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星と月と太陽  作者: 水無月
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逆鱗

 動物病院で子犬の治療がはじまる。


 待合室で不安そうにうつむいている星良の手を、太陽はそっと握った。悲しみで凍りついてしまった心を現すかのように、いつも温かな星良の手はひんやりと冷たい。


 太陽の熱で徐々に星良の手が温かくなっていくと、星良はふと何かを思い出したかのように顔をあげて太陽を見つめた。


「そう言えば、月也は?」


「今気づいたんだ」


 苦笑した太陽の前で、星良はきょろきょろと辺りを見回し、月也の不在を確認している。


「どこいったんだろ?」


「公園からついてきてないよ」


「何でっ⁉︎」


 なんて冷たい男だ、と非難するような声に、太陽は再び苦笑を浮かべる。


「動物虐待は新たな犯罪につながる事もあるから、然るべき所に連絡して事情を話すために残ったんだよ。あの公園、子供もたくさん遊ぶし、放っておいたら危険だろ」


「あ、なるほど……」


 太陽の説明に納得し、星良は再び子犬のことを考え始めたのか、その無事を祈る様に目をつぶってうつむいた。


 太陽はそんな星良を見て、ほっと胸をなでおろす。


 この様子なら、星良は気づいていない。月也が素早く消し去ったものを。


 太陽は星良の横顔を見守る様に見つめる。ただでさえ傷ついている星良を、これ以上傷つけたくないと、そう願う。


 月也もそう思ったからこそ、子犬の傍の地面に書かれていた星良を指し示す言葉を消し、その場に残って他にもないか確認した上で通報しただろう。


 犯人は、おそらく星良に恨みをもつ者。星良が子犬を可愛がっているのを見かけ、星良を傷つける為に子犬を傷つけ、星良のせいだと示す言葉を残していった。


 それを知ったら、星良は犯人たちが思った以上に深く傷つくだろう。自分への痛みより、自分のせいで他人が傷つくほうが、星良には耐えられないことだ。それが自分の身を守る術もない弱いものなら、なおさら。


 太陽は星良の手を握っている逆側の手を、ぎゅっと握りしめた。


 子犬を傷つけたことは許されることではない。それに加え、星良を泣かせたことは、絶対に許せない。


 太陽は燃え上がる怒りを鎮めるかのように、そっと目を閉じた。






 子犬の治療が無事終わり、二日が経っていた。


 動物病院では、子犬を発見した時点で相談しにきてくれればこんなことにならなかったと少々説教されたが、今回だけだと治療費も請求せず、子犬の里親探しもしてくれることになり、星良は感謝しても感謝しきれないほどだった。


「今日は私も一緒にお見舞いに行っていい?」


 部活が休みである水曜日。雨で体育祭の練習もなくなったため、子犬の話を聞いていたひかりは星良を迎えに来てそう尋ねた。


「もちろん」


 子犬が虐待されるまで、里親探しを一生懸命手伝ってくれていたひかり。まだ一度も子犬に会っていなかったひかりに一度くらいは会わせたかったので、星良は笑顔で答えた。


 子犬のことがショック過ぎて、太陽とひかりへの気持ちが多少マヒしているようで、ひかりといても今は痛みを感じない。ショック療法とはこんなものだろうかと、ぼんやりと考えたりもするくらいだ。


「月也も行くでしょ?」


 帰り支度を終えて携帯電話をいじっていた月也に声をかけると、月也は顔をあげてニヤリと笑う。


「今日はパス。ちびによろしく」


「何で?」


「野暮用」


 キョトンとする星良に、月也は苦笑を浮かべる。


「はっきり言わないとわからない? かおるさんとデートです」


「……あー」


 星良は半眼で納得の声をあげた。毎日の用に一緒に帰っているので時々忘れかけるが、月也には彼女がいるのだ。たまにはデートをして当然だ。


「どうぞごゆっくり楽しんできてー」


「感情こもってないなぁ、星良さん」


 クスクス笑いながら、月也は手をひらひらと振って先に教室を出ていった。入れ替わる様に、太陽が星良の教室に入ってくる。体育祭のことでクラスメイトにつかまっていたらしい。


