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星と月と太陽  作者: 水無月
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一番好きな人

 稽古で汗を流しても何故だかいつものようにすっきりしなかった星良は、夕飯を食べて一休みした後、外に走りに行くことにした。気分転換になるかと、いつもと違う道を走ってみる。最初は見慣れぬ景色を楽しんでいたが、気づけば無心で走っていた。


 身体を動かしている間は、余計なことを考えなくなるから好きだ。ただひたすらに、己の限界と向き合う時間。聞こえるのは自分の呼吸の音だけだ。


 が、ワゥッ!と可愛い鳴き声がすぐそばで発せられ、すぐに後方になった音源に星良は反射的に視線を送った。


 後方には、尻尾を振りながら星良を見つめている柴犬と、その隣に見覚えのある姿。


 数メートル通り過ぎた場所で、星良は立ち止まって振り返った。


「珍しいね、星良さんがこんなところ走ってるなんて」


 リードを持って少し早足にやって来たのは月也。その隣で、愛犬の凛が嬉しげに尻尾を振っている。いつのまにか、月也と凛の散歩コースの土手にきていたらしい。


「凛ちゃん、こんばんはー」


 追いついた一人と一匹の前にしゃがみ込み、星良は凛の頭を撫でる。嬉しそうに目を細めた凛を見て、星良は相好を崩した。


「僕より凛が先ね……」


 拗ねたようにぼそりと呟いた月也を、星良はしゃがんだまま見上げた。


「ついでに月也もこんばんは」


「はい、こんばんは」


 ふて腐れた様に答えた月也だが、星良が立ち上がって見つめると浮かぶ表情は微笑に変わる。


「稽古だけじゃ動き足りなかったの? 元気だねぇ、星良さん」


「走るのも好きだからね」


 どちらからともなく、ゆっくりと歩き出す。凛は二人の間で、星良と月也を交互に見上げながら歩いている。


「月也、そろそろ最近さぼりすぎだって怒られるよ。しかも理由がデートとか、稽古に出てきたら強く当たられるかもよ」


「んー、明日からは出ますよー」


 ふっと笑った月也の横顔をちらりと見つめた星良は、先ほどは気づかなかったものに気づいた。


「それどうしたの、月也? 凛ちゃんにひっかかれた?」


 月明かりの下、月也の左頬に赤い線が三本描かれているのが見えた。ひっかき傷のように見える。月也は左手でその傷をそっと撫でた。


「あー、これ? かおるさん」


「は?」


 凛にしては線と線の間が広いと思ってはいたが、予想外の人物過ぎてぽかんとする星良。


 月也はそんな星良の様子を気に留めず、さらりと言葉を続けた。


「別れ話の最後に、一発叩かせてもらったらすっきりするって言われて素直に頬を差し出したんだけど、爪が伸びてたみたいでね。まぁ、星良さんの攻撃に比べたら全然痛くなかったけど」


 ふふっと笑う月也だが、星良は何を言われたか理解ができず、ぽかんとしたまま月也を見つめて歩くこと数秒。ゆっくりと動き出した思考回路が月也の言葉の正しい解釈を終え、星良は思わず立ち止まった。


「か、かおる先輩と別れたの⁉︎ しかも殴られるとか、何しでかしたのよ、月也!」


「いや、殴られるでなく、可愛らしい平手打ちね」


「聞いてるところ、そこじゃないから!」


 同じく立ち止まった月也に大声で突っ込むと、凛が驚いたように尻尾を丸めた。ハッとして、落ち着こうとふぅっと息を吐く。


 月也はそんな星良を見つめて穏やかに微笑んだ。


「別に何もしてないよ。僕から別れ話を切り出したんだし」


「なっ、なんて贅沢なっ!」


 星良の叫びに、月也は微苦笑を浮かべる。


「贅沢って、星良さん」


「だって、あんなに綺麗な人なのに! 男子の間じゃ、高嶺の花って噂なんでしょ」


「かおるさん、そう言われるの好きじゃないけどね」


 優しく、でもどこか切なげな笑みは、月也が彼女を大切に想っていたことが伝わってくる。


 でも、だったら何故?


