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敵襲、と繰り返し叫ぶ声が聞こえてくる。騎士たちは怪訝そうに階段の方へ目をやった。
「エランドの連中が動いたか。こっちの動きにつられたかね」
ジェイドさんが言った。
「まあ、挑発も兼ねた『散歩』だったから、狙いどおりではあるが……えらく素直な反応だな? これまでさんざん出し惜しみしてたくせによ」
「いや、どうもようすが変だ」
難しい顔をしたのはモンドさんだった。
「敵軍が動いたくらいであのような声を出すなど……いささか気になる。先に行くぞ」
言うなり彼は足早に階段を昇り始める。イリスとジェイドさんも目を見交わし、うなずき合った。
イリスが私を抱き上げる。ジェイドさんはさっさと階段へ向かっていた。
「大丈夫、自分で歩く」
「だめだ。さっき殴られただろう」
メイリさんの目を気にして抵抗する私を、イリスはきつく抱きしめて押さえ込んだ。歩き始めながら、少し落ち込んだ声を出す。
「ごめんな……」
「え?」
何を謝るのだろうと見れば、殴られた場所をそっとなでられる。
「痛かっただろう……ごめん」
「…………」
そうか。あの時も、イリスはどこかで見ていたんだな。
止めようと思えば止められたのかもしれない。でもあそこで出て来てしまったら、ベネットさんのたくらみを暴くことはできなかった。だから黙って見ていて……それを、謝っているんだな。
特に腹は立たなかった。私がイリスの立場でも同じことをしただろうし、本当に危険なら何を置いても助けてくれたはずだ。それにベネットさんがああいう行動に出るとまでは予測できなかっただろう。囮にされたのは、どっちかといえばメイリさんの方だし。
殴られた場所は今も鈍く痛み続け、頭にも伝わって気分が悪い。でもここはエンエンナの宮殿じゃない。私が具合を悪くすればすぐに医師が呼ばれ、女官たちが世話を焼いてくれる場所じゃない。日々死者の数が増え続ける最前線だ。望んでそういう場所に来ていながら、ひ弱なことは言っていられない。
「だいじょうぶ」
私は目の前にあるイリスの頬をなでた。彼の方が痛そうな顔をしている。私を巻き込んだことや、もしかしてベネットさんの心の傷の原因になったことにも、胸を痛めているのだろうか。
「イリスは、するべきことをしたんでしょう。辛い結果がともなったとしても、間違いではないわ」
前を向いたままイリスは静かに息を吐き、私の頭に頬を寄せた。
イリスが自分を責める必要はない。ベネットさんは自分の苦しみに負けて、何かに転嫁しなければいられなかっただけだ。
メイリさんも視線を落とし、何かを考え込んでいる。それ以上誰も言葉をかわすことなく、足早に地上へ戻った。
外へ近づくにつれて、奇妙な音が聞こえてきた。低くうなるような、この音は何だろう。どこから聞こえてくるの? 砦の中じゃない。外から――空からだ。
どこかで聞いた音だった。自然の出す音ではなく、人工の――何かの機械音だ。これは……この音は……。
「なんだ、あれは」
先に外へ出ていたモンドさんが、空を見上げて驚いていた。私たちもみんな空を、音が降ってくる先を見上げる。冬色の鈍い光の中に、黒い影がいくつもあった。
「竜……? いや、違うな。なんだありゃあ」
ジェイドさんがつぶやく。空を飛ぶ影は、生き物の動きをしていなかった。イリスの腕の中で、私は言葉を失った。全身に鳥肌が立ち、身体が震えた。異変を察してイリスが「どうした?」と聞いてくるけれど、それに答える余裕なんてなかった。
そんな、どうして。
飛影から目が離せない。背筋を悪寒が走り、身体中へと広がっていく。
影が何かを産み落とした。バラバラと落下してくるものを見た瞬間、私は叫んでいた。
「逃げて――っ!!」
――みんながどう反応したのか、すぐにはたしかめられなかった。イリスは私を抱え込み、柱の陰へ飛び込んだ。直後に爆発音が響いた。私は身をすくめ、イリスにしがみついた。
どうして、どうして、どうして。
どうして――!
