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Episode2-4 炎と氷の姫戦

 時計塔の最上階――学園長室の窓からヴィクトラン・ド・シュレッサーは自分が管理している学園の景色を眺めていた。

 眼下を行き来する学生や教師たちが豆粒のように小さく見える。権力者とは総じて高いところを好む傾向があるが、ヴィクトランは彼らの中でも特に度を越した高所好きだったりする。

 そうでなければ、シュレッサー家の人間のみ利用できる昇降機があるとはいえ、誰が好き好んで昇降するだけでも無駄に体力と時間を使う時計塔の最上階などに部屋を構えるだろうか。

「おやおや、ちょっと面白いことになってるみたいだねぇ。僕もジークちゃんと一緒に行けばよかったかな?」

 商業区の方に視線を向けるヴィクトランは、そう独りごちて楽しそうに唇の端を吊り上げた。

 するとそこに――コン、コン、と控えめなノック音。

「学園長、いらっしゃいますか?」

 続いて落ち着いた少女の声が扉越しに聞こえた。

「うん、いるいる超いらっしゃいますよん。どうぞ、入って来なさい」

 くるんと回れ右をして執務机まで歩くと、ゆっくりと開かれた扉から一人の女子学生が入室してきた。

「思ってたより早かったね。学生会の仕事はもういいのかい?」

「はい。滞りなく片づきましたわ。こちらが各部予算案の資料になりますので、お目通しをお願いいたしますわ」

「……うん、やっとくからそこに置いといて」

 面倒臭い仕事が増えたヴィクトランは、執務机に積まれる大量の資料から自然と目を逸らすのだった。

「ところで学園長、この後はお客様のご案内をわたくしが行う予定のはずですが……そのお方はどちらにいらっしゃるのでしょうか?」

 キョロキョロと、しかし失礼にならない程度に挙動を抑えて少女は室内を見回す。

「ああ、彼なら昼食を取りに商業区へ行ってるよ」

 ヴィクトランはもう一度窓から商業区の方角を眺める。

「なんだか愉快なトラブルに巻き込まれてるみたいだからさ、ちょっと迎えに行ってくれないかい?」

「まあ、また覗き見ですか? 趣味が悪いですわよ、学園長」

「人聞きが悪いなぁ。よく見えちゃうんだよ、高い場所は」

 呆れる少女にヴィクトランは軽く笑う。

「まあ、そんなわけでお願いするよ」

 それは作り笑いでも苦笑でもなく、心の底から状況を楽しんでいる笑みだった。


「もし君が必要だと判断したなら、アレを使ってもいい」


        †


 ジークたちは建物の密集する学園商業区から離れ、魔道術の実技演習に利用されるグラウンドの一つまで移動していた。

 アリスフィーナとフリジットはグラウンドの両端で向き合って対峙している。二人ともきつく相手を睨みつけ、視線から放たれる火花がバチバチと弾けているように見えた。

「あの二人、知り合いみたいだが仲悪いのか?」

 そんな彼女たちの様子をジークは眺めつつ、集まってきたギャラリーの中で近くにいた女子学生グループに訊ねた。突然見知らぬ男に質問された三人の少女たちは困惑気味だったが、ジークの方が学年は上だとわかると少々オドオドしながら答えてくれた。