 雨の中、傘をさして三人で動物病院に向かう。星良とひかりが並んで歩き、その一歩後ろを太陽が歩いてくる。


 だが、校門を出て少したったところで、太陽がふと足を止めた。


「太陽?」


 星良がそれに気づいて振り返ると、太陽は微苦笑を浮かべていた。


「ごめん、用があったの思い出した。今日は久遠さんと二人で行ってきて」


「えー」


「ごめん。二人とも、雨だし気をつけて。それじゃ」


 唇を尖らせた星良に片手をたてて謝ると、太陽は踵を返して去っていった。その後ろ姿を不服そうにしばらく見つめ続ける星良に、ひかりは微笑を向ける。


「高城くんと朝宮くんのぶんまで、お見舞いしてこよ、星良ちゃん」


「あ、うん。そうだね」



 ひかりの声で我に返った星良は、慌てて笑顔を浮かべると、動物病院に向かって歩き出した。



 一方、かおるとデートをすると言ったはずの月也は、徐々に弱まる雨の中、一人で歩いていた。彼女と会うにしては冷たすぎる瞳で、足早に歩を進めている。普段は通る事のない道だ。


 ある古びたガレージの前まで来ると、月也はその足を止めた。もう雨音もしない霧雨の中、耳をそばだて、中の様子をうかがう。中に人が複数いるのを確認すると、さしていた傘をたたみ、ガレージの外にたてかける。そして、その扉を開けた。


「こんにちは」


 一斉に向けられた複数の鋭い視線に、月也は笑顔を向けてそう言った。


 ガタンガタンと大きな音をたて、中にいた人間たちが勢いよく立ち上がる。


「何だてめぇ」


「勝手に入ってきてんじゃねーよ」


 次々と低い声で威嚇するような言葉を吐きながら近づいてくる男たちを、月也は三日月形に細めた瞳で冷静に観察した。


 中にいたのは5人。その顔ぶれは調べた通りの人物だ。


 月也は、ガレージの中に停められている数台のバイクにもちらりと目をやった。


 こちらも、調べた通りの物が並んでいる。


 月也は満足したかのように、唇の片端をあげて小さく笑った。


「何笑ってやがる」


 目の前で威圧するように睨みつけた男の一人に、月也はにっこりと満面の笑みを返した。


「いやぁ、調べた通りだなって」


「はぁ? 何言ってんだ、てめぇ」


 にじり寄ってきた男に、月也はすぅっと笑みを消した。突如現れた凍てつくような冷たい瞳に、男は少したじろぎ、無意識のうちに半歩後ろに下がる。


「君たちでしょ、いたいけな子犬を虐めたの」


 口調は軽い。だが、そこには言いようのない冷たさが含まれていた。


 男たちは言葉を失いながらも、それに気圧されまいと月也を睨みかえす。


「それがどうした? おめぇには関係ねぇだろうが!」


「一人でそんなこと言いに来て、どうしようってんだ。無事に帰れると思ってんのか?」


 男たちの脅しを、月也は鼻で笑う。男たちは、カッと顔を赤くした。


「なめてんのか、てめぇ!」


 男の一人が月也の胸倉をつかもうとしたが、月也がスッと身をひいたため、その手は虚しく宙をつかんだ。他の男たちも月也につかみかかろうとしたが、軽やかにかわされ、その後の月也の冷笑によって動きを止める。


「ねぇ、その程度の実力で星良さんに手をだして、タダですむと思ってるの?」


 星良の名前をだされ、男たちはびくっと身をすくめる。辺りに視線を走らせ、星良がどこかに潜んでいないか確認しているようだった。


 月也はそれをみて、くすくすと笑う。


「星良さんはいないよ。君たちなんか、星良さんが出るまでもないでしょ。君たちを地獄におとすのなんて、僕だけで十分だよ」


 星良とは違った恐怖を感じ、男たちはごくりと息をのんだのだった。


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