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明日天気になったなら  作者: 桃 春花
第六部 すれちがう想い
69/130



 大丈夫だと言うのにやたら大げさに心配されて、騎士たちに抱えられるように本宮内へ戻れば、駆けつけてきたといったようすのカームさんと出くわした。

「チトセ!」

 まっすぐ私の前まで駆け寄って抱きしめてくる。打ち身部分に当たって痛い。白く長い指が頬の汚れをぬぐい、包み込んで上を向かせる。

「なんということ……君にどう謝ればよいのでしょう。本当に申しわけありません、チトセ。謝ってすむものではありませんが……心から、君に謝罪します」

「…………」

「ああ、早く手当てをしないと。かわいそうに、痛むでしょう。すぐに医師を呼ばせましょう」

「……けっこうです」

 私は吐息混じりに答えてカームさんを押しのけた。

「大した怪我はしていません。このくらい放っておいてもすぐ治りますから、おかまいなく」

「とんでもない。どこかひどく痛めているかもしれないではありませんか。そうでなくとも、放っておくなどと。さあ、行きましょう」

 私の反応になどかまわず、強引に抱き上げてカームさんは踵を返す。文句を言ったところで聞き入れられる雰囲気ではないので、私はため息をついてそのまま運ばれた。急ぎ足で廊下を進む最中、カームさんはしきりに私をなぐさめる言葉を口にし続けていたが、返事をするのも面倒でほとんど無視していた。

 客間ではなく別の豪華な部屋に連れて行かれる。雰囲気からして、毎日使われている誰かの寝室だ。誰かって、まあ考えるまでもないよね。内装は部屋の主の趣味のよさをうかがわせ、贅沢なのにしっとりと落ちついた空間だった。

 なんでわざわざこんなとこに運び込むんだ。客間に帰るのと距離は変わらないだろうに。

 すぐに医師がやってきて私の身体を調べた。骨などに問題はなかった。全身に打撲傷があるので、しばらく安静にしているよう言われる。女官が温めたタオルで汚れを拭いてくれ、真新しい寝間着に着替えさせられた。そのままそこの寝台に寝かされた。

 ずいぶんおおげさだな。他の人はともかく、医師には大した怪我じゃないってわかっただろうに。打撲傷といってもちょっと青タン作ったくらいで、ここまでするほどの状態ではないのに。

 枕から、ほのかに花の香りがする。いつもカームさんがまとっている香りだ。なんだかまだ彼の腕の中にいるような気がして落ちつかず、私は布団をはねのけて寝台から下りた。

 服と一緒に履いていた靴まで持って行かれて、床の上には何もない。この格好ではとても客間まで歩いて戻れない。レイダさんに着替えを持ってきてもらうよう頼むしかないか。

 私は素足で絨毯の上を歩いて、隣の居間につながる扉へ向かった。診察や着替えの間、カームさんは遠慮して席を外していた。多分まだ隣にいるはずで、扉の向こうに人の気配を複数感じる。

「わたくしは何もしていませんわ!」

 扉に手をかけた瞬間、悲鳴のような甲高い声が聞こえた。今のはミルシアさんの声だ。隣にいるのか。

 音を立てないよう、そうっとノブを動かし、数センチだけ扉を開く。隙間から覗けば、長椅子に腰かけたカームさんの前にミルシアさんが膝をついているのが見えた。周りを騎士や侍従が取り囲んでいる。カームさんの背後にはシラギさんが控えていた。

「あの子は自分で落ちたんです! 危ないからって何度も言ったのに、面白がってどんどん進んでしまって。わたくしは止めたんですのよ。なのに、なぜこんな扱いを受けなければなりませんの!? あの子が落ちたのはあの子自身のせいです、わたくしのせいではありませんわ!」

「いい加減になさい」

 向かい合うカームさんの表情も声も、おそろしく冷たかった。式典の時にはたしなめながらもまだ肉親の情らしきものを見せていたのに、今はまるきり他人を見るまなざしだった。