「……っ、ジェイド! メイリ!」
顔を起こしたイリスが仲間を呼ぶ。すぐにジェイドさんの声が返った。
「大丈夫だ! おいメイリ、平気か?」
「だ、大丈夫です」
彼らは彼らで、どうにかその場を逃れていた。メイリさんのことは、ジェイドさんがかばったらしい。無傷らしい姿にほっとなる。イリスはすぐに他の人をさがした。
「モンド殿!」
回廊の外が燃えていた。可燃物なんてなさそうな庭に、まだ炎が上がっている。炎の間に見えるのは、人の脚だろうか。
「モンド殿!」
「……ここだ」
離れた物陰からモンドさんが身を起こした。私の声にとっさに動けた人たちは、最初の爆発から身を守れたらしい。何が降ってきたのかわからなかっただろうに、戦士の本能が危険を察知して瞬時に逃げたのか。
「どうなってんだよ。いったい何が起きた。あの火はなんで燃えてんだ」
「ナパーム弾……」
荒々しいジェイドさんの言葉に、私はほとんど無意識に答えた。
「は? なんだって姫さん」
「どうして……」
「チトセ?」
不気味なうなりを上げながら、影は上空を飛び回っている。時折ばらまかれるものが、地上で爆発を起こしている。煙は砦の外からもあがっていた。うろたえ混乱する声が、ここまで聞こえてくる。
なんで、こんな光景がここにあるの。
「どうして……」
「チトセ? しっかりしろ。どうしたんだ」
イリスが私の頬に手を当てる。でも彼を見る余裕もなかった。
「どうしてこの世界に飛行機があるの!?」
二枚の翼を持ち、プロペラを回転させながら空を飛ぶ人工物。それはどこからどう見ても、飛行機以外のなにものでもなかった。
「ヒコーキ?」
「どうして!? なんで飛行機なの!? なんで空襲なの!?」
「おい姫さん、しっかりしろ」
「なんで――なんでこの世界にこんなものがあるのよ!?」
ありえない。空を飛ぶ技術は龍船のみ。それも龍の心臓石という、科学と不思議のはざまみたいなものでしか飛べないはずのこの世界に、なぜ飛行機が飛んでいるの。剣と弓矢で戦うこの世界に、なぜ爆弾が落とされるの。何故、何故、なぜ――!
「……あれは、チトセの世界のものなのか?」
イリスの問いに我に返った。彼を見、そしてもう一度空に目を戻す。
「……ちがう」
「え?」
「現代の戦闘機じゃない……昔の飛行機に似てる……」
零戦。いや、それよりもっと古いかもしれない。白黒の写真でしか見られないような、そんな飛行機の姿だ。
「この世界で、飛行機が発明されたの……?」
エランドで飛行機が発明された?
可能性なら、ないとは言えない。地球世界が中世から近世へ、近代、現代へと成長していったように、この世界にもいずれ科学技術が中心となる時代が来るだろう。いつか、自動車や列車の走る日が来る。飛行機も当たり前に空を飛ぶようになるだろう。
――でも、まだ早い。その素地となる技術が、知識が確立されていない。ライト兄弟が世界初の飛行に成功したのは、騎士が闊歩する時代ではなかった。今この世界に飛行機が現れるのは、早すぎる。
飛行機より車の発明の方が先だろう。そもそもあれは、何を燃料にして飛んでいるの? 飛行機の燃料はたしか灯油。昔の飛行機が何を使っていたのかは知らないけれど、原料が石油という点は同じだろう。
石油、と考えて、私ははっとなった。リヴェロへ行った時にカームさんと話したことを思い出す。エランドの秘密。不毛の地と思われていた北の島に、未知の財宝があるのかもしれないと。私はそれを、何かの資源ではないかと考えたのだ。
エランドから石油が採れるの……?
もし、そうだとすれば、酷寒の地に流された人々が生き長らえたことに説明がつくだろうか。冬の荒れた海をものともせず越えてきたのも、ただの帆船ではなく動力を持った船だから?
