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星と月と太陽  作者: 水無月
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夢と現と

 道場を飛び出した星良は、そのまま浴室に飛び込んでいた。


 道着を着たままシャワーを頭から浴びる。まだ湯になりきらぬ水の冷たさが頭を冷やしてくれるかと思ったが、それくらいではどうにもならなかった。


 流れ落ちるシャワーの水とともに涙がぼろぼろと零れ落ちる。星良は、外に嗚咽が漏れないようにシャワーの水流を強めた。


 涙が枯れ果てるほど泣いてから、星良はようやく濡れて重くなった道着を脱ぎ、機械的に身体を洗った。夕飯もとらず、ベッドにもぐりこむ。現実と向き合う勇気がないのを脳も理解してくれたのか、悶々と悩む間もなく、夢も見ない深い眠りへとすぐに誘われた。



 

 望まなくても、明日は必ずやってくる。


 現実逃避に早寝したものの、事態は何も変わらぬまま当然朝はやってきた。


 どんな顔をして太陽に会えばいいのかわからない。ひかりにも、どう接したらいいのかわからない。だから、学校に行きたくない。


 目が覚めて真っ先に思ったのはそんなこと。だが、ずる休みさせてくれる両親でもなければ、さぼってどこかで時間を潰すスキルが自分にあるとは思えない。


 仕方なくのそのそとベッドからでて床に足をつくと、かくんと膝の力が抜けた。そのまま床にヘタレこむ。何だか身体が重い。頭がぼーっとする。今まで経験のしたことのない身体のダルさ――。


「あらー、鬼の霍乱ね」


 体温計を見た母の驚きの声。どうやら、高熱を出したらしい。


 今まで、クラスが学級閉鎖になろうと、ひとりケロッと元気で過ごしていた星良。熱を出すどころか、休むほどの病気をした記憶もない。


 それなのに、何も考えたくない、学校へ行きたくないと強く思ったとたんにこれだ。


 心に正直な反応をした自分の身体に、星良は苦笑を浮かべつつもほっとした。これで、二人に会わずにすむ。


 家にあった薬を飲むと、すぐに眠りの世界へと誘われた。


 今度は、夢を見た。子供の頃の夢。


 無邪気に太陽と睦み合った幼き日々。手をつないで、幼稚園から道場に毎日通っていたあの頃。


 夢の中の太陽は徐々に成長し、今と変わらぬ姿となる。つないでいた手はいつの間にか離れ、すぐ傍にある太陽の手をとろうと手を伸ばしても、どうしても届かない。いつのまにか距離が離れていき、隣にいたはずの太陽の背を必死に追う自分がいる。声をかけても気づいてもらえない。どんどん先に行く太陽の隣に、さらりと美しい髪を揺らした制服を着た少女が現れる。愛らしい笑顔を太陽に向けるのは、ひかり。自然な動作で二人は手をつなぎ、自分の存在に気づくことなく歩いていく。走ろうとしても、重い足かせがついているかのように足が動かない。叫ぼうとしても、声がでない。


