかかると思う。それまで、心許せる同性の相手はちゃんといる?」


「……いる、よ。大丈夫」


 月也の問いに、ひかりは即答ができなかった。少し間があった後、のどに引っかかって出ようとしない声を無理矢理だし、精一杯の微笑みを浮かべてみる。


「心配してくれてありがとう、高城くん。私は大丈夫だから、星良ちゃんのそばにいてあげて」


「……わかった」


 本当は納得していない顔で、月也は了承した。そして、立ち上がる。


「じゃ、行くけど……無理するなよ」


「うん」


 ひかりの微笑みを見て、月也は踵を返してドアのノブを掴む。扉を半分ほど開けてから、ふと思い出したように振り返った。


「そう言えば、あの動画、全部削除させられそうだから安心していいよ」


 言いながら浮かべた月也の笑みに黒い影が見えた気がしたが、星良のことで精一杯で動画のことまで気が回っていなかったひかりはほっとする。


「ありがとう」


 ひかりが再び礼を言うと、月也は鍵は後で閉めに来るからと告げて屋上を去って行った。


 一人になったひかりは、先ほどの月也と同じように扉に背をあてて座り込んだ。風で次々に形を変えていく雲をぼんやりと見つめる。


 自分に、羨まれる物などあるのだろうか?


 こんな風にひとりで空を見上げるしかない自分に、何があるのだろう。つぅっと一滴の涙がひかりの頬をこぼれ落ちる。


 だが、それだけだった。


 友達を傷つけた自分が泣く資格などない。


 ぐいっとその涙を拭い、きゅっと唇を噛みしめるひかり。ちゃんと笑顔が浮かべられるか練習してから、ゆっくりと立ち上がる。


 これ以上誰にも心配をかけないようにしよう。


 そう決意し、ひかりは笑顔の仮面をつけて屋上を後にしたのだった。

 

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