表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/26

Episode2-3 フリジット・グレイヴィア

 学園商業区の大通りに面したオープンカフェ。

 良心的なお値段のおかげもあって庶民の学生たちで賑わっているそこで、高貴な身分であらせられるお嬢様が無心で焼き立てのロールパンに食らいついていた。

「はむ……はむはむ……はむはむはむゴクン。う~~~~ん、美味しい♪ 幸せ♪」

「どんだけ飢えてたんだお前」

 ジークはアリスフィーナの一週間分の食料――という名の食パンの耳をぶつかった拍子に台無しにしてしまったのだ。その責任ということで、こうして彼女にランチをご馳走するはめになったわけである。

 パンとスープはおかわり自由になるメニューを選択しているため、テーブルに積み上げられたロールパンに店員が文句を言ってくることはない。が、これを一人で食べるのかという驚愕の視線があちこちから突き刺さる。

 パンやスープの他にもサラダやローストビーフやミートソースのパスタがあったのだが、そちらはジークがドリンクを取りに行っている間に消えていた。二人分あったのだが……。

「そんなに食うと太るぞ?」

「望むところよ。あんたのせいで今晩からご飯抜きが続くんだから今のうちに蓄えないと!」

「そうか。なら俺はなにも言うまい」

 ジークはアリスフィーナの食欲についてはもう諦め、自分用に注文し直したイカスミのパスタにフォークを刺した。せめて今食べている分の栄養がその慎ましい身長か胸に行くことを祈ろう。

「む? なんか今とっても失礼なことを思われた気がする」

「アリスお嬢様は読心の魔道術でも使えるのか?」

「やっぱり思ってたのね!? 怒るから正直に言いなさい!? なにを思ったの!?」

「怒るなら言わない」

「怒らないわ」

「今食べてる分の栄養で背が伸びるか胸が膨らむといいな」

「大丈夫、わたしは怒らない。怒らないからちょっとそこで土下座したポーズで魔道術の練習台になってくれる?」

「断る」

 ジークはしらっと打てば響くように拒否してイカスミのパスタを口に運んだ。ぐぬぬ、と怒りで僅かに頬を紅潮させて歯噛みしていたアリスフィーナの視線がイカスミパスタにスライドする。

「じゃあ、それ一口ちょうだい」

「じゃあの意味がわからん」

「わたし、イカスミって食べたことないのよね。美味しいの?」

「美味いぞ。黒いからな」

「黒いからの意味がわからないわ」

 アリスフィーナがフォークを構えて突き刺してくる。ジークはイカスミパスタの皿をひょいっと持ち上げてかわした。むっと頬を膨らましたアリスフィーナは意地になってさらにフォークで突いてくる。

「はっ!」

「よっ」

「せいっ!」

「ほい」

「たぁ!」

「あらよっと」

「すみませーん、イカスミのパスタ一人前追加で」

「最終手段に出やがった……」

 悔しがるアリスフィーナの顔が面白かったのでついからかってしまったジークだったが、余計な出費に繋がってしまった。こちらの様子を見ていたのだろう、ぎょっとした表情で困惑しているウェイトレスに頷いて注文を確定させる。

 溜息を吐き、頬杖をついたジークは半眼になってロールパンを齧るアリスフィーナを睨んだ。

「ちょっとは遠慮しろよ。一応貴族様だろ?」

「遠慮してるわよ。じゃなかったらもっと高い店を選んでるわ」

「ここ以上に高い店だとお前腰抜かすだろ?」

「そ、そそそそそんなことにゃいもん……」

 一品四桁以上のお値段を見るや目玉が飛び出そうになるアリスフィーナの姿がありありと浮かんだ。

 それはそれで眺めていると楽しそうだとは思った。

「さて」

 イカスミのパスタを食べ終えてコーヒーを流し込むと、ジークはおもむろに席を立った。

「どこ行くの?」

「トイレ。一緒に行くか?」

「行かないわよ!?」

 かぁあああっと顔を真っ赤にして叫ぶアリスフィーナを背中に、ジークはオープンカフェの裏側へと回る。

 無論、そんなところにトイレはない。

「誰だか知らんが、俺になんの用だ?」

 立ち止まり、訊ねる。

「……」

 返事はない。だが、アリスフィーナとぶつかった街角からずっと尾行されていることに気づかないほどジークはマヌケではない。

 最初は騒ぎの中心だったジークたちを面白がって眺めていた野次馬がさらなる好奇心に突き動かされただけかと思ったが、既に普通に食事を始めて何十分も経っている。なのに立ち去る気配がないのは最早ただの野次馬とは言えないだろう。