……わからない。二十一世紀の知識で考えれば、それらは一気に可能となる。でもこの世界で、いくら資源だけ手に入れたって、そこまでできるだろうか。原油のままでは使えない。精製の技術は?
何百年もの歴史の中で、エランドはひそかに他国と違う進化をしてきたのだろうか。
「また来るぞ!」
思考に沈む私を、ジェイドさんの声が引き戻した。飛行機の音がすごく近い。イリスが私を抱え、さらに奥へと避難した。
直後に振動が辺りを襲い、熱気が押し寄せてきた。砦が揺れ、壁や天井が崩れてぼろぼろと破片が落ちてくる。イリスが懸命に私を抱き込み、かばってくれた。
「中に逃げるのはだめ。かえって危ない。建物ごと爆撃される」
シェルターなんかじゃない普通の建物では、空爆から身を守ることはできない。生き埋めになるか、焼き殺されるかのどちらかだ。
イリスはうなずき、周りに向かって声をかけた。
「外へ出るぞ! 砦は攻撃の目印になってる! 立て籠もるのは危険だ!」
「出たら出たで狙い撃ちされそうだがな!」
やけくそじみた声で怒鳴り返したジェイドさんが、メイリさんを引っ張って走る。モンドさんも部下たちに脱出するよう声をかけていた。私たちも外へ向かう。途中何度か倒れた人を見かけたが、みんなもう息がなかった。炎の中に倒れていて、とても近づけない時もあった。
出口近くでまた倒れた人を発見する。私は思わず悲鳴を上げてしまった。それは、ベネットさんだった。
襲撃のどさくさにまぎれて逃げようとしたのだろう。彼を捕らえていた騎士たちも身を守るのに必死で、それどころじゃなかったはずだ。ここまで逃げてきて……でも、外まで出られなかった。
そばに膝をつき、確認したイリスが首を振る。彼は短く祈りの言葉をつぶやき、すぐに戻ってきた。泣きそうな私の手を引いて走る。
泣いている場合じゃない。しっかりしないと。敵の攻撃はまだ続いている。
外は、どうなっているのだろう。見回りに出ていたハルト様は無事だろうか。アルタとオリグさんは? トトー君にザックスさん、ケイシー卿やベール卿――みんな、どうしてる? お願い、無事でいて。
砦に残っていた騎士たちが、どうにか馬と竜を連れて外へ出る。そこで私たちはさらなる恐怖と向き合うことになった。
目の前に布陣してずっと動かなかった敵軍が、押し寄せてきている。銅鑼を鳴らし雄叫びを上げ、総攻撃を開始していた。
受けて立つロウシェン軍も、総員が砦から出ている。でも思いもよらない攻撃を受けて動揺し、混乱の極みにある。落ちついて戦える状況ではなかった。
モンドさんが馬に飛び乗り、駆けていった。指揮官の彼は、すべきことを瞬時に判断したらしい。大声で号令をかけ、右往左往する騎士たちを立ち直らせていく。
イリスとジェイドさんを呼ぶ声がした。飛竜隊の騎士たちが近くにいた。無事なようすにイリスたちはほっとした顔になる。けれどすぐに厳しさを取り戻し、遠くの一点へ向けられた。
「船が!」
誰かが叫んだ。ルルパ河に繋留されていた龍船が、きらめく水滴を撒きながら飛び立っていた。私達が見ている前で、どんどん高度を上げていく。
「そうか、陛下があちらへ向かわれたんだな」
ジェイドさんがそばへやってきた。イリスもうなずく。
「ああ、砦へ戻るより近かったんだろう。それにこの状況だ、砦はもうあきらめるしかない」
「しかし……」
気がかりそうにジェイドさんは空を見回す。さっきは突然の空襲に動揺し、数をたしかめる余裕もなかったが、こうして見てみると飛行機の数はそれほど多くなかった。多分五十……いや、三十もないだろう。攻撃手段は爆弾を落とすだけ。それも威力は小さく、落ちた周囲を破壊し燃やすくらいでしかない。無限ではないのだから、じきに底を尽くだろう。彼らの役目は先手を打ってこちらを動揺させることだ。
けれど――と、私はふたたび龍船を見た。あれは戦艦じゃない。公王が移動するのに使われる優雅な輸送船だ。大砲も機銃も積んでいない。普通の兵では手を出せない高い場所を飛ぶから、これまではいちばん安全な乗り物だったけれど、爆弾を積んだ戦闘機を相手にしてどうする? 戦うすべはあるの?