「えっと、知らないんですか? フランヴェリエとグレイヴィアの姫戦ひめいくさ

「私たちも一応あの二人と同じクラスなんですけど……『仲が悪い』とはちょっと違うのかな」

「ライバルっていうんですかね。テストの成績とか魔道術の実技とかでよく張り合っているんです。その競争がクラスを越えてヒートアップすることも珍しくなくて……」

 どうやら彼女たちの争いは恒例行事のようなものらしい。ギャラリーの一部では今日はどちらが勝つか賭けたりして盛り上がりを見せている。

 フランヴェリエ家とグレイヴィア家が互いにライバル視していたことは有名だが、まさか片方が没落して十年経っても続いていたとは驚きである。

「……決闘の方法は? 旗争奪戦フラッグ? それとも宝探しトレジャー?」

「今日はもうそんなまどろっこしいことはしないわ。ルールは相手の口から『参った』って言わせたら勝ちよ」

「……なるほど。シンプルでいい」

 貴族の学生も多く集まるラザリュス魔道学院ではなにかと学生同士の衝突が起こる。故に学園側でも決闘を容認しており、いくつかの形式が用意されているらしい。

 そして今回は単純に戦闘力で相手を屈服させる古典的な決闘様式が採用されたようだ。

「フリジット、あんたは別にその人形使ってもいいわよ?」

「……決闘はフェアでするべき。有利な条件で勝っても嬉しくない」

「そうね、わたしが有利になるわ。あんたがその人形を使ってやっと互角ってところかしら?」

 控え目な胸を堂々と張って自信満々に言うアリスフィーナに、フリジットは眉根をピクリと動かして僅かに不愉快そうな顔をした。

「……後悔しても知らない」

 フリジットが右手を翳す。すると腕輪が輝きを放ち、背後に控えていた魔巧機装兵エクスマキナが背中に装着された翼のような砲身から青い炎を噴射して飛び上がった。

 フリジットの前に降り立つ巨大な機械人形を見ても、アリスフィーナは少しも動じていない。

 挑発したのなら成功だろう。戦術級の魔巧兵器を相手に単騎で挑むなど自殺行為に思えるが、アリスフィーナは始祖竜に単騎で挑むというもっと命知らずなことをやった前科がある。

 彼女は貧乏だが馬鹿じゃない。流石に勝算がない戦いはしないだろう。

 ――あいつ、使う気だな。

 アリスフィーナが使える切り札となるとジークが譲った竜装しかない。確かに上手く扱えれば魔巧機装兵と渡り合うことは可能だろうが……ジークには無謀だとしか思えなかった。

 面倒だが、いざとなったら割って入る必要がありそうだ。

 ジークがそう考えて今は見守ると決めた時、講義の終了を告げる鐘の音が学園全域に響き渡った。

 そして、その音が決闘開始の合図となる。

 最初に動いたのはアリスフィーナだった。

 指先で宙空に線を引き、そこから一振りの長剣を抜き取り構える。素早く詠唱し、自分自身と剣に赤い輝きを纏わせ――跳ぶ。

 一瞬でフリジットとの距離を詰めようとするアリスフィーナ。

 だが、そう簡単にいく相手ではない。

「――凍てつく氷牙よ、噛み砕け」

 フリジットも素早く魔道術を詠唱し、無数の氷柱を迫り来るアリスフィーナに向けて射出した。彼女は魔巧技師でありながら、しっかり魔道術も習得しているらしい。

「――灼炎の剣よ、貫け!」

 アリスフィーナも走りながら炎剣を出現させて氷柱を撃ち落す。そこに魔巧機装兵――『アーサー』が右の巨剣を上段から叩きつけてきた。

「ふん!」

 魔道術で身体能力を強化しているらしいアリスフィーナは巨剣の一撃を軽々と飛んでかわす。空を斬った巨剣はグラウンドの地面を大きく抉り取り、大量の土煙を巻き上げた。

 視界が一気に悪くなる。

 それでもアーサーは双肩の砲台を一点に狙い定めた。

「……〈魔氷粒子砲グラッシャル・レイ〉、発射」

 四つの砲口に青い光が収束する。そして次の瞬間、青白い魔力光線が土煙を吹き飛ばして放射された。

 強力な水属性の魔力資源を組み込んだと思われる魔巧砲台だ。光線が触れた部分は植木だろうが建物だろうが地面だろうが容赦なく凍てつかせる。

 気温が一気に五度くらい下がったのは錯覚ではないだろう。息が白くなり、僅かに霧まで発生している。

 その霧の中で、紅い輝きが躍った。

「――ッ!?」

 蛇のようにうねりのたうつ炎が霧を喰らうかのごとく暴れ狂う。魔氷粒子砲を回避できたらしいアリスフィーナが炎熱系の上級魔道術を唱えたようだ。

 炎に包まれそうになるフリジットをアーサーが庇う。まるで自立的に動いているようなアーサーであるが、実際はフリジットが右手の腕輪で操縦している。アーサーは水属性の魔力資源を基盤に組まれているため、火属性には耐性があるようだ。

 霧が晴れ、気温が戻る。

 視界がハッキリする頃には、アリスフィーナとフリジットは決闘開始の初期位置に立って再び対峙していた。

「フリジット、あんた、わたしを舐めてるの?」

 アリスフィーナが長剣を突きつけて不機嫌そうに言う。

「わざと威力を抑えたり外したりして、一体なんのつもりよ?」

 そう、フリジットは手加減していた。ジークは彼女のことをなにも知らないが、魔巧機装兵の挙動を見ていたら流石にわかる。彼女の操作にはアリスフィーナを本気で叩きのめそうという意思が感じられなかった。