 そして席を立ったジークについて来た。つまり狙いはこちらだったということだ。

「出て来ないなら強引に引きずり出すことになるが……いいんだな?」

 ジークは店の壁の角を睨んで告げる。息を呑むような気配がその向こうから伝わると、覚悟を決めたらしい尾行者が姿を現した。

 学園の女子学生だった。

 背はアリスフィーナと同じか少し低いくらいだろう。蒼銀の髪は肩にかかる程度まで伸ばし、整った小さな輪郭に収まった透き通るようなスカイブルーの瞳がジークを真っ直ぐ捉えている。佇まいは物静かで、その表情は尾行がバレたにも関わらず感情をあまり感じさせない。

「……ジーク・ドラグランジュ。間違いない?」

 鈴を転がしたような綺麗な声音で少女は確認した。名前はアリスフィーナが思いっ切り叫んでいたので覚えられていても不思議はない。ここで否定する意味もないので素直に頷く。

「ああ、そうだが」

「……竜装の魔巧技師」

「!」

 予想外の言葉が少女の口から出たことでジークは僅かに瞠目した。だがそれも気づかれないほど一瞬のことであり、すぐに目を細めて少女を警戒する。

「へえ、知ってるのか?」

「……調べた。大陸で唯一、竜装の製作技術を伝授している魔巧技師の家系。あなたはその最後の一人」

 尾行しながら、ではない。ジークのことを調べたのは恐らくかなり前だろう。竜装の製作技術は一般常識では失われたとされている。知っているのは王家と信頼ある上位貴族くらいで、ちょっと調べた程度ではドラグランジュの名前すら見つけることはまず不可能のはずだ。

「お前、名前は?」

「……フリジット・グレイヴィア」

「なるほど、また・・か」

 グレイヴィア。

 青の始祖竜から加護を賜った公爵家の名だ。つまり、六大貴族の一角ということになる。確かに公爵家の娘であればドラグランジュのことを調べ上げることは可能だろう。というかランベール王国に帰ってきてからというもの、やけに六大貴族との関わりが多い気がする。

 今は没落したが、未だ『六大貴族』として名前だけは挙げられるフランヴェリエ公爵家。

 ジークを呼び寄せた、ラザリュス魔道学園を管理しているシュレッサー公爵家。

 そして今回は王国の北方の地を広く領土としているグレイヴィア公爵家である。

「大貴族のお嬢様が俺になんの用だ?」

「……お願いがある」

 フリジット・グレイヴィアは静かな声で淡々を告げる。


「……私を弟子にして」


 ジークを見詰めるスカイブルーの瞳に濁りはなく、どこまでも本気だった。

「悪いが、今はまだ弟子を取る気はない。腕のいい魔巧技師ならたくさんいる。他をあたってくれ」

 一瞬も悩む必要なくジークは断った。弟子入り志願者はこれまで何人もいたのだ。その度にスッパリと断ってきた。これは父親が生きていた頃も同じで、ドラグランジュ家は不必要に弟子を取らないようにしている。竜装の技術を広めない代わりに、悪用されず守れてきたのはこの伝統のおかげだ。

 一回で諦めてくれるなら楽なのだが、そんな聞き分けのいい奴ならそもそも志願などしない。フリジットも例に漏れず首を横に振った。

「……それじゃダメ。竜装の魔巧技師の、あなたの弟子になりたい」

「なぜ?」

「……夢のため。私は世界最高の魔巧技師になる必要があるから」

 そう言うと、フリジットは右手を天に翳した。その手首には青色の腕輪が嵌められており、小さく掘られた魔道文字の刻印が淡い輝きを放つ。

 すると――ゴォオオオオオオオオオッ!!

 上空から凄まじい噴射音が降りかかるように轟いた。機械的な駆動音も聞こえ、『それ』に気づいた周囲の学生たちが悲鳴を上げながら逃げ散って行く。

 フリジットの背後に舞い降りたのは――ジークの身長の三倍はあろうかという機械仕掛けの巨人だった。

 両肩には筒状の砲身が二本ずつ伸び、両手にはこれも機械仕掛けの湾曲剣が握られている。青と白の美しいコントラストの装甲はピカピカに磨き上げられ、その価値のわかる人間には一種の芸術品にも見えることだろう。

魔巧機装兵エクスマキナか。お前が作ったのか?」

「……そう。名前は『アーサー』。私が設計・開発した」

 ジークとフリジットは巨人の着地による爆風で乱れた髪と服装を整える。

 魔巧機装兵。

 駆動車の普及が始まった頃から軍用目的で開発研究が行われている戦術級魔巧兵器だ。竜装が古代文明の叡智だとすれば、こちらは現代文明の最新鋭。まだどの国でも開発テスト段階だが、量産化に成功すれば一気に軍事力の趨勢が変わるだろう。

