第十六話 あの時差し伸べた手は
十六話と十七話は倶久理視点。だいたい二十話ぐらいで最終章を締められるはずです。
白峰倶久理は己の弱さを自覚している。
彼女には風のごとき速さも、岩を砕く怪力も、相手の心を読む力も無い。
できるのは霊と語らい彼らの助力を得ることだけ。一人では何もできない、他力本願な荒神なのだ。
もちろん霊に対する感謝の気持ちを忘れたことは無いし、自身の能力に不満を持っているわけでもない。
ただ、たまに考えてしまう。
もしもこの力に頼れなくなった時、自分には何が残るのだろう?
自分のちっぽけな手は、未来に繋がる何かを掴むことができるのだろうか?
悩み続けた疑問の答えを出す時はすぐそこまで迫っていた。
「──こっくりさん、おいでくださいっ!」
業火渦巻くエレベータールームに切なる叫びがこだまする。倶久理が十字を切りながら動物霊に攻撃を命じたのだ。
しかし呼びかけに応える者は無く、彼女の声は戦の喧騒にかき消されてしまう。
(駄目、やっぱり出てこない……!)
かすかな吐息に悔しさを滲ませる倶久理。
代わってあたりを席巻するのは品の無い笑い声。それは前方にそびえる鉄の塊から聞こえてくる。
「ひゃははははははは! 逃げろ、逃げろ! 惑え、惑え! 慌てふためき、泡を食い、鼻を垂らして泣き叫べぇ!」
それはソドムの都に匹敵する背徳の象徴。またの名を戦争の現神カナヤマビコという。
体を成すのは銃砲刀剣八百万。人が人を傷つけるために生み出した全てのもの。
床には太いチューブが何十本も接続されており、もう一方の先はカナヤマビコの腹部にある大口径主砲へと伸びている。
チューブに流れる青い光は雷の奔流だ。それが砲身に流れ込んだ時、倶久理はとっさに体を伏せていた。
「──!!!!」
耳を塞いでも聞こえてくる砲声。とてつもない質量の何かが衝撃波と共に頭上を飛び越え、御柱を震わせるような大爆発を起こした。
破壊の炎は敵も味方も区別無く、触れるものみな喰い尽くす。頭を振りつつ顔を上げると、砲撃に巻き込まれた何十人もの八十神が炭と化していくところだった。
「ったく、さっきから何なんだよこのメガトン砲はよぉ。前見た時はここまでぶっ壊れた性能じゃなかったぜ?」
構えた刀をそのままに、逆の手で冷や汗を拭う黒鉄。それに答えたのはクロエだ。
「メガトン砲じゃなくて電磁砲ですよ、ヤンキー先輩。あの現神は御柱から吸い上げた電力で砲弾を加速させてるんです」
「は? そんなんできんのかよ」
「ローレンツ力の応用ですよ。二年生ならもう授業で習ったはずですけど」
「あーあれな。完っ全に理解したわ」
「……まあいいです。とにかく私が言いたいのは、あの大砲は凄い速さで弾を撃ち出せるってこと。それと…………うわ」
クロエが眉をひそめる中、主砲に再び大電力が供給されていく。黒鉄の横では稲船が腰を抜かしたスクナヒコナを抱え上げていた。
「弾速が上がれば飛距離も伸びる。通常なら重過ぎて飛ばないような高火力の弾頭を搭載することができるんだ。……また来るぞ!」
脱兎のごとく走り出す一同。倶久理も皆の後を追い、カナヤマビコの正面から離れようとするが、
「逃がすかよ!」
回頭する主砲。その先端が倶久理の方を向いた。
「喜べ雌豚! 前菜代わりに貴様を料理してやろう!」
「うら若き淑女を豚呼ばわりだなんて、育ちの悪さがうかがい知れますわ!」
「この俺なりの褒め言葉よ! 豚は死ぬほど嫌いだが、豚の丸焼きだけは大好物だからなぁ!」
発射音に合わせ、身を翻すように跳躍。耳元を砲弾がかすめたかと思うと、随伴する風圧が殴りつけてきた。
華奢な体は木の葉のように吹き飛んで、空中で山なりの軌道を描く。受け身を取りつつ着地を終えると、倶久理はもう一度霊の召喚を試みた。
「こっくりさん、おいでください!」
言霊に思いを込めて、先ほどよりも強く叫ぶ。
一瞬、彼女の周囲に青いもやが浮かび上がる。しかし、それは強烈なノイズに侵され、明確な形を得る前に霧散してしまう。
霊はまだそこに存在しているのだが、現実世界に干渉する力を得ることができないのだ。
倶久理は恨めしげな目でカナヤマビコを……正確にはカナマヤビコの電磁砲をにらむ。
あれの生み出す強力な電磁場が、プラズマ体である霊の活動を阻害している。
原因が分かっていても自分にはどうすることもできない。無力な自分は皆の戦いを傍観することしかできない。
「くそっ、埒が明かねえな。あんなもんをバンバン撃たれたら近付くことすらできやしねえ」
「だが、距離を詰めたからといってどうにかできる相手でも無いだろう。見たまえ」
カナヤマビコの足元では斗貴子が白兵戦を繰り広げていた。