そう思った目の前で、敵機の群れが標的を変えた。一斉に龍船へ向かっていく。イリスが怒鳴った。
「飛竜隊、飛べ! 龍船を守れ!」
応の声がかえり、騎士たちが竜に飛び乗った。イリスは背から矢筒を下ろし、弓ごとメイリさんに放り投げた。
「お前も出ろ!」
「はいっ!」
「イシュ!」
呼び声に彼の相棒が駆けつける。飛ぶイメージしかない飛竜だけど、その気になればけっこう早く走る。鞍と長槍を装備されたイシュちゃんがイリスの前で身をかがめた。
イリスは私を見、一瞬迷ったようだった。けれどすぐに私を抱え、イシュちゃんの背に押し上げた。
「イリス、私は」
「ここに残していくのはもっと危険だ。がまんしてくれ」
後ろに飛び乗ってきたイリスは止める暇もなくイシュちゃんを飛ばせてしまう。私はイリスにしがみついて、急激な浮上に耐えた。
怖いからいやがっているんじゃない。私が一緒だと足手まといになると言いたかったのに。
でももう、そんなことを言っている暇はない。飛竜騎士たちは敵機を追って飛ぶ。
敵機へ向かって矢が射かけられた。機体に当たってもはねかえるだけだが、コクピットを保護するカバーはない。パイロットは風を受けて飛んでいる。そこを騎士たちは狙った。
竜と戦闘機の飛ぶ速さはほぼ互角だ。拮抗した戦いが空で繰り広げられる。
機首をこちらへ向けてくる一機があった。イリスは長槍を取り上げ、身構えた。投擲用ではない、長い穂先と斧のような刃も併せ持つ、ハルバードと呼ばれるタイプの武器だ。鋼が冬の太陽を受けて鈍く輝く。
「しっかりつかまってろ」
手綱を持つ右手で私を抱きしめる。プロペラのうなりが間近に迫る。
イシュちゃんが身体を傾けた。空中に放り出されそうになり、私は必死で両腕に力を込めた。イリスも痛いほどの力で私を抱きしめている。
すれ違いざま、イリスが槍を振るった。プロペラの音が背後へ遠のき、イシュちゃんが体勢を戻す。ほっと息をついた私は、さっきの機体があらぬ方向へ飛んでいくのを見た。機首が下がっている。そのままいくと、敵軍のど真ん中だ。
「見るな」
イリスが私の頭を抱え込み、視界をさえぎった。遠くで轟音が響いた。どうなったのか、たしかめるまでもなかった。
怖い――
襲撃が、殺し合いが、怖い。
戦争が怖い。どうしてこんなことをしなくてはいけないの。なぜ彼らは攻めてくるの。同胞を数多く死なせながらも、なぜ攻め込むの。
皇帝は、いったい何を望んでいるの。
他の場所でも何機か撃墜されていた。それでもまだたくさんの戦闘機が残っている。それらは龍船の周りを飛び、爆弾を落とす。
「ハルト様!」
空に炎の華が咲いた。白い船体が火と煙を上げている。続けざまにいくつもの爆弾が船に落とされた。
「――くそっ」
イリスがイシュちゃんを船へ向かわせる。他の騎士もならう。せめて、乗組員を避難させられれば。
けれどそれを敵機が阻む。船に近づけない。私たちの見ている前で、船は煙を上げながら制御を失ったのかおかしな方向へ飛んでいく。
その先には岩山があった。船の高度が下がっている。このままだと山に激突する。
「ハルト様! ハルト様ぁっ!」
操舵士も必死に頑張っているのか、ふらふらと危うい動きながら船はどうにか衝突を回避する。でも高度はますます下がっていく。山の向こうにあるのは、峡谷だ。
墜ちていく――燃える船が、深い谷間へと墜ちていく。
「いやああぁっ!」
伸ばす手はどこにも届かない。
どうして――いやだ――助けて。
お願い、誰か助けて。ハルト様を、船を助けて。
いやだ! いやだ! 行かないで! 死なないで!