 フリジットは無表情のままアリスフィーナを見詰め――

「……当たればアリスフィーナは死ぬ。死んだら『参った』って言わせられない」

 手抜きした理由を呟くような声で述べた。

 理由としては当然だ。学生同士の決闘で相手を殺すような真似などしてはならない。その点、魔巧機装兵は行き過ぎた武器である。

 相手を殺せない以上、逆に使い難くなってしまうが……アリスフィーナはそれを狙って使用を許可したわけではないらしい。

「死ぬもんですか。わたしはドラゴンの試練に挑んだのよ? 負けちゃったけど……こんな決闘なんてあの時に比べたら可愛いもんだわ。あんたの人形よりも大きな魔獣と戦ったりもした。本気で、死ぬかもしれない戦いをした」

 アリスフィーナは黄の始祖竜――ランドグリーズの試練を思い出しているのだろう。魔獣の群れに囲まれ、剣山に落ちかけた。普通の精神なら発狂物のトラウマだ。


「だから、あんた程度に手を抜かれるなんて勝ったとしても屈辱よ!」


 今まで競い合ってきた相手に手加減されて勝つ。決闘の理由がどうであれ、彼女の貴族としての矜持がそれを許さないのだ。

「……わかった。もう手加減しない」

 アリスフィーナの意思を受け止めたフリジットは静かに告げる。

「……どうなってもアリスフィーナの責任」

「上等!」

 アリスフィーナが剣を構え直し、効果の切れていた身体能力強化の魔道術を再びかけ直す。

 対するフリジットは、右手を天に掲げて腕輪を輝かせる。


「……アーサー、フォルムチェンジ」


 腕輪と同期するように、魔巧機装兵の両眼から強烈な光が放たれた。

「へ? ふぉるむ……ちぇんじ……?」

 間抜けた声を上げるアリスフィーナの目の前でアーサーの巨体が浮き上がり、空中で腕・胴体・脚の五つのパーツに分解した。

 それぞれのパーツから蠕動するような機械音が鳴り響き、僅か数秒にしてその形状が大きく変化する。

 脚と胴体だった部分は無骨な砲台状に、腕だった部分は握っていた双剣をベースに飛行状態を維持する機械の翼となった。

 二本の巨大湾曲剣と三台の砲台。それらがフリジットの頭上でゆっくりと旋回を始め――

 時間差でアリスフィーナに向けて魔氷粒子砲を発射した。

「――ってふぁあああっ!? ひゃっ!? ちょっ!? なによそれッ!?」

 今回はガチで当てに行った瞬間冷凍の光線をアリスフィーナは悲鳴を上げながら紙一重でかわす。この展開を予想できなかったらしいアリスフィーナは涙目になって地面を転がった。

 そこをフリジットは逃がさない。右手を振るい、湾曲剣の一本を逃げ惑うアリスフィーナに突撃させる。

 アリスフィーナは魔道術で強化されている剣でどうにか受け止めたが――

「あぐっ!?」

 質量が違い過ぎ、威力を相殺できず砲弾のように吹っ飛ばされた。

 決闘を観戦していたギャラリーたちが熱狂する。この勝負はフリジットが魔巧機装兵を使用することが決まった時点で彼女が勝つと誰もが考えていたようだ。

 ただ一人、ジークだけはそういう視点で決闘を見ていなかった。

「へえ、やるじゃないか」

 素直にフリジットを賞賛する。魔巧機装兵を操るだけでもかなりの魔力制御能力を要求されるが、五つに分裂したパーツをそれぞれ動かすとなると単純計算で通常の五倍。別々に操作しなければならない以上、脳への負担や精神力の消耗はジークでも想像できないほど激しいに違いない。

