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Episode2-2 ラザリュス魔道学園

 ラザリュス魔道学園。

 学術都市ルサージュの約半分を占める王国唯一の魔道師養成機関である。

 ルサージュ一帯を領地とする大貴族――シュレッサー公爵家が運営管理を任されており、『ラザリュス』とはその初代頭首――古の時代に緑の始祖竜から加護を与えられた英雄の名から取っている。

 学生数は二千人超。貴族や平民を問わず、魔道師の素養のある者が国中から集い今日も勉学に励んでいる。

 入学の資格は十五歳から得られ、五年間の勉学を経て卒業する頃には魔道師として飯を食って行けるほどの実力は身についているだろう。ランベール王国で魔道師またはそれに準ずる職業を目指すならば避けては通れない道、とまで言われているくらいだ。

 その分進級は厳しく、退学や留年する学生の数が卒業生を上回った年もあったらしいが……まあなんにしても、既に魔巧技師として生計を立てているジークにとっては関係ないことだ。

 関係ないはずなのに――

「おい、なんで俺がお前んとこの制服を着せられてんのか訊いてもいいか?」

 ラザリュス魔道学園に保管されている緑の始祖竜――エルルーンの竜核で竜装を制作する仕事を引き受けたジークは、その翌日の午前中に早速学園まで足を運んでいた。だが学園の第一正門をくぐった途端に物騒なメイド部隊に拉致され、気がついたらこんな格好に着替えさせられていたのだ。

 以前アリスフィーナが着ていた制服と同じ、明るいベージュと黒いラインのブレザー。流石にスカートではなくズボンだが、サイズがピッタリ過ぎて薄気味悪さを感じる。

 場所は学園内で最も高い、壁に大時計が埋め込まれた建物の最上階――学園長室だ。部屋の主はアンティークな執務机の向こうで眼鏡の位置を直すと、入口の前に立って苛立たしげに質問を投げかけたジークを見て――

「ぶふっ! ジークちゃん超似合ってるよーっ! 馬子にも衣装っていう東国の諺が具現化したみたいだねぇ!」

 必死に笑いを堪える顔でぐっとサムズアップした。

「似合わねえのは承知してんだよ。まあいい、今の内に笑っとけ。五秒後には首を飛ばす」

「え? 気に入らない? 女子の制服の方がよかった? 女子の……ぶっはきっもっ!」

「五……四……三……」

「待って待って待って!?」

 腰に佩いた魔巧剣を鞘から抜いたジークに学園長――ヴィクトラン・ド・シュレッサーは真剣に命の危機を感じたようで慌ててストップをかけた。

「二……一……」

「待ってって言ってるよね!? ごめんホントごめん冗談です僕が悪かったでございます!?」

 ゼロまでカウントしたところでジークは剣を鞘に収めた。ヴィクトランの顔は真っ青だった。

「し、心臓に悪い……」

「お前のおふざけに付き合うために来たんじゃない。エルルーンの竜核はどこにある? まずは現物を見たい」

 制服に着替えさせられたことはもう構わない。よく考えれば、いつもの黒衣で学園内をうろうろしていたら今ごろ不審者として通報されていた可能性もある。

「ああ、それについてはもう少し待ってもらうことになるよ。竜核は念のため封印していてね。君が来てから解印作業を始めたから……そうだね、早くてもあと一、二時間はかかるかな」

「なるほど、厳重だな」

「始祖竜オリジナルの竜核が得体の知れない組織に狙われているとあっては、これでも足りないと思っているよ」

 解印方法を知っている者でも一時間もかかるような封印がそう容易く破られるとは思えない。が、だからと言って安心できないのはジークも同感だ。なにせその得体の知れない組織は強大な始祖竜を倒してしまうほどの力を持っているのだ。

「そうなると暇だな」

「だったら学園を見物してくるといいよ。ジークちゃんの編入手続きは終わってるから、なんなら講義を受けてもいいんじゃないかな? それとも時間的に商業区の喫茶店で昼食にでもするかい?」

