最終話 郷里をのぞみて
『…………はい?』
ナキサワメは完全に虚を突かれていた。
一瞬、彼の言っていることが理解できなかった。
この少年には幾度となく驚かされてきたが、まさか最後の最後で、しかもこの状況で、ここまで予想を超えた発言が飛び出てくるとは思いもしなかったのだ。斜め上的な意味で。
「ちょっと夜渚くん!? なんでこのタイミングで逆張りしてるの!? またいつもの発作なの!?」
「"いつもの"とは何だ失礼な。まるで俺がへそ曲がりのしょうもない奴みたいに聞こえるだろうが」
「自覚無かったの!?」
化け物を見るような目で距離を取る晄。ナキサワメも同じ気持ちだった。
だが明は遠ざかるどころかこちらに詰め寄り、握り拳を培養槽に叩きつけた。その目は怒りに燃えている。
「どうやら2000年も惰眠をむさぼっていたせいで脳細胞がチーズになってしまったようだな。何が未来を頼むだ。お前は今まで何を聞いていた? 俺が何を言わんとしているのかまだ理解できないのか?」
眼筋を震わせながら凄みを利かせる明。しかし怒りの理由が分からないナキサワメは戸惑うばかりだ。
「お前といい鳴衣といい斗貴子といい、どいつもこいつも自分の感情ばかり優先しおってからに。だから自己完結する女は嫌いなんだ」
『は? いや、だから私は君たちを信じて──』
「全て背負っていくと言ったばかりだというのに……何を訳知り顔で一抜けしようとしてるんだお前は! お前も連れて行くに決まっているだろうが!」
『────っ』
またも拳が振るわれ、培養槽が大きく揺れた。ナキサワメと共に。
今度ばかりは、本当に予想を超えてきた。
『……はぁ。君は本当に』
「このままお前を見捨てて帰ったら俺がどんな目で見られるか考えてみろ。スクナヒコナはあれでぐちぐち下らんことを引きずる性質だし、ガキのヒノカグヅチはショックで何をしでかすかも分からん!
元はと言えば、こんなことになったのも全部お前ら高天原のせいだろうが! 辞世の句を考えている暇があったら必死こいて働け! 自分たちが作り出したものに責任を取れ!」
『君さっきと言ってること違くない!?』
「やかましい! いいからさっさと出てこい!」
ぐわんぐわんと反響する打撃音にこめかみを押さえるナキサワメ。しかし彼女が首を縦に振ることは無かった。
『駄目。このまま飛来御堂が市街地に落ちたら大変なことになる。被害を少しでも減らすためには、ここに残ってバランスを維持し続ける必要があるの。たとえ命を落とすことになったとしても、ね』
「そこを何とかするのがお前の仕事だろう」
『その偉そうな喋り方やめてくれる!? 前の上司思い出して腹立ってくるんだけど!』
その時、広間の奥から絹を引き裂いたような放電音が聞こえてきた。
振り返る一同。
ショートした転移装置がもくもくと黒煙をくすぶらせていた。
「あーーーーーーーー!」
晄の悲鳴がホール内に響き渡る。
「ほら見たことか! 誰かさんがゴネたせいで帰り道が無くなってしまった!」
『ゴネたのはそっちでしょ!』
「設備の故障は管理者責任だ。メンテナンスを怠るからこういうことになるんだ」
『あのねえ……今の飛来御堂は暴れ牛と同じなの。どこもかしこも電圧異常で、もう何が起こってもおかしくない。
それでも私は最悪の事態を防ぐために壊れた区画を遮断してマニュアル操作で回路を再構築してなけなしのリソースでギリッギリ持ちこたえてる! これがどんだけ大変な作業なのか考えたことある!?
それもこれも全部君たちのせい! 君たちが考え無しに飛来御堂をぶっ壊しちゃったから!』
「やったのは俺じゃない。晄だ」
「夜渚くんがやれって言ったんじゃん!」
「ここまでやれとは言ってない!」
崩壊はさらに加速する。ホール全体に無数の亀裂が走り、そこから雨漏りのように電流が染み出してきた。
小刻みな揺れと共に飛来御堂が傾いていく。
「す、滑る滑る滑るっ! このままじゃ床が壁になっちゃうよ!」
「晄、光子で足場を作るんだ!」
「光子って何!?」
「そんなことも知らんのか!?」
「だって私理系じゃないもん!」
「文系だって赤点ギリギリだろぐおおおおおおおっ!?」
糸の切れた凧のようにきりもみ回転する飛来御堂。
培養槽を満たす保護液もまた嵐のように荒れ狂い、ナキサワメの顔を勢いよくガラス面に押し付けた。
──明と目が合う。
「追試だぞ、ナキサワメ。今度はしくじるなよ」
わずかに動く唇。
混乱のさ中にあるというのに、その言葉だけははっきりと聞き取ることができた。
「……ふふ」
笑う。
先ほどまでの焦りが噓のよう。ナキサワメの心はこれ以上無いほどに落ち着いていた。
何の心配も要らない。根拠は全く無いのに、なぜかそう思えた。
「早くしろー! 未来を託された俺たちが死んでもいいのかー!」
「そのセリフは人として終わってるよ夜渚くん!」
「人生終わりになるよりマシだろうが!」
崩壊の足音も、2人の叫び声も彼女には届かない。
彼女はただ一つのことだけを思っていた。
その瞬間、飛来御堂が震えた。
*
「──そうか、そちらはもう片が付いたのか」
『うん。ヒノカグヅチも話ができるくらいには回復したみたい。……どうする?』
「いや、もう少し時間を置いた方がいいだろうな。あいつには気持ちを整理する時間が必要だ」
『夜渚くんの方はもうちょっとゴタゴタする感じ?』
「いや問題無い。万事解決……とは言い難いが、さすがにこれ以上事態が悪化することは無いだろう」
探るような声色の望美に対し、明は疲れたような吐息を一つ。白い息は風に吹かれてあっという間にちぎれていった。
「何にせよ俺たちの役目は終わった。他に質問が無いなら切るぞ。今日はもう店じまいだ」
『了解。それじゃあ────え? 璃月さん、どうしたの?』
電話越しに小声のやりとりが聞こえた後、
『"人生初の遊覧飛行はいかがでしたか?"……だって』
「……二度と飛行機には乗らん。フェリーもだ」
『夏の修学旅行、北海道だけど』
「それは……俺だけ夜行列車とかで、何とかならんか?」
『ならんと思う』
性悪女の忍び笑いが聞こえてきたので明はすぐさま通話を切った。
それからしばらくスマートフォンをにらんでいたが、こちらに駆け寄ってくる足音に気付いて顔を上げた。
「うおーい、夜渚くんやーい!」
「どうした晄」
さながら水戸の印籠のごとくスマートフォンを掲げる晄。
「GPS、やっと繋がったよ! ええとね、今は~、大台ケ原だって!」
「田舎万歳だな。手近な場所に無人の野山があるとこういう時に助かる」
「でも、予定よりかなり東に流されちゃったね。ほら見て、向こうに富士山が見えるよ」
「ここに来て今さら富士山か? もっと見るべきものがあるだろうに」
「えへへ、それはそうなんだけどさ」
青草のたなびく高原から周囲を見渡す2人。
眼下に映る景色は大地を覆い尽くさんばかりの大森林。大地と空の境界には雪の冠をいただく山麓がどこまでも伸びている。家も、明かりも、道路すら無い。
この21世紀においてさえ、未だ太古の自然をありのままの姿で残している日本最後の秘境……大台ケ原。
そのただ中に、超特大の異物が鎮座していた。飛来御堂だ。
全長数百メートルの大四角錐は原生林を踏みつけながら我が物顔で横たわっている。掘り返された地面の上で、鹿の親子がおっかなびっくり様子をうかがっているのが見えた。
「これ……どうすればいいのかな?」
「どうもこうも無い。というか、どうにもならん」
飛来御堂が完全に沈黙した今、その存在を隠蔽する手段はどこにも無い。誰かに発見されるのは時間の問題だろう。
それどころかすでに見つかっているのかもしれない。衛星写真や投稿画像で大盛り上がりする大衆を想像し、明は今から憂鬱な気分になった。
「政府には稲船経由で事情が伝わっていると思うが、だからと言っていつまでも隠し通せるような大きさではないしな。もはや成り行きに任せるしかない」
「ってことは、また奈良に世界遺産が増えちゃうの? いやぁ~ホント世界遺産多すぎで困っちゃうなぁ~」
「そんなことを言っていられる状況でもないと思うが……」
「などと言いつつ、ちゃっかり撮影の準備をする夜渚くんなのであった」
「まあ……映えるからな」
3枚撮って自撮りを1枚。最後に晄とポーズを取って、飛来御堂を中心に収めた。
目一杯ふざけて満足した明は、先ほどから黙ったままの彼女に目を向ける。
培養槽から出たばかりの彼女は明の上着を肩に掛け、少し離れたところで飛来御堂を見つめていた。
「不安か? これからの事が」
「そりゃあ、ね」
ひやりと湿った草の上、膝を抱えて縮こまるナキサワメ。明はその隣に座ると、彼女と同じ方向に視線を向けた。
「遅かれ早かれ飛来御堂の存在は露見する。飛来御堂だけではない。いつの日か、遺跡や異能、そして高天原に属する数々の事実が白日の下にさらされるだろう。それは俺たち荒神とて例外ではない」
それがいつになるのかまでは分からんが、と明は続け、
「それでも人々は真実を求め、それらを糧に時代を進めようとする。かつてのお前と同じように、未来への希望を胸に携えてな」
「彼らが道を間違えないという保証は?」
「そんなものは無い。だがその時は俺たちが何とかすればいい」
「私たちの手に余る事態が起きるかもしれない」
「その時はもっと多くの者を抱き込むしかないな。世界中に声をかければ酔狂な連中の1ダースや2ダースすぐに集まるさ」
「それでも駄目だったら」
「"くそったれ"と声に出して言うと気分がすっきりするらしいぞ?」
ナキサワメは目を丸くすると、ふいに空を見上げて、
「くそったれえー!」
「いい調子だ」
そのまま地面に背中を投げ出すナキサワメ。幾重にもこだまする叫びが空のかなたに消えていった後、ナキサワメがこちらに顔を向けた。
「夜渚明くん、だっけ。何ていうか……ありがとね」
以前の張りつめた雰囲気はどこかに行ってしまったようだ。そこにいるのは少し野暮ったくて、どこにでもいそうな普通の女性。思うに、これが本来の彼女なのだろう。
「いい事も悪い事も、本当に色々な事があったけど……今ならはっきりと言える。私たちがこの星に来たのは間違いじゃなかった。高天原が人類と巡り会えたことは運命だったんだって」
控えめだが人好きのする笑顔。なるほど確かに鳴衣似だな、と明は一人納得していた。
面倒事が嫌いな明にとって今回の一件は迷惑以外の何物でもなかったが、その労苦に見合うだけのものを得ることはできた。
自分は今度も守ることができた。彼にとってはそれが唯一の報酬であり、最高の栄誉なのだ。
だから明は、本当に珍しく、気取らない素のままの笑顔で、
「ちょっと待て今何て言った? 星?」
「そうだけど……何?」
「は? …………はぁ?」
さっぱり意味が分からない。いや分かってはいるのだが、頭が考えることを拒否していた。
「……ははーん、なるほどなるほど」
「何がなるほどだ。そして何だその顔は」
「いやーメンゴメンゴ。私としたことがちょーっとばかし後輩くんを買いかぶりすぎたみたいね」
「いいからそのムカつく笑い方をやめろ。嫌な奴を思い出す」
ナキサワメはどこぞのオカルトかぶれを彷彿とさせる顔で、これまた何度も聞いたようなくだりを口にした。
「君たちは天之御柱に入ったことがあるんでしょ。だったらおかしいと思わなかった? 高天原はあんなに大きなものをどうやって作ったんだろうって」
「そこはお前、超古代文明の技術力というやつだろう」
「ふーん、じゃあ工期は? 必要な労働力は? 成層圏まで届く巨大構造物を作るのに必要な資源の量は?」
「……………………」
そうなのだ。技術はあっても足りないものが多すぎる。ならば論理的に考えて答えは一つだ。
しかし、その事実を認めてしまうのは……非常に面白くない。なぜならそれはいかにもバカバカしく、荒唐無稽で、あの男が泣いて喜びそうな結論だからだ。
ゆえに明は沈黙を貫き、ナキサワメはそれを敗北宣言と受け取った。
「ふふん、実を言うと天之御柱はこの星で建造されたものじゃないんだよね。あの船は不時着したの」
「……………………」
明は天を仰いだ後、力なくその場に倒れ込んだ。
怪訝な顔でこちらを覗き込む晄。からかうように体をつつくナキサワメ。何もかもが面倒臭くなってきた明は不貞寝するように顔を背けた。
「"この世界にはまだまだ私たちの知らない神秘が隠されている"……か。やれやれ、うんざりだ」
いつかどこかで耳にしたフレーズを今一度繰り返す。
視界にはコバルトブルーに染まる夕刻の空。西の空には星が輝き始めていた。
荒神学園神鳴譚:外伝 完
今度こそ本当に完結です。最後までお読みいただきありがとうございました。