 彼女は無表情を貫いているが、もって数分というところだ。

「……『参った』って言って」

 その証拠に、フリジットはもうアリスフィーナに降参を促してきた。

 だが――

「嫌」

 負けず嫌いのアリスお嬢様が、この程度で音を上げるはずがない。

「……そう」

 フリジットは一度瞑目し、そして右手を前に翳した。

 腕輪が輝き、青白い特大の光線が胴体部分だった砲台から射出される。今度も狙いは外していない。尻餅をついたアリスフィーナは動くことができない。

 状況はトドメの一撃と言えるくらい、最悪だった。

 けれど、アリスフィーナが氷像になったりはしなかった。

「――ッ!?」

 フリジットが無表情を崩して大きく目を見開いた。


 アリスフィーナを貫くはずだった魔氷粒子砲は、同じくらい太い熱光線によって相殺されたからだ。


 爆風がグラウンドで弾ける。ギャラリーの中の何人かが吹き飛ばされた。

「……なに、今の? 魔巧銃? あんな、小さいのに……?」

 アリスフィーナの手に握られている紅い拳銃を見てフリジットは驚愕を隠し切れない様子だ。彼女はあの拳銃が竜装だとは知らない。だからこそ、魔巧技師の視点から見て『ありえない』光景だっただろう。

「あのお嬢様、マジか……?」

 そして驚いたのは、ジークも同じだった。

「いいわよ、フリジット。もっと全力で来ることね。じゃないと――」

「……くっ」

 フリジットが腕を振るって湾曲剣を二本とも同時に突撃させる。

「練習台にもならないわ!」

 二つの巨大な質量を、アリスフィーナは拳銃の引き金を一回引いただけで蒸発させた。火属性の耐性など鼻で笑うかのような熱光線にギャラリーも唖然としている。

「……アーサー!」

 フリジットが命じ、残った三台の機動砲台から同時に魔氷粒子砲が射出される。アリスフィーナはそれを待っていたかのようにニヤリと笑って引き金を引き――


 放射された一条の熱光線が、途中で三方向に分岐してそれぞれの冷光線を相殺させた。


「……そんな」

 フリジットが地面に膝をつく。そろそろ限界なのだろう。彼女の顔色は真っ青だった。

 止めに入るタイミングは今だろうが、それでもジークは動かなかった。

 いや、動けなかった、が正しい。

「竜装を渡してたった四日だぞ? もうあんなに制御できるようになってやがるのかよ」

 黄の始祖竜の試練に挑んだ時のままだったら、引き金は一回しか引けなかっただろう。熱光線の分岐なんて芸当もできなかったはずだ。

「……なるほど、天才って奴か」

 血の滲む努力と才能がなければこれほどの急成長はない。フリジット・グレイヴィアも天才だが、アリスフィーナ・フランヴェリエはそれ以上かもしれない。

「終わりよ!」

 膝をついたフリジットに接近したアリスフィーナが、彼女の右手首の腕輪を剣で破壊した。途端、浮遊していた三機の砲台が糸を切ったように墜落する。

「人形はもう使えない。『参った』って言いなさい」

「……嫌」

 フリジットはそれでも降参しなかった。アリスフィーナに殴りかかり、魔道術を詠唱して氷の弾丸を飛ばす。

 アリスフィーナもバックステップで氷弾をかわして距離を取った。

 ――この戦いは不毛だな。

 ジークは確信した。アリスフィーナも、フリジットも、超絶的な負けず嫌いだ。『参った』なんて死んでも言わないだろう。

 こうなってはもう第三者が仲裁するしかないわけで……その役目は、よくわからないが決闘の原因になっているらしいジークしかいない。

 肩を竦め、ジークが魔道術の撃ち合いを始めた二人に割って入ろうとしたその時――


「そこまでですわ!!」


 凛とした声が響き渡った。

 瞬間、ジークの横をなにか鋭い物体が高速で駆け抜けた。

 それは美しい翠で彩られた、一本の槍。

 槍はアリスフィーナとフリジットの丁度中間の地面に突き刺さると――ゴォオオオオッ!!

 とてつもない旋風が、その槍を中心に巻き起こり決闘していた二人を紙屑のように弾き飛ばした。

「あの槍は……」

「ジーク様、少々お待ちください」

 槍に見入っていたジークに小声がかけられる。するとジークの隣、一瞬前に槍が通り過ぎたところを、一人の女子学生が悠然と歩いて行った。

 輝くような金髪に翡翠色の瞳。スラリとしたプロポーションは、まるで女性としての黄金比が服を着て歩いているのではないかと思いたくなるほど美しく映る。

 歩き方一つ取っても品があり、アリスフィーナやフリジットよりもお嬢様然としている。

 彼女はある程度前に出ると、ギャラリーたちにも聞こえるように大きな声で――


「この勝負、学生会長であるわたくし――アルテミシア・ド・シュレッサーがお預かりいたしますわ!!」


 威風堂々と、決闘の終了を告げるのだった。


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