 気持ちが顔にダダ漏れだったのか、月也は眼鏡の奥の瞳を三日月型に細めた。


「かおるさんは、二番目に好きな人だから。でも……」


「ちょっとそれ、ひどくない⁉︎」


 月也の言葉が終わる前に、声を荒らげる星良。凛が再び尻尾を丸めたのが見えたが、今度は感情を押さえずに月也を睨みつけた。


「一番好きじゃないのに付き合うって、そんなの相手に失礼だよ」


 睨む星良を、月也は逃げずに見つめ返した。そして、悲しげに微笑む。


「みんながみんな、一番好きな人と付き合えるわけじゃないよ」


「それは……」


 熱くなった気持ちが、一瞬で冷えた。


 一番好きな人と誰もが付き合えるわけじゃない。


 それは、星良もわかっている。今、一番不安に思っていることだ。


 思わず、唇を噛んで俯く。


「でも、最初からそう思って何もせずに諦めるのはどうかなって、自分の気持ちに素直で一生懸命な星良さんを見て思ったわけだけどね。何もしないままじゃなく、傷つくのを恐れずに素直な気持ちをぶつけられたら、何か変わるのかなって」


 しゅんとした星良を見てか、月也の声には優しさが滲んでいた。


「だから、僕も自分の気持ちに素直になろうかなと思って。それで、かおるさんに自分の正直な気持ちを話したんだ。ここ最近はかおるさんの時間が空いてる時にずっと話し合いしてて、稽古に出られなかったわけ」


「デートじゃなかったんだ」


 俯いたままポツリと返すと、月也はうーんと小さく唸った。


「半分はデートかな。かおるさん、自分が一番になってみせるって最初は言ってくれたから」


 かおるの気持ちが自分の気持ちと重なり、星良はツキンと胸が痛んだ。


 自分の事も大切にしてくれるけど、好きな人には他に好きな人がいる。自分と同じだ。


 そして、自分よりもずっと魅力あるかおるが、振り向かせようとしてもう諦めた。


 やはり、他に好きな人がいる人を振り向かせるのは不可能なのだろうか……。


「かおるさんと僕は出会って数カ月だからね。星良さんとは違うと思うよ」


 考えていることが顔に出ていたのだろう。月也が穏やかな声でフォローする。


 顔をあげて月也を見ると、柔らかに目を細めて星良を見つめていた。


「星良さんと太陽の絆は、誰とも比べられないよ。星良さんは自分の気持ちに正直に突き進めばいい。嬉しいことも苦しいこともあるかもしれないけど、自分の信じた道をいくのが星良さんらしいと思う」


「……ありがとう」


 息苦しい思いが、月也の言葉で楽になる。


 今までは自分を怒らせてばかりの月也だったのに、最近はいてくれるとホッとする。たとえ怒らすとしても、苦しさを忘れさせてくれる存在だ。


「どういたしまして」


 そう言うと、月也は再びゆっくりと歩き出した。ちらりと星良を見てから歩き出した凛の隣に並ぶように、星良も歩きはじめる。


 三日月が浮かぶ夜空の下を、二人と一匹で静かに歩く。


 しばらくは自分の気持ちを整理していた星良だったが、ややして落ち着くと、はっと重大な事に気づいて隣を歩く月也を見上げた。その視線に気づいたのか、月也も星良を見つめる。