 パチンと指を鳴らして『名案』とでも言いたげなドヤ顔を見せるヴィクトラン。なるほどそれも悪くない、と思いかけたジークは一部不穏な言葉に引っかかった。

「ちょっと待て、編入なんて聞いてねえぞ?」

「今言ったからね。まあ、形だけだよ。僕たちにも立場があってね。部外者に学園内を歩き回られちゃ困るってこと」

「ならいいが……」

 普通の学生生活を全うしろ、などと言われた日にはジークは即断即決で今回の話を無しにする気構えだった。

「講義や学費諸々は免除してるけど、魔巧技師としても最新の魔道学は勉強して損はないと思わないかい?」

「……暇だったらな」

 魔巧具とは言ってしまえば『特定の魔道術を込め自在に発動できる道具』である。当然、制作側は魔道術の知識も必要になる。ジークは旅をしながら父親から基礎を習い、様々な国の魔道学を独学で取り入れてきた。今さら必要ないと言って突っ撥ねることは容易だが、自分の技術力を高めるためなら講義とやらを受けてもいいかもしれない。

 もっとも、ジークは魔道学の知識こそ豊富だが、魔道術はほとんど使えない。これは魔巧技師全般に言えることだが、人間が魔力を練り回路を確立させ術を行使するための『詠唱』を覚える必要がないからだ。

 魔力も回路も術式も元から魔巧具に組み込まれている。もちろんそれはあくまで『道具』としての範疇であり、アリスフィーナがやってみせた『道具』を介さない付与魔道術や炎の魔道術などは扱えない。

 魔巧具は魔巧具。魔道師は魔道師。できることは似ているようで全然違う。だが、その基礎となる知識はどちらも同じだ。

「本当は案内人を呼んでいたんだけど、彼女も学生会で忙しいみたいなんだよねぇ。合流するまで一人でテキトーにぶらぶらしておくといい。あっ、講義を聞きに行くのなら君のクラスは三年のアメジスト教室だよ」

「お前が案内してくれるんじゃないのか?」

「え? ジークちゃんは僕と学園デートしたいの?」

「それは気持ち悪いな」

 ジークは執務机に積み上がった書類に目を向け、ヴィクトランも実は死ぬほど忙しいことを察して静かに踵を返すのだった。


        †


「ふんふふ~ん♪」

 ご機嫌な様子で鼻歌を弾ませながら赤髪の少女――アリスフィーナ・フランヴェリエは学園の商業区を歩いていた。

 広大な学園の敷地内にある、学園の許可を得た商人たちが店舗を出している区画だ。物品の売買はもちろん、飲食店も貴族御用達の高級レストランから大衆食堂まで豊富に揃っている。ラザリュス魔道学園は全科目完全自由選択制を採用しているため、基本的にどの時間でも講義の合間に足を運ぶ学生は多い。恐らく学園で最も賑わっている区画だろう。

 アリスフィーナは嘆かわしいほど平坦な胸に大事そうに抱えた袋を見て、嬉しさのあまり花咲くような笑顔を零す。

「ふふふーん♪ 今日はいつもより多く食パンの耳貰っちゃった。これで二日、いえ三日はご飯に困らないわ♪」

 嬉しさの基準が非常に残念なレベルまで下がっていることに、貧乏貴族の彼女はもう疑問にすら思わない。

 全財産を絞り出して竜装と勘違いした剣を買ってしまってから、アリスフィーナは場合によっては水だけで一日を過ごしたこともあるのだ。パンの耳が食べられる。なんという幸せ。

 黄の始祖竜の山から帰還して四日。お金を稼ぐためにアルバイトを探しているものの、残念ながらまだどこにも採用されていない現状である。

「ううん、もっと行けるわ。多少カビてもいいからきっちり配分を決めて五日――きゃっ!?」

 ぶつぶつと食パンの耳の長期間配食計画を組み立てながら角を曲がろうとした途端、アリスフィーナは誰かとぶつかって尻餅をついてしまった。

「あ、悪い――ん?」

「いったぁ~……ちょっとあんた! ちゃんと前見て歩きなさ――んんっ?」

 自分のことなど棚に放り上げて怒鳴り散らそうとしたアリスフィーナは、ぶつかった相手の顔を見て思考が停止した。

 黒髪に黒い瞳。整った輪郭。どこかで見た青年の顔。

 停止した思考が徐々に動作を再開する。アリスフィーナの視覚から青年が纏っている学園の制服を取っ払い、代わりに真っ黒な外套を装着させることで記憶が一致。

「よう、アリスお嬢様じゃねえか。四日ぶりだな」

 声を聞いて確信。思い出すと同時に叫んでいた。

「じ、ジーク・ドラグランジュ!? なんであんたがここにいるのよ!?」

 ドラゴンの試練に挑む時に出会い、いろいろと手助けしてくれた魔巧技師がそこにいた。アリスフィーナに赤銃の竜装を譲ってくれただけじゃなく、命まで救ってくれた大恩人。けれども素直に恩を感じさせてくれない捻くれ者。

「その制服……あんた、この学園の学生だったの?」

 始祖竜に挑んで戦利品を大量に持ち帰ってくるような魔巧技師が在学しているなんて、アリスフィーナは今まで聞いたことがない。

「いいや、これは学園で怪しまれないように変装してるんだ」

「へ、変装? なんで?」

「決まってんだろ? お前から竜装の取り立てをするためだよ」

「ひぅっ!?」

 ビクン! と肩を跳ねさせて涙目になるアリスフィーナ。いつかは来るだろうと覚悟していたが、まさかこんなに早いとは思っていなかった。『取り立て』という言葉に体がガタガタと震え始める。

「ご、ごめんなさい……まだ、なにも、その、用意……できてなくて……」

「冗談だ。今のお前から一体なにを毟り取れるんだよ?」

「心臓に悪いわ!?」

 つい先ほども同じようなことをジークは言われているが、当然ながらアリスフィーナはそんなことなど知る由もない。

「ところで……ふむ、今日も白か」

「?」

 ジークが顎に手をやってなにやら視線を下げてきた。首を傾げるアリスフィーナだったが、すぐに自分の状態を思い出して――バッ! 光速でスカートを押さえた。

 かぁああああっと顔が熱くなるのを感じながら立ち上がり、目の前でニヨニヨしている野郎を睨みつける。

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すぅううううッ!?」

「おう、元気そうでなによりだ」

 腕を振り回してアリスフィーナは殴りかかったが、ジークはその悉くをひょいひょいかわす。傍目には幼稚に見える攻防は、アリスフィーナの息が切れるまで数分間も続いた。

「ぜぇ……ぜぇ……それで、本当はなにしに学園に来たのよ?」

「仕事だ。その一環で学園に編入することになった。俺は一個上だからよろしくな、後輩」

 こいつを先輩だなんて死んでも呼ぶ気にはなれない。

「学園に編入って……なんの仕事よ?」

「さあな。それよりも、その散らばったやつ拾わなくてもいいのか?」

「へ?」

 ジークの指差すその先を見る。袋から飛び出た食パンの耳が無残にも地面に転がっていた。アリスフィーナの頭は一瞬で真っ白になり――


「ひやぁあああああああああわたしの一週間分の食料がぁあああああああああッ!?」


 いつの間にか一週間持たせることになっていた計画が、一瞬で破綻したことを知るのだった。

「どどどどうしてくれるのよ!?」

「悪い、まさかそこまで食料事情が貧困だったとは」

「貧困言うな!? 食パンの耳は贅沢品よ!? それが……それが……うわぁああああん!?」

「うわぁ……」

 心の底から憐れむような目になったジークは、ガチ泣きして殴りかかってきたアリスフィーナの拳を今度は避けなかった。


 我が子を失ったように嘆き叫ぶアリスフィーナは周囲の注目を余裕で集めていた。

 その中に一人、アリスフィーナではなくジークを見詰めている女子学生の姿があった。

「……ジーク・ドラグランジュ?」

 青年の名前を吟味するように口にする。

「……ドラグランジュ……もしかして」

 そしてなにか重要なことを思い出したかのように、少女の口の端が僅かに吊り上った。


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