 ジークも魔巧技術大国であるレーヴェンガルド帝国で開発に携わったことがある。だからこそわかるが、魔巧機装兵は個人で作ろうと思ってできるような代物ではない。膨大な時間と資金と人手があれば可能だろうが……そこは公爵家の力が大きいと思われる。

「……ジーク・ドラグランジュ。あなたも、竜装技術を後継者に伝えたいはず。この子だけじゃ私の技術力を計れないなら、工房に案内してもいい」

「いや、学生とは思えん技術力だ。だが竜装は諦めろ。ドラグランジュの者以外に伝えることは許されていないからな」

「……なら、私もドラグランジュになる」

「は?」

「……あなたと結婚する」

 流石のジークも意味を理解するのに数秒かかった。

「待て、俺に幼女趣味はないんだが……」

「……私、十六歳」

「デジャブ」

 最近の十六歳は発育がよろしくないのだろうか? いや、彼女の背は確かに小さいが、胸の辺りはアリスお嬢様が可哀想になるくらい成長している。身長に行くはずの栄養がそっちに行ってしまったのかもしれない。

「公爵家の娘だろ。そんな勝手なこと許されるのか?」

「……私は三女。だから、問題ない。えっちぃことも、頑張る」

 ポッと雪のように白い頬に朱を差して小さな手で握り拳を作るフリジット。後ろの魔巧機装兵――『アーサー』の威圧感が凄過ぎてだいぶシュールな絵になっていた。だが、そんな可愛い面白い仕草をされようともジークの考えは揺るがない。

「とにかくダメだ。弟子を取ることも、結婚も、俺はまだする気はない」

「……いつ? 卒業したら?」

「そうだな、あと百八十年後くらいだな」

「……そんなに待てない」

 フリジットはむすっと頬を膨らました。アリスフィーナなら人間がそこまで長生きできない点にツッコミを入れてくれただろう。

「……お願い。私を弟子にして」

 ピタリ、と。

 フリジットは豊満な胸を押しつけるようにジークに抱き着いた。感情の起伏が乏しい彼女だが、今は恥ずかしいのか耳まで真っ赤になっている。恥ずかしいならやめればいいのに、とジークが溜息をついたその時――


「なななななななにやってんのよあんたたち!?」


 聞いているこちらまで動揺してしまいそうな慌てた怒号が飛んできた。

 視線を上げれば、顔を髪の色と同じくらい真っ赤に染めたアリスフィーナが指を差して立っていた。

「……チッ、邪魔が来た」

 今、下から物凄いあからさまな舌打ちが聞こえた気がする。

 しかしアリスフィーナには聞こえていなかったのだろう。ずかずかと気持ち蟹股でジークたちの方へ近寄ってきた。

「フリジット・グレイヴィア! あんた、そいつから離れなさい! そいつは危険よ! ヘンタイよ!」

「おい」

 どう考えてもジークはなにもしていない正義なのに酷い言いがかりである。

 フリジットは離れるどころかさらにぎゅっと抱き着く力を込めた。

「……やだ。私はジークと結婚する」

「ふあぁっ!? けっこッ!? そ、そ、そんなの許さないんだから!?」

 ぼふん! アリスフィーナの顔から爆発したように湯気が上がった気がした。フリジットはジークに抱き着いたまま首だけを動かし、アリスフィーナを視界に捉えて口を開く。

「……アリスフィーナ・フランヴェリエ。ジークはあなたのなに?」

「え? な、なにって……えっと……その……財布?」

「おい」

 食事以外にもなにか買わせるつもりだったのだろうか、このお嬢様は。

「と、とにかく結婚なんてダメなんだから!? ダメったらダメ!?」

「……没落マナイタの許可なんて必要ない」

「牛チチ機械臭にわたしの下僕はあげないんだから!?」

「おっと財布から下僕にクラスチェンジ」

 ジークはなんか非常に面倒臭いことに巻き込まれたことを内心で認めつつ、もうどうにでもなれ精神で空を見上げるのだった。雲が白い。

「表出なさい! 決闘よ! 決闘!」

「……望むところ」

 なぜか涙目のアリスフィーナと、ようやくジークから離れたフリジットが睨み合いで火花を散らす。

 今のうちにバックレようと思ったジークだったが、いつの間にか両腕を二人にがっしりと掴まれていたため叶わぬ作戦に終わった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