 行かないで。置いていかないで。あたしを一人にしないで。


 声の代わりに、涙だけが出る。


 胸が痛い。息ができない。


 苦しい、苦しい、苦しい――。


 その場から動けなくなった星良の頭に、ふわり、と暖かなものが乗せられた。くしゃくしゃと、そっと頭を撫でられる。ふっと呼吸が楽になる。胸の痛みが和らいでいく。


 次に、頭に冷やりとしたものが乗せられた。何とも言えぬ心地よさ。身体が軽くなっていく。


「――それじゃ、ちょっとよろしくね」


 母の声で、夢から覚めたことに気づいた。ドアを閉める音がし、足音が遠ざかっていく。それなのに、まだ傍らにある気配――。


 目を開けなくともわかる太陽の存在に、星良の心音が徐々に早くなる。


 顔が見たい。でも、怖くて見られない。


 寝たふりをしながら葛藤する星良の額に、再び冷たいものが乗せられた。優しく汗を拭いてくれているのがわかり、思わず頬が緩みそうになる。


 あんなことがあっても、太陽はやっぱり優しい。たとえ、恋愛感情じゃなかったとしても……。


 ツキンと胸が痛む。太陽の顔をみる勇気がみるみるとしぼんでいく。


「星良」


 突然優しい声で名を呼ばれ、思わず息をつめる。名前を呼ばれただけで、こんなにも嬉しい。優しく髪を撫でてくれる手が、こんなにも愛おしい。


「寝たままでいいから、独り言……聞いて」


「…………」


 どうやら、寝たふりだとばれているらしい。さすが幼馴染ということか。


 だが、今更目を開けることもできない。太陽の言葉に甘えて、目を閉じたまま耳を傾ける。


「俺、星良の事、誰よりも大事だよ。その気持ちに嘘はない」


 迷いのない声。そっと握ってくれた手から、太陽の真摯な気持ちが伝わってくる。


「だけど近すぎて、星良のことを恋愛対象として見たことがなかった。だから、星良の気持ちの変化も、昨日まで気づけなかった。鈍くて、ゴメン」


 昨日謝ったのは、気づけなかったから? それとも――。


 そう思っても、今更目をあけて聞けない。勇気が出ない。


 つい強張ってしまった手を、太陽の暖かな手が包み込んでくれる。


「いつまでも今までのまま一緒にいれると思ってた俺が、子供だった。だけど、違うんだな。今も、これからも変わってく」


 少し寂しげな太陽の声。太陽はふぅっと息を吐いた。そして、気持ちを新たにするようにすぅっと息を吸う。


「それでも俺は、どんな形だったとしても、何年後も、何十年後も、星良と笑い合っていたい。この絆は、壊したくない。だから、昨日は泣かせちゃったけど、また傷つけることもあるかもしれないけど、いつまでも心から笑いあえる関係でいたいから、星良としっかりと向き合いたい。今の気持ちがどう変わるかわからないけど、ちゃんと星良の気持と向き合うよ。だから……泣くなよ」


 堪えきれずに零れ落ちた涙を、優しく拭ってくれる太陽。困ったような優しい笑みを浮かべているのが、瞼を閉じていてもわかる。でも、太陽の気持ちが嬉しくて、涙を止めることができなかった。


 太陽が、こんなにも自分のことを考えていてくれる。今は恋愛感情じゃなかったとしても、ここまで想ってもらえて嬉しくないわけがない。


 これ以上ないくらい太陽を好きだという気持ちが心から溢れて、涙となって零れ落ち続ける。そっと目を開けると、滲んだ視界に鳶色の瞳が映った。それが優しく細められる。


「今日は熱があるし、色々考えるのは元気になってからな。今は寝た方がいい。起こしちゃったけど、また眠れるまで傍にいるから」


 そう言って、汗で濡れた髪を優しく撫でてくれる太陽。口を開いたら『好き』しか出てこなさそうで、星良はただぎゅっと手を握り返す。


「このまま手を握ってるのがいい? それとも、頭を撫でてる? なんなら、子守唄でも歌おうか?」


 冗談めいた太陽の声に、星良は微笑んだ。再び手を握り返すと、太陽は手をつないだままがいいと理解してくれたのか、両手で優しく包み込んでくれた。


「じゃ、もう目を閉じる。目を閉じても、こうしてたら傍にいるのわかるだろ」


 手から伝わる温もりは確かに心を落ち着かせてくれ、目を閉じても太陽を感じることができる。片手を離し、再び額の汗を拭ってくれるのも心地よく、星良はだんだんと微睡みはじめる。


 心のすみにひかりのことがひっかかっていたが、熱のための思考能力の低下と、ただ今は太陽が傍にいる幸せに浸っていたいという気持ちが、それを無理やり忘れさせた。


 呼吸もできない辛い夢から、今度は優しい温もりに満ちた幸せな夢へ、太陽が導いてくれる。


 星良は微笑みを浮かべたまま、再び深い眠りへとついた。

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