episode 05 あふれる感情
オイル時計で思い出すのは、素直だった俺たちのこと。
『咲良のこと、好きだよ』
『ほんと?』
『好きだから一緒にいる』
『じゃあ……約束してくれる?』
咲良が近くに引っ越してきた時にした大切な約束。
『結婚して』
大人びた約束だ。その意味なんて知りもしない子供だった。必ず守るという絶対的な効力はない。
『……約束』
それでも、咲良はオイル時計を大事にしていた。その約束が果たされることを願って――。
気がつくと、俺はオイル時計を咲良の前に置いていた。
姫巫女がいなくなったと同時に、時間も少し巻き戻ったらしい。婚姻届もまだ胸の中。
こうなれば婚姻届など、今はどうでもいい。先にやらなければならないことがたくさんある。
「はっきり覚えてるよ。オイル時計と、螺旋のこと」
オイル時計を手に取って、愛おしそうに咲良が言う。
「すれ違ってばかりで、俺たちみたいだったな。咲良の言う通りだった」
「ほんとだよ」
不貞腐れた顔をして、オイル時計で遊び始める。
俺の顔を全く見ないのは、相当怒っている証拠だ。怒っているというよりも、変わっていった俺を捕まえようとして疲れた感じ。
叶わないだろうと投げやりになって、どこか諦めている。
「ごめん」
「謝らないでよ。悲しくなるだけだから」
咲良を守りたくて叶えた願い。いつの間にか代償によって、俺の心は蝕まれていった。
咲良がいるなら幼なじみでいい。
そう思っていたはずの心は、いつしか幼なじみではない咲良を求めていた。
俺は本当に心の弱い人間だ。
でも、もう逃げ回るのはやめた。だから今日、この場所に来たんだ。
「咲良。俺、やり直したい」
「やり直す?」
「高校。ここで俺の時間は止まったままなんだよ」
教室を見渡せば、今でも思い出せる。
咲良の爆弾おにぎりや、夫婦漫才や、祐介を含めてバカ騒ぎしたり、先生に怒られもした。
楽しかった思い出が変わってしまったのは、俺の願いのせいだ。
咲良に想いを告げない。
その決意が全てを変えた。咲良と、もっと高校生活を楽しめたはずなのに。お互いに苦しい思い出ばかりを作ってしまった。
「咲良」
俺は立ち上がって、座っていた咲良を引き寄せる。抱きしめると途端に感情が溢れて止まらなくなった。
こんな近くに咲良がいる。それだけで胸がいっぱいだ。
悲しい想いと、嬉しい想いが混ざって、抱きしめているだけなのに胸が苦しくなる。
「ちょっと、亮――」
「好きだ、咲良」
咲良が息を呑む。
無理やり離れようとしていた力が、急に弱まってされるがままになった。
咲良は俯いて、消え入りそうな声を出す。
「遅いよ……」
「ごめん」
「遅すぎるよ!」
「わかってる」
「わたし、ずっと好きで。好きだから、苦しくて。本当に、もう……駄目だって諦めて。でも、諦めたくなくて」
言葉がぐちゃぐちゃだ。肩が揺れて、泣いているのがわかる。そんな咲良を俺は強く抱きしめることしか出来ない。
黙っていると嗚咽がもれ、それを隠すように花火が花を咲かせる。明滅する光が優しく思えるのは、胸につかえていた想いをやっと出せたからかもしれない。
「俺と付き合ってくれるか?」
「……うん、付き合う」
こんなにも悲しませたことが悔しい。誰よりも愛していたはずなのに言えなかったことが苦しい。やっと伝えられた言葉なのに、とても悲しい。
でも嬉しくて、今度は俺の涙が止まらなくなった。
「なんで泣いてるのよ」
「咲良が、好きだから」
「バカ! 泣くくらいなら、もっと早くに言ってよ」
「……ごめん、本当に」
ゆっくりと身体を離すとお互いに泣き顔で、何だか可笑しくなる。まるで子供みたいだ。
本当の願いが叶ったというのに泣いているなんて、贅沢な気がする。こんなにも優しい気持ちになれたのは久しぶりだ。
「咲良。幸せにしてくれて、ありがとう」
「なにそれ」
「言わせてくれ。咲良がいたから、俺は幸せになれた」
咲良の願いは、確実に俺を幸せにしてくれた。だから、俺は咲良を幸せにすることを約束する。
「好きだ、咲良」
何度目かの告白。
教室でのキスは気恥ずかしくて、でも再スタート出来たような気がする。
時間はかかったけど、やっと第一歩を踏み出せる。大丈夫、隣には咲良がいる。ちゃんと手は繋いでいる。
もう、迷わないから。