 他の人もみんな、冷やかな目で彼女を見据えている。……なんだか嫌な構図だな。まるで吊るし上げだ。たしかにミルシアさんは悪いことをしたけれど、女の子ひとりを大人の男が何人もで取り囲むだなんて、どうなんだろう。彼女に被害を被った私の目から見ても、あまりいい気がしない。

「見苦しい。そのような嘘が通用すると思っているのですか」

「嘘ですって? 事実を言っているだけですわ! お兄様はわたくしを信じてくださいませんの!?」

「信じてもらえると思うのが不思議です。これまでのそなたの行いを、わたくしが知らぬとでも? そなたが危害を加えた相手は、チトセだけではないでしょう」

 カームさんの態度はどこまでも厳しい。身内だからと甘くならない彼を見ていると、やりすぎじゃないのかと思う私の方が間違っているような気がしてきた。

 これは尋問なんだ。従兄からのお説教などではなく、王がことのいきさつを問い質している。

「そんな……わたくしは……」

 ミルシアさんも、これまでとは違うのだと気づき始めたようだった。

「気に入らぬ者がいれば攻撃し、排除する。いつものことです。王族の立場を利用して、したい放題にふるまってきたでしょう。王族には逆らえないと相手が泣き寝入りするのをよいことに悪事を重ねてきながら、よくも堂々と身の潔白を主張できるものです。恥を知りなさい」

 初めて見るカームさんの冷やかな怒りに、私まで身がすくむ思いだ。ミルシアさんは真っ青になって震えながら、必死に言い返した。

「本当にわたくしのせいではありませんわ! たまたま彼女と会って、先日のお詫びに何かしてあげると言ったら、城内を案内してほしいと請われて。面白い場所はないかと聞くものだから、あそこへ連れて行ってやったのですわ。彼女の護衛の騎士だって、そのことを知っています。確認してくださいな!」

「愚かなこと。そなたがあの騎士に接触しているところを見た者がいるのですよ。彼女がチトセによい感情を持っていないことにつけ込んで、仲間に引き入れたのでしょう」

「違います!」

「そもそも、そなたの言い分には無理がありすぎるのですよ。チトセのことを何も知らずに言っているのが明白ですね。あの子は出歩くことが好きではないし、人見知りが強くてなかなか他人に打ちとけない。一度顔を合わせただけ、それもよい印象のないそなたに、自分から願い出ることなどないでしょう。まして、危険だと止められながら聞き分けず勝手にふるまうなど、ありえない。とても用心深く賢い子です、言われるまでもなく危険な場所には近づきませんよ」

「…………」

「仮に、そなたの言うとおりチトセが自ら足を踏み外して転落したのだとしても、ならばなぜ地下に彼女を置き去りにしたのです。自力で助けられずとも、人を呼ぶことくらいできるでしょう」

「もちろん、そうするつもりでしたわ! 人を呼びに行く前に騎士たちが踏み込んで来て……」

「報告では、地下へ通じる扉は閉ざされていたということですよ。なぜわざわざ閉める必要が? ただでさえ光の差し込まぬ場所、扉を閉めてしまえば地下は完全な闇になります。チトセのことを助ける気のある人間が、そのような真似をするでしょうか」

 完全な闇? 固唾をのんでふたりのやり取りを見つめながら、違和感に内心首をひねる。闇どころか、隅々まではっきり見える程度には明るかったけどな。

「知りません! わたくしが閉めたのではありませんわ! そ、それに、その報告が正しいとなぜ確信されますの。間違いかもしれないではありませんか!」

「わたくしの配下が、そのような初歩的な間違いをおかすと?」

 白皙に冷やかな笑いが浮かぶ。残酷な、獲物を追い詰める目だ。カームさんのそんな表情にショックを受けたのは私だけではなく、私以上にミルシアさんは驚いているようすだった。