――視界から船が姿を消す。山の向こうに上がる黒煙だけが、私たちの前に残された。
これが、狙いだったんだ。
敵が時間かせぎをするのは、援軍の到着を待つためだけじゃなかった。
長引けば私たちは援軍を警戒する。周囲を探索しようとするし、早期決着を望み退路の民衆を避難させる。その役目を負うのは飛竜騎士だ。もともと百二十ほどしかいない飛竜騎士は、各地への派遣でさらに数を減らしていた。三分の一以上が不在だった。
油断していたんだ……一騎当千の竜騎士なら、多少数が減ってもまだ十分な戦力だし、地竜隊がいるから大丈夫と。軍の主力は通常の兵士だし、敵の数に負けていなかった。もし不在中に攻撃があったって、問題なく対抗できると思い込んでいた。
気付くのが遅すぎた。やっかいな飛竜騎士を減らし、そこに何らかの攻撃をしかけてくるのではないかと思いついたのは、ほんの少し前のこと。
でもそれを、ハルト様に伝えることもかなわず。
まさか、あんな攻撃を受けるなんて。この世界で空襲を受けるなんて、思いもしなかった。思い上がりだったのだろうか。空を駆ける戦いは飛竜騎士にしかできないと決めつけ、敵より圧倒的に有利だと油断していた。敵がどんな攻撃をしかけてこようと、大丈夫だと思い込んで。
私のせいだ。私が、あんな提案をしたから。
その先を読めなかった。まんまと敵の術中にはまってしまった。みすみす味方を窮地に陥らせ、そしてハルト様を。
賢しらぶって、私が余計な口出しをしたから。
私が、あんなことを言ったから――!
「もはややむを得ん、この場は退くしかない」
「クルスク城まで退き、そこで体勢を立て直そう」
「お待ちください、陛下はどうするのです。お探ししに行かないのですか!?」
「行きたいのは山々だ! だがグレン峡谷は人の踏み入れる場所ではない。その前には敵軍がいて、どうやって行くと言うのだ!?」
「飛竜騎士に行かせればよいではありませんか! 陛下を失ったのでは、いくら体勢を立て直し戦ったとてもはや希望は――」
武将たちが怒鳴り合っている。戦闘はまだ続いている。ロウシェン軍を恐怖に陥れた戦闘機は、爆弾が尽きたか戻って行き、戦場には残っていない。元通りの、剣と剣での戦いになっていた。
戦力としては、まだ十分に互角以上。けれどロウシェン軍の旗色は悪かった。最初の空襲による動揺と、そしてなにより公王が行方不明という事態に、誰もが浮足立ってしまっていた。燃えながら墜ちていった船を、すべての兵が見た。総大将が生死不明という状況を隠すすべはなく、味方には動揺を、敵には勢いを与えてしまっている。
もう、この場に踏みとどまって戦うのは無理だった。
でも退却するというのは、ハルト様を見捨てることだ。アルタもオリグさんもいない。司令官や参謀を失って、どうするのか。国の守護者たる王を失ってどうするのか。
「落ちつかんか! 見苦しくうろたえるでない!」
ひときわ大きな声で怒鳴ったのはベール卿だった。
「陛下のことは今はどうにもできん。ご無事を祈るよりない。それよりも、ここで我らが総崩れになれば、後ろに広がる国と民を守るすべがなくなるのだぞ! 家族を守るため、我々は踏みとどまらねばならぬ!」
「し、しかし……」
「敵の小細工に驚かされはしたが、我々の戦力に大きな損失はない。体勢さえ立て直せば十分に戦える。もし――もしも、万が一陛下がお戻りにならずとも、だからといってあきらめるわけにはいかぬのだ! 王族ならば他にもいらっしゃる。ユユ姫とて王家に連なるお方だ。我々はまだすべてを失ったわけではない。しかしここでうろたえ自滅しては、残された希望もみな失うことになるのだぞ!」
ベール卿の叱咤を受け、武将たちの顔に生気が戻ってくる。主君の安否を気にかけつつも、彼らは配下を導き守る者として、今己がすべきことを確認したようだった。
「ジェイド、全員そろっていたか?」
「ああ、欠けた奴はいねえ。軽傷者が若干いるが、ほぼ無傷だぜ」
「トトー、そっちは?」
「空からの攻撃は回避したから、問題ない。まだみんな出て戦ってるけど、地竜隊は敵に避けられるんだ。むしろ追い回す側だよ」
「ザックスは?」
「ちょっと前に見かけたけど、今どこにいるかはわからない。騎馬隊はいちばん激しく戦ってるから、抜けてくるわけにはいかないんだろう」
イリスたちも仲間の状況を確認し合っていた。うろたえるようすはなかった。今後の行動について話し合っている。
私ひとりが状況についていけずうずくまっている。
忙しく打ち合わせをする武将たちから少し離れた場所で、声も出せず泣く私のもとへ誰かがやってきた。
「なにをへたり込んでる。泣く暇なんかないぞ」
厳しい声は女性のものだ。メイリさんが私を見下ろしている。
「覚悟して戦場へ来たんじゃなかったのか。いまさら泣くな」
「でも……」
情けないのはわかっている。けれど涙が止まらない。
「ハルト様が……私の、せいで……私があんなことを言ったから……っ」
「それで泣いてどうにかなるのか。しっかりしろ!」
メイリさんが私の腕をつかみ、強い力で乱暴に引っ張り上げる。その痛みが、飛んでしまいそうな私の意識をつなぎ止める。
「軍はお前一人の言葉で動いてるんじゃない。思い上がるな」
緑の瞳が間近から私をにらみつける。強いまなざしが私を励ます。
「誰にも予想できなかったことだ。それを悔いても何の役にも立たない。それより、この先を考えろ。戦いはまだ続いてるんだぞ」
「…………」
「お前の武器は知恵だ。奇襲から味方を守った時のように、知恵を出せ」
私は首を振る。そんなこと、もうできない。
「私の考えなんて……またみんなを危険にさらす……」
「そうならないことを考えろと言ってるんだ!」
両手で私の肩をつかみ、強くゆさぶる。叱りつける声には、懇願も含まれていた。
「考えてくれ。あたしには戦うことしかできない。敵の考えを読むことも、裏をかくことも、あたしにはできない。だからお前が考えてくれ。お前の策に従って戦うから!」
そんな――私に、策なんて。
気付けばみんながこっちを見ている。武将たちの視線を受けるのが怖かった。みんなに責められている気がした。顔を伏せてしまいそうになる私を、またメイリさんが揺さぶる。
「あの空飛ぶ兵器を、チトセは知っていた」
誰に聞かせるともなく、イリスが言った。
「なら、対処法もわかるんじゃないか。それだけでも教えてくれ。あの兵器以外は、僕らの知る範囲で戦える」
並ぶ顔はどれも厳しい。けれど責めてくるまなざしではなく、期待を込めてこちらを見つめてくる。
いまだかつて遭遇したことのない事態にどう対処すればいいのか、彼らにわからないことを教えてほしいと望まれている。
私はそれに応えられるだろうか。
……ここへ来る時、私にも何かできないかと考えていた。私は非力でちっぽけな存在だ。持っているのは龍の加護だけ。それでも何かの役に立てないかと、ついてくることを選んだのだ。
今、求められている。いまこそ役に立たなければならない。
どうすればいいのか。何ができるのか。
考えないと。私にできるのは、ただ考えることだけだ。
……ハルト様。アルタ。オリグさん。
大切な人たちのことを思う。どうか彼らが無事でいますように。戻ってきますように。すがる思いで祈りながら、私は涙をぬぐった。




