それでも…
月曜日。既にメッセージで簡単な報告を済ませていた笑美と千歳に、星良は休み時間ごとにデートの詳細を聞き出されていた。今は次の授業の為に教室を移動している最中。一通り報告を聞き終えた二人は、歩きながら次の作戦を考えてくれている。
もちろん星良も会話に加わっていたのだが、太陽のクラスを通りかかる時には自然と言葉数が減っていた。太陽にというより、ひかりに聞かれたくないからだ。自分がどう行動しているのかを知られるのは、嫌というより、何だか気恥ずかしい。邪魔をするのも嫌だった。
ひかりがどうしているかも気にならないわけではなかったが、知ったら嫉妬心が膨らみそうで、気にしない気にしないと心の中で呟きつつ、黙って二人の教室の前を通り過ぎようとした時だ。
少し前を歩く笑美と千歳が通り過ぎた後、星良が教室の扉の前を通過しようとした瞬間、がらりと扉が開いた。反射的にドアを開けた人物を見ると、そこには見慣れた姿。だが、浮かぶ表情が見慣れぬもので、星良は思わず足を止めた。
「ひかり?」
いつもきらきらとした大きな瞳が陰っているのを見て、星良はその名を呼んだ。星良の存在に一拍遅れて気づいたひかりは、驚いたように星良を見つめる。
「星良ちゃん……」
頼りない瞳。何があったのかと星良がじっと見つめると、ひかりが縋るように口を開きかける。が……。
「あれ、星良ちゃーん? 先行っちゃうよー」
笑美の明るい声がかかると、ひかりははっとしたように口を閉じる。そして、いつも通りの明るい笑みを顔に張り付けた。
「次、移動教室?」
「あ、うん」
「いってらっしゃい」
微笑を浮かべてそう言うと、ひかりは星良の横をするりと抜け、星良たちとは反対方向に廊下を歩いて行った。なんとなく心配でその背中を見送ると、向こうから唯花たちがやって来るのが見える。すれ違うひかりを見る唯花の視線が嘲るようで、胃のあたりがムカっとする。ひかりはそれに気づかなかったのか、気にしていないのか、もう陰りの見えないいつも通りの横顔でトイレに入っていった。
ひかりの様子が気になったが、次の授業までにゆっくり話を聞く時間もなく、星良は踵を返すと笑美と千歳のもとに小走りで向かったのだった。
トイレの個室に入ると、ひかりはふぅっと息を吐いた。そして、ひとり苦笑する。
危うく、一番聞かせるべきでない人に弱音を吐くところだった。
自分の表情を見て、心配そうに見つめてくれた漆黒の瞳。その優しさに、縋りそうになった。
でも、ダメだ。そんな星良だからこそ、今頼るべきではない。
ひかりはもう一度、深く長く息を吐いた。この陰鬱とした気持ちをすべて吐き出したいと願うようなため息。だが、沈んだ気持ちは少しも浮上しない。
ひかりは柔らかな唇をきゅっと噛む。にじむ涙が零れないように、自分の心を必死にコントロールしようとする。
自分の気持ちを知られ、星良が太陽に告白をしたと聞いてから約二週間。ひかりは、太陽から避けられていると感じていた。
露骨ではない。他のクラスメイトはきっと気づいていない。ひかり自身も、自分の気持ちや星良の気持ちを太陽が知ったことに気づいていなければ、近頃タイミングが悪いと残念に思うくらいだったろう、それくらいのさりげなさ。
話しかけようとすると、他の誰かと話はじめる。近くに行こうとすると、ふらりと教室を出ていく。自分が行動に移そうとしたその瞬間、それに気づいたそぶりをかけらも見せずに自然な素振りでそれを避ける太陽。
最初は思い過ごしかと思ったが、二週間もたてばわざとだとさすがに気づく。
まったく話せていないわけではない。複数の友達と話している時や、授業など、自然な流れで話さなければおかしいときにはちゃんと会話をしてくれる。でも、目を合わせてくれない。必要最低限の会話で、何気なく他の人に話をふって自分との会話を終わらせてしまう。今までは、ちゃんと目を見て話してくれていたのに……。
太陽のそんな行動は、じわじわとひかりの心を弱らせていた。
星良に、簡単に諦められないと言ったのは嘘ではない。だが、もう挫けそうだった。
星良の想いを知った太陽が、その気持ちと向き合うと言ったのは、二人の絆を知っていたら当然だと思う。それをわかった上で、ひかりは星良とのライバル宣言を受け入れた。
そもそも、ひかりの太陽への想いが恋愛感情に変わるきっかけは、星良の存在だった。
中学の頃から、太陽は一際目立っていた。頭脳明晰、運動神経は抜群、眉目秀麗、明るく親しみやすい性格。女子の一番人気になるのは当然の存在だった。
ひかりも、全く気にならなかったわけではない。ステキな人だとは思っていた。それでも恋愛対象に思えなかったのは、太陽が誰にでも平等に優しかったからだ。そんな相手を好きになったら、大変だろうなと思っていた。彼女にさえ、平等の優しさを見せるように思えたのだ。
唯一、月也と幼馴染の話をしている時にいつもよりも柔らかな表情をしていると思っていたが、星良と実際に会ってわかった。太陽にとって、星良が特別な存在だと。
二人と一緒に過ごすうち、二人の絆が見えてきた。まるで呼吸をするように、自然と相手の気持ちに合わせられる二人。互いを見つめる瞳に溢れる優しさと、確固とした信頼。 太陽が星良を、星良が太陽を大事にする姿は、何故か眩しかった。
今まで見てきた恋人とは全く違う、深いところで二人はつながっているように見えた。
羨ましいな。
最初はそう思った。自分には、そんな相手はいない。自分にもそんな関係を築ける相手が欲しくなった。
だが、太陽と星良の絆を感じれば感じるほど、太陽が星良に見せる『特別』を目の当たりにするたび、自分がそんな風に想われたら、太陽を想えたら、どんなに幸せだろうと思う自分に気づいた。『誰か』ではなく『太陽』に想われたいと我知らず願っていた自分に驚いた。
星良に二人の関係を確認したのはそんな時だ。
二人の絆に憧れたことから始まった想いだ。星良が太陽を恋愛対象として好きならば、この想いを止められると思った。
しかし、星良の答えは『NO』だった。冷静ならば、その答えの裏に潜む『YES』に気づけただろう。だが、すでに走り出していた想いはそれを見過ごさせた。
体育祭。文化祭で迷わず星良を助け出した姿と重なるように、怪我をした自分を運んでくれた太陽に、心臓が壊れそうなほどドキドキした。打ち上げで目が合うたびに、溢れんばかりの幸せが心に満ちた。
星良と太陽の絆が友情であるならば、自分は恋人として太陽と絆を深められたら……。
そう願い始めた矢先。徐々に増えていた目の合う回数が0になった。二人で話すことを避けられるようになった。
友情として絆をつくりたかった星良とは距離を置いている最中。星良が他の友達と楽しそうに話している姿さえ、今のひかりには心苦しかった。
でも、他の友達には話せない。親身になってくれると思う友人はいる。だが、星良と自分のかわした約束を理解してもらえるとは思えなかった。自分に味方してくれるあまり星良を敵視するのではと心配があり、言えないでいる。
好きな人とも、大好きな友人とも距離をおかれ、逃げ場のない苦しさに涙が滲む。
自分と星良の想いを知った太陽が自分を避けるのは、星良を選んだと察してくれということだろう。太陽は自分と星良の交わした約束を知らない。星良に気づかれる前にひかりがひいてほしいと、そういうことだと思う。察しが悪いと思われるのが怖くて、メッセージを送ることも電話もできない。
しかし、二人の絆を思えばそれは仕方のないこと。二人の絆を超えることなど、誰にもできはしなかったのかもしれない。
ぽろりと、ひかりの柔らかな頬を堪えきれずに涙が零れ落ちた。
このまま何もせずに諦めてしまおうかとも思う。その方が、きっと楽だ。
でも、星良は?
さっき目があった瞬間、心配そうに自分の名を呼んだ星良を思い出す。
正直に話せなかったからと、頭を下げた星良。全力でぶつからなければすっきりしないと言った星良。危なげなほどに、気持ちに真っ直ぐな星良。
互いに心残りなく終わらせるには、星良だけの全力ではなく、ひかりの全力も必要ではないだろうか。
何もせずにここで諦めたら、それを知った星良はきっと己を責めるだろう。余計なことを言わなければと、誰も責められはしない純粋な想いを責めるだろう。そんな姿は見たくない。
自分だって、少しも引きずらないとは思えない。
ならば、やはり逃げてはダメだ。察しが悪い女だと思われても、太陽に想いを告げてからじゃないと終わらせてはいけない。
それが、自分の為でも、星良の為でもある。二人がこれからも友達でいられるために、ここで泣いていてもしょうがない。
ひかりはぐいっと涙を拭うと、俯いていた顔をあげた。ぱんっと自分の頬を両手で叩く。
避けられても、笑顔でいよう。少しでも想いが届くように、自分らしく太陽に接しよう。
もう限界だと思うまで、星良に恥じぬくらい頑張れたなら、太陽に告白して終わらせよう。
そう心に決める。
星良のことも、太陽のことも、大好きだから――。
ひかりは自分の陰鬱とした想いを流すかのようにトイレの水を流すと個室を出た。
ちょうどチャイムが鳴り響き、ひかりは慌てて教室に戻ったのだった。