「……お兄様は、そんなにわたくしを悪者になさりたいの? わたくしの言うことをひとつも信じてくださらず、あんな子の肩ばかり持たれて……なぜですの!? なぜそうまで、あの子を贔屓なさるのです!? あんな、卑しい生まれの娘を!」

「卑しいのはそなたの心根。人を蔑み、貶めるそなたこそが卑しい人間です。これ以上言葉を重ねたところで無駄ですね。そなたのゆがんだ心には何も届かないでしょう。謹慎を申しつけます。そなたの罪にふさわしい沙汰を下すまで、屋敷を出ることも人と会うことも禁じます」

「お兄様!!」

「さがりなさい」

 とりすがろうとするミルシアさんを騎士が止める。抵抗して騒ぐ彼女を無理やり立たせ、部屋から連れ出していった。髪を振り乱す姫君に、誰も同情するようすはなかった。

 なんとも後味の悪い空気の中、カームさんは軽く息をつき、そしてこちらを向いた。

「いやなものを見せてしまいましたね」

 私が見ていることには、とうに気付いていたようだ。今さっきの態度が嘘みたいに、いたわりと優しさに満ちた声をかけてくる。私が扉を押し開くと軽く目を瞠り、急いで立ち上がってこちらへやってきた。

「このような格好で起き出して。風邪をひいてしまいますよ」

 自分の上着を脱いで私に着せかける。何も履かない足元に気付いて、そのまま上着でくるんで私を抱き上げた。

 はばかってか、侍従たちが退出していく。シラギさんが寝室からショールを持ってきて、長椅子に置くと一礼して彼も出ていってしまった。

 カームさんは私を抱いたまま長椅子に座り直した。自然、私は彼の膝の上に座る格好になる。それはちょっとあんまりなので、私は身をよじって膝から下りた。離れようとする身体をカームさんが引き止め、膝にショールをかけてくれる。

「寒くはありませんか」

「いえ……」

「傷が痛むでしょう。寝台に戻ってやすんではどうです」

「大丈夫です。寝込むような怪我ではありません。客間に戻りたいので、侍女を呼んでいただけませんか」

 彼の顔を見ないまま言えば、肩を抱かれ髪に頬を寄せられた。

「怒っているのですね……当然ですね。本当に、君にどう償えばよいのでしょう。ひどい目に遇わせてしまいました。申しわけありません」

「…………」

「わたくしの宮殿で、よりによって身内の者が無体を働くとは。言い訳のしようもありません。どんなことでもいたしましょう。君の傷ついた心を癒すために、わたくしはどうすればよいでしょう。なんでも言ってください、チトセ」

 私は深く息を吐いた。優しい、やさしい、包み込んで溶かすような甘い声だ。髪をなでる手も、いたわりに満ちている。ついさっき従妹を冷たく断罪していた人とは思えない。あまりの態度の違いに何も言う気が起きない。

 ……もう、さっさと帰ってひとりになりたい。今はこの人と一緒にいたくない。

 レイダさんを呼んでほしいと、もう一度頼もうと口を開きかける。けれど私がしゃべるより先に騒々しい気配が届いてきて、控えの間とをつなぐ扉が開かれた。

「なにごとです」

 顔をのぞかせた侍従にカームさんが尋ねる。答えは侍従を押し退けて入ってきた人の口から発せられた。

「失礼いたします」

 ミルシアさんのお父さんだった。名前はたしかロットル侯だっけ。王族らしい威厳をまとい、室内へ踏み込んでくる。

 娘と同じ青い瞳が、カームさんに抱かれる私をちらりと見る。そこに好意やうしろめたさは感じられなかった。

「まだ呼んではいませんよ、ロットル侯」

「強引に押し通りましたことは、ご容赦を。今すぐお詫びにうかがわねばと思いましたもので」

 私たちの前に立ったロットル侯は、床に片膝をついて頭を垂れた。

「娘が悪さをしてお騒がせいたしましたそうで、まことに申しわけございません」

「詫びるべき相手はわたくしではなく、チトセの方ですよ。彼女が被害を受けたのですからね」

「無論のこと……」

 認める言葉を口にしつつも、顔を上げたロットル侯は私には目もくれず、カームさんだけを見ていた。

「ミルシアが罪人のごとく引き立てられて行ったと聞きまして、急ぎ駆けつけたのですが……あれは、どうしました?」

「謹慎を申しつけてさがらせましたよ。証拠も証人もそろっているというのに、往生際悪く言い訳を並べ立てて、己の非を認めようとはしなかったのでね。何を言ったところで無駄だと判断しました。ミルシアには、追って処分を下します」

「処分とはまた、ずいぶんと厳しいことをおっしゃる」

 遠慮を装いながらもロットル侯は不満を口にした。

「たしかに少々わがままが過ぎたようですが、罪人扱いはあまりに酷ではありませんか。あの子の名に傷がつきます。どうか、冷静なご判断をお願いいたします」

「おかしなこと、わたくしは十分に冷静ですよ。怒りに判断を狂わせているように見えますか?」

 カームさんに冷笑の気配がただよう。ロットル侯は一瞬口を引き結んだが、あからさまににらみ返すようなことはしなかった。このあたり、娘と違ってなかなか一筋縄ではいかない。

「陛下のお気に入りに手を出したのですから、ご不快に思われるのはわかります。しかしながら、ミルシアもまた陛下と血のつながった従妹ではありませぬか。ご自身の身内を罪人扱いするなど、冷静なご判断とは言いかねます」

「ひとつ間違えていますね。罪人扱いではなく、罪人、なのですよ」

 叔父の言葉にまったく心を動かされるようすもなく、カームさんは言い切った。

「このとおり、チトセは全身に怪我を負いました。それでもまだ運がよかったくらいですよ。ミルシアが何をしたか、あなたはまだ聞いていないのですか?」

「それは……」

「光のささぬ闇に閉じ込められて、囚人のほとんどが処刑される前に狂死した、あの地下牢に突き落としたのです。か弱い少女にとって、どれほどの恐怖だったか……幸いに気付くのが早く、すぐに助けられましたが、もしミルシアの思惑どおりになっていればチトセが正気を保っていられたかわかりません。当然ミルシアにはそのことがわかっていたはず。あそこがどういう場所か、彼女は知っていたのですからね。知った上でチトセを突き落とし、置き去りにしようとした。悪質きわまりない犯行ですよ」

 ロットル侯はぐっと手を握りしめ、感情を抑えた声で言い返した。

「たしかに、いたずらではすまないことをしでかしました。ですが、ミルシアにそこまでの悪意があったとは思えません。きっとあまり深く考えずいたずら気分でやったのでしょう。その愚かさはとがめられて当然ですが、なにとぞご寛大な判断を……」

「なぜミルシアはあそこを利用したのでしょう?」

 唐突に問われて、ロットル侯は眉を上げる。カームさんはゆっくりと続けた。

「嫌がらせならば、他にいくらでも方法はある。その中で、あの場所を使うことを選んだのはなぜなのか……それはね、どれだけの効果があるかを知っていたからですよ」

「…………」

「以前、ささいなことでミルシアと対立してしまった令嬢がいましたね。彼女は病を得て宮廷から去りました。当然あなたはご存じですね、ミルシアのしわざであったと」

「…………」

「長時間恐ろしい場所に閉じ込められて、その令嬢は一時錯乱状態に陥りました。幸いに回復していったものの、恐怖の記憶を消すことはできず、彼女は二度と宮廷へ出てこられなくなった。表沙汰にならぬよう、あなたが色々と手を回したようですが、わたくしが気付いていないと思っているなら片腹痛い話です。あの時は、見逃しました。すでに収まりかけている話を蒸し返して、王家の醜聞を広めることは避けたかった。しかし間違いでしたね。どれほど恥をかこうとも、あの時ちゃんと追求するべきでした。一度うまくいったために、ミルシアは味をしめてしまった」

 段々と声に鋭さが増していく。それに反して、緊張する私の肩をなでる手は優しい。

 ……きっと、このやり取りも想定内なのだろう。厳しい態度を取りながらも、頭の中では冷静に状況を見極めているのだ。

 この人は、そういう人だ。

「今度も許してしまえば、どこまで増長するかわかりません。罪は罰せられるべきです。ミルシアは、二度と宮廷に出入りさせません」

「陛下!」

「正式な通達はのちほどしますが、蟄居、もしくは出家させます。そのつもりで」

「お待ちを! それはあまりにも……!」

 たまらずといったようすでロットル侯は立ち上がった。泰然と座ったままの主君を上から見下ろす。

「厳しすぎます! どうかご再考を!」

「どこが厳しいのです。当然の話でしょう。これまでの悪行もさることながら、今回危害を加えたのは他国の特使ですよ。それもハルト公がわが子として引き取り、大切にしておられる娘です。これはれっきとした国際問題。ロウシェンに対し、大きな負い目を持ってしまいました。ミルシアに甘い処分を下したのでは、とうてい収まりません」

「ロウシェンには、私が謝罪してどうにか収めてもらいます。ハルト公とてエランドの問題を抱えた今、リヴェロと事を構えるのは避けたいはずです。あの方のお人柄からいっても、つけ込んでくるような真似はなさらぬでしょう。娘と言っても元は素性の知れぬ平民、彼も本気でわが子だなどと思っておられぬはず。リヴェロと天秤にかけるはずもない。うまく交渉すれば収められます」

「そなたに交渉役をまかせるつもりなどありませんよ」

 説得力のある言葉で攻めてくる叔父を、カームさんは冷たく突き放した。

「勘違いしているようですが、罪人はミルシアだけではありません。ロットル侯、そなたも罪人です」

「な……」

 仁王立ちしたまま、ロットル侯が絶句する。そこまで言われるとは思っていなかったらしい。端正な顔が驚愕と憤りで複雑に引きつった。

「ミルシアがあそこまで傍若無人になったのは、そなたの責任でしょう。さんざんに甘やかし、不祥事を起こせばもみ消してやって、つけ上がらせていった。そもそも、彼女があのように他者を見下すようになったのは、親であるそなたがそういう人物だからですよ。今チトセを侮辱したように、そなたは下位の者を見下し踏みにじることを何とも思わない。間近にそんな手本がいたのでは、ミルシアが心正しく育つわけもない。ミルシア以上にそなたの罪は重いと自覚なさい」

「……っ」

「ロットル・オルソー・アズ・ディアナ、そなたにも謹慎を申しつけます。沙汰あるまで、娘とともに屋敷にて待機しているように」

 カームさんの態度が変わったことに、ロットル侯も気付いたようだ。呼び方も「あなた」から「そなた」に変わった。自身を目上の親族ではなく、あくまでも臣下として扱う甥に、ロットル侯は怒りを表した。

「私に謹慎ですと……? よくもそのようなことをおっしゃるものだ。あなたの叔父であるこの私に」

「関係ありません。たとえ親子兄弟であっても、罪は罪、正しく裁かれるべきです」

「私を裁くだと? いつからそんな口を利けるようになったのです。年若くして即位したあなたを、常に支え助けてきたこの私に向かって! 今あなたが玉座におさまっていられるのは、誰のおかげと思っておられるのか。あの内乱時、私がお味方しなければあなたは王権を得ることなどできなかったのですぞ。それをよくも、恩知らずに謹慎などと言えたものだ!」

 ロットル侯もまた、臣下としての態度を捨て、叔父として叱りつけてくる。威厳と気迫は怖いくらいだ。けれどカームさんは、鼻で笑って受け流した。

「ええ、そなたはよく働いてくれました。その功績に免じ、そなたが違法な手段で私腹を肥やすのは目こぼししてやりましたよ。