episode 04 挑戦状
『亮ちゃん! 亮ちゃん!』
お互いにまだ保育園児だった。
その日は咲良の家にいた。まだ新築のいい匂いがして、整理されていない段ボール箱が山積み状態。
咲良の家族が一軒家に引っ越しをした日。荷物の整理に俺の家族が手伝いに来ていたんだ。
咲良の部屋には女の子らしくないミニカーが並び、段ボール箱の一部は手作り電車だ。女の子の部屋とは思えない。
『ねえ、きいてるの?』
『きいてない』
『きいてるじゃない!』
『あー。きこえない、きこえない』
『亮ちゃん!』
あんまりお喋りで、面倒だなぁとか思っていた。
『ウチ、きれいでしょ!』
『新しいから当たり前だろ』
『ほんとだねーとか言えないの?』
『言わない』
『そういうのひねくれ者って言うんだよ』
はい、はいと俺は空の段ボールを被る。
『コラ!』
『もーうるさい!!』
無理やり段ボールを取られて、怒った咲良が見えた。
確か、この時から前髪がなかった。目にかかるのが嫌だとか言って縛ったり、ピンでとめたりしていた。それも女の子らしくない。
『さっきの話きいてた?』
『さっきの話?』
『……やっぱりきいてなかった』
シュンと落ち込んでしまった咲良を見て、ちょっとだけ罪悪感。幼いだけあって、俺は素直だった。
『で、なに?』
俺が聞くと、咲良の顔がぱっと明るくなる。その満面の笑みを忘れていたなんて、俺はどうかしていたんだ。
『亮ちゃん、らせんって知ってる?』
『らせん? あの、絵描きだろ。海とかイルカとか描いてる――』
『それ、違う。そっち知ってる方が驚きだよ』
お互い様だ。咲良もよく知っているなと感心する。結局は似たもの同士みたいなもんだ。
咲良は立ち上がって、窓際にあった段ボールの中を探り始める。
『あった!』
新聞紙に包まれたそれを取り出し、ビリビリと豪快に破く。
『オイル時計っていうの。お父さんに買ってもらったんだ!』
嬉しそうに取り出した咲良は頬を赤くして、可愛らしかった。
丸い筒型のそれを逆さまにすると、ピンクの水の玉が転がる。左右二箇所の坂道をころころ転がり、地面に溜まっていく。咲良が好みそうなものだ。
『この坂道の形。これが、らせんって言うんだって』
『へー……だから?』
『あのね』
咲良は首をすくめた。
『このらせん、なんか切ないと思わない?』
『どこが?』
『ピンクの玉がね、右と左に分かれて、手が届きそうなのに届かない』
『う……ん?』
『スタート地点では一緒で、次に会えるのはゴール』
『そうだな』
『それまでは、ずっとすれ違ってるの。なんか、悲しくない?』
母親と一緒にハマってる恋愛ドラマの話でもしてるのかな、なんて思っていた。
実際、咲良の話が難しくて、あの頃の俺にはよくわからなかったんだ。
『そう言われてもなぁ』
『わたし、こんなすれ違いな恋愛は嫌!』
『嫌とか言われても』
困る俺をよそに、咲良は俺に迫ってくる。
『だから、亮ちゃん!』
『なに?』
『すれ違いが起きないように、好きなら好き! 嫌いなら嫌いって言って!』
『お前、リバーシみたいな奴だな』
『リバーシ?』
『白黒つけたがる』
『いいじゃない』
ふと見ると、オイル時計のピンクの玉は全てゴールに到達していた。時間をかけてたどり着いたんだ。すれ違い続けても、ゴールを目指して――。
『咲良のこと、好きだよ』
『ほんと?』
『好きだから一緒にいる』
『じゃあ……約束してくれる?』
咲良は俺に教えてくれる。
そう、俺たちは大事な約束をしたんだ。あの日、忘れてはならない約束をしたんだ。
『……約束』
俺はまだ何も知らないガキだった。それなのに一人前の大人になったつもりでいたんだ。
小指を立てて待っている咲良に近づき、俺は驚かせようとしてキスをした。
あの後、顔を真っ赤にして怒る咲良に殴られまくったんだ。おやつのケーキも取られてしまって、すごくショックだったのを覚えている。
忘れていたのが不思議なくらい、濃い思い出だ。
俺はガキだったから、キスの意味なんてわかっていなかった。テレビで観たことを真似たにすぎなかったんだ。
でも、咲良はどうだったんだ?
俺は咲良の唇から離れ、だいぶ明るくなってきたカーテンの向こうを見る。
今思えば、あれは咲良の初めての告白だった気がする。そして、俺はそれに応えていたんだ。
キスをしたことで思い出した。キスで目覚める記憶とか、童話じゃないんだから勘弁してくれ。
というか、俺は何をしたんだ。大人しく寝ている女に、勝手に!
しかし。
「螺旋……か」
咲良がそんな話をしていた。
あのオイル時計は今でも持っているんだろうか。
もしも、咲良があの日と同じ気持ちでいるなら、きっと持っている。
俺の知らないところで、ずっと想っていてくれたのか。そう思うと嬉しかった。勝手かもしれないけど、そうだったら嬉しい。
俺は咲良への想いを抱えたまま、螺旋のようにぐるぐる回っているだけだった。そうするしかないと思っていたから。
咲良は俺の想いを捕まえようとして、すれ違ってばかりだったんだろう。俺は届きそうだった咲良の手を振り払ってしまった。
拷問だ。生き地獄だ。
あんな契約しなきゃよかったなんて思うこともあった。でも、今は違う。叶えなきゃならない願いだった。
俺は気づいたんだ。
「約束」
咲良を死なせはしない。幸せになってやる。未来を掴み取ってやる。
あんたへの挑戦だ、姫巫女。