持ち前のスピードでカナヤマビコを翻弄し、表面に生えた鉄腕や武器を少しずつ剥ぎ取っていく。
だが、それでも一向に敵が弱体化する気配は無い。与えたダメージを上回る速度で新たな兵器が生えているのだ。
「ああもうっ、いくらなんでも皮下脂肪つき過ぎですよ! もう少しスマートな体つきを目指すつもりは無いんですか?」
「くくく、では、お望み通り身軽になってやろう。ちょうど腹の中の弾薬を持て余していたところだ」
カナヤマビコの全身から黒い針のようなものが突き出てくる。
そう見えてしまったのは倶久理が遠くにいたせいだ。落ち着いて焦点を結べば、それが無数の機関銃だということが分かる。
斗貴子が素早く距離を取り、同時に全ての銃口が火を吹いた。
「いけませんっ! 皆さん、物陰に隠れてくださいっ!」
悲鳴同然のスクナヒコナの声。そして、全方位に拡散する数千の弾丸。それはもはや弾丸の壁といってもいい密度を有していた。
倶久理は急いで走り出そうとするが、明らかに彼女の足より弾丸の方が早い。その目が怯えるように見開かれ、
「危ないっ!」
斗貴子に手を引かれ、エレベーターの陰に転がり込んだ。
横殴りの豪雨が床や柱を穴だらけにしていく。
幸い他の仲間たちは安全地帯に隠れることができたようだが、それ以外の者はそうはいかなかった。
「……倶久理さん?」
斗貴子が心配そうに見つめる中、倶久理は呆然とした顔で硬直していた。
「八十神が……」
破壊の雨が過ぎ去った後、そこにはおびただしい数の八十神が横たわっていた。
体中をハチの巣にされ、穴という穴から血を吹き出し、何の意味もなさないうめき声を上げながらゆっくりと溶けていく。
「……むごすぎますわ」
敵が敵を巻き添えにしただけ……などと割り切ることは、倶久理にはできなかった。
意思無き兵隊とはいえ、元は人間。しかもカナヤマビコにとっては味方のはずだ。
だが、当のカナヤマビコは心を痛めた様子もなく、それどころか自身の力を披露できたことでいたくご満悦だ。
倶久理にはそれが理解できなかった。
理解したくなかった。彼女の矜持にかけて、理解するわけにはいかなかった。
「どうして」
挑むように歩み出る。
「どうして貴方は笑っていられるんですの!? そこに倒れている方々は、ずっと貴方のために戦っていたのに!」
出したこともないような大声で、涙に濡れた瞳で。しかし、心は怒りで沸々と煮えたぎっていた。
「馬鹿げたことを言う豚だ。俺はまさしく神であり、八十神どもはそのしもべ。主が奴隷を気にかける道理など無い。むしろあの程度の攻撃で死ぬ方が悪い」
「思い上がらないでくださいまし! 神など、崇める者がいなければ単なる案山子に過ぎません! 貴方のような乱暴者を誰も神とは認めませんわ!」
「神を神たらしめるのは崇敬ではない。力だ!」
うなりを上げてチャージを始める電磁砲。だが、倶久理は臆さず前進を選ぶ。
「人は力を恐れ、恐れが畏れを作り、畏れが神を作る! 神が力を持つのではない! 力こそが神なのだ! ゆえに知れ! ヒルコではなく! ニニギでもなく! 豚どもでもなく! 力ある俺こそが! 真なる神だということを!」
「いいえ、違います! 貴方は力の意味を履き違えていますわ!」
いくつもの銃口が牽制するように倶久理を捉える。
倶久理は足を止め、懐から十字架を取り出した。
「神の力とは、人の心を救うための力。愛を知らず優しさを知らず、子供のように暴れるだけの貴方は……ただの野獣ですわ!」
自分は他者に頼ることしかできない。だが、声を上げることはできる。折れぬ心を見せることはできる。
正しいことをしていれば、きっと誰かが味方になってくれる。それは母が倶久理に何度も言い聞かせてきたことだ。
だから、今こそ倶久理は願う。
霊の助けを。
自分の意志に応えてくれる者を。
神の証を掲げ、雑念を払い、聖者のような純粋さで。
「おいでください──!」
最後の祈りが、電磁砲と機関銃の砲声に塗り潰されていく。背後で黒鉄たちの叫ぶ声が聞こえた。
その瞬間、祈りは聞き届けられた。
「──うそ」
倶久理は最初、目の前の光景が幻だと思っていた。あまりにも現実離れしていたため、死の間際に脳が都合のいい映像を見せているのだろうと考えたのだ。
だが、それは確かに現実だった。
機関銃の弾はひとつ残らず空中に留まっており、電磁砲弾は砲塔から顔を出したところで力尽きている。
カナヤマビコと倶久理の間には、巨大な霊体が立ち塞がっていた。
倶久理はこの輝きを知っている。自分は彼を見たことがある。
そして思い出す。
最後に会った時、彼は超高熱のプラズマ体……いわば霊体になりかけていたことを。
「貴方は…………ヒノカグヅチ!!」