「何? 星良さん」


「いや、えーと」


 聞いていいものかと少し逡巡したが、聞かないままだと気になってしょうがなくなりそうなので、素直に尋ねることにする。


「月也の好きな人って、誰なのかなって。元カノとか?」


 月也が何もせずに諦めていた人。だけど、かおると別れるほどに好きな人とはどんな人なのか、興味がないわけがない。


 じっと見つめて答えを待つと、月也は目を逸らして夜空の星を見上げた。


「違うよ。元カノさんたちも、その時の二番目に好きな人」


「何それっ」


 また少し非難めいた口調になると、月也は小さく肩をすくめた。


「だって、好きな人を忘れるには新しい恋かなって思ったりするでしょ。一番好きな人への想いを二番目に好きな人への気持ちで上書きできるかなって思って付き合うんだけど、そうなる前に振られてた。たぶん、自分が一番じゃないって気づくんだろうね。かおるさんも、もう少し付き合ってたら僕が振られてたんじゃなかな」


「それってやっぱりひどくない?」


 軽く睨むと、月也は星を見上げたまま苦笑を浮かべる。


「まぁ、ひどいかもね。でも、ちゃんと大事にはしてたよ。一番好きな人の次に」


 最後の言葉に、星良はぱちぱちと目を瞬いた。


 月也の言い方から好きな人を遠くから見つめているだけのような感じがしていたのだが、彼女がいる時もその人の傍にいたらしい。一番大事にしていたと言えるほどに。


 となると、星良が知らない相手ではなさそうだ。


「月也、なんで一番好きな人の事諦めてたの? その人に彼氏がいるとか?」


 星良が探りを入れると、月也はちらりと星良を見た。そして唇の片端をあげる。


「彼氏ではないな。でも、自分の想いは届かないって思える相手がいる」


「それって、好きな人に好きな人がいるってこと?」


 星良の問いに応えずに、月也はただふっと笑った。それは肯定ととっていい気がした。


 星良は時おり自分を見上げる凛に笑顔を向けつつ、頭の中をフル回転させる。


 小中学校での月也の交友関係はよく知らないが、今も続く関係となるとだいぶ限られる。神崎道場に通う女子の可能性もあるし、中高と同じ学校の可能性も……。


「あっ!」


「どうしたの?」


 突如思いついた自分の発想に声をあげた星良に、月也が怪訝そうに尋ねる。


 星良は慌てて首を振った。


「いや……なんでもない」


 中学高校と同じ学校の人はそんなに多くない。その中で、月也と今も一番仲がいいのは星良が知る限りひかりだ。


 太陽とひかりが付き合ってしまう苦しさから逃れたくて、自分と太陽がくっつくことを望んでいるのではないか……。


 それならば、星良が太陽に恋していると気づいてからやたら優しくなったことも頷ける。


 そう思ってちらりと横目で月也を見ると、月也ははぁっと盛大なため息をついた。


「星良さん。久遠じゃないからね」


「えぇ⁉︎」


 考えていたことを言い当てられ、思わず立ち止まって驚く星良。月也も立ち止まり、再びため息をつく。


「久遠は今も昔も友達以上の感情持ったことないよ」


「そ、そうなの?」


「そうだよ。いい奴だとは思うけど」


 かなりいい推理かと思ったが、月也の表情を見る限り嘘をついているようにも思えない。だったら誰だろうと、月也を見つめて考える。


 よくよく見れば、ルックスは悪くない。頭もいい方だし、運動もできる。星良に対する態度はどうかと思ったりもするが、人付き合いも星良よりうまくやっているし、それなりにモテるのもわからないわけでもない。


 そんな月也が、何もせずに諦める相手。でも、傍にいて一番大事にしている相手。


「ま、まさか……」


 自分の考えに驚いて目を丸くする星良を、月也は楽しげに見つめている。当てられるものなら当ててみろと言われているようで、星良はごくりと唾を飲み込むと、口を開いた。


「月也って……ひょっとしてあたしの同士でライバル?」


「……は?」


 予想外の答えだったらしく、月也は珍しくしばらく固まった後に困惑の声をあげた。


 わかりにくいたとえだったのかと、星良は意を決してストレートに言い直す。


「だ、だから、月也も太陽が好きなのかなって……」


 星良の言葉に、月也はその場に崩れ落ちた。凛が心配そうに、しゃがみこんだご主人の頬を舐めている。星良はそれが図星だったからなのか、大外れだったからなのかわからず、月也が立ち直るのをドキドキしながら待った。


 待つこと数分。月也ははぁっと長いため息をつき、凛をひと撫でしてからゆるりと立ち上がった。そして星良に苦笑を向ける。


「まさか星良さんにそういう発想があるとは思わなかったよ。あーびっくりした」


「そ、それって当たりってこと? はずれってこと?」


 答えがわからずに尋ねると、月也は呆れたように半眼になった。短く嘆息してから、短い黒髪をガシガシとかく。


 月也にしては珍しい態度に戸惑いながら返答を待っていると、最後に月也はふっと悪戯な笑みを浮かべた。切れ長の瞳が甘さを帯びた光を放つ。


「ところで、星良さんってファーストキスはもうした?」


「はぁ⁉︎」


 突然の反撃に、瞬間的に太陽へのキスを思い出してカァッと頬に朱がさす星良。じっと答えを待つ月也の視線に耐えられず、視線を逸らしつつぼそりと答える。


「したけど、それがなんか関係ある?」


「んー、まぁ、少しは関係あるかな」


 よくわからない答え方に星良は眉間にしわを寄せ、再び月也に視線を戻した。月也はニコリと微笑むと、何故か眼鏡を外す。何事だろうと思っていると、今度は凛のリードを差し出された。


「はい、星良さんこれ持って」


「いいけど、なんで……」


 持たされたリードにつながる凛をちらりと見ながら問おうとしたが、最後は声にならなかった。凛から月也に視線を戻そうとした瞬間には、見たこともないほど間近に月也の顔があった。その意味を理解する前に、唇に柔らかなものが触れる。


「!?」


 凛のリードを持ったまま、星良は固まっていた。反射的に避けることも、突き放すこともできず、ただ目を閉じることしかできなかった。


 触れていたのは、きっとほんの数秒。


 だが、ゆっくりとそれが離されるまでまるで時が止まったかのように感じた。


「これでわかってくれた? 星良さん」


 微笑む月也に何も言い返せず、星良は空いている方の手でただ唇を隠した。


 先ほどまで感じていた月也の温もり。


 自分が太陽にした強引にぶつかるようなキスではなく、甘く優しいキスだった。


 これが本当のキスなのだと思った瞬間、全身が真っ赤に染まる。


「殴られるかと思ったけど、大丈夫だったね」


 にこやかに言いながら眼鏡をかけ直し、星良に持たせたリードを再び自分で持つ月也。どうやら、殴られた時対策だったらしい。


「な、な、な……」


「星良さんが鈍いにもほどがあるというか、まさかの僕が太陽を愛してる説までだしてきたから、口で言うよりわかりやすいかなと」


「口で言ってくれればわかるから!」


 悪気のない笑みを浮かべている月也にようやく言葉を返すが、月也に反省の色は浮かばない。


「そうかな。言っても信じなかったでしょ」


「それは……」


 というか、今も信じられない。たぶん間違ってないと思うが、からかわれてるのではと疑ってしまう。


「言っておくけど、冗談でキスしたりしないからね。殴られたくもないし」


 またもや自分の考えを読まれ、星良はただ黙って月也を見つめた。もう、なんといっていいのかわからない。


 月也は三日月を背に、眼鏡の奥の瞳を三日月型に細めた。そして、ゆっくりと口を開く。


「僕は星良さんが好きだよ。たぶん、星良さんが思ってるよりずっと前から」


 優しい眼差しに、真摯な声。それが月也の本当の気持ちなのだと伝わってくる。


 その瞳を見つめながら、星良は自分の鼓動がうるさく感じるほどドキドキしている自分に驚いていた。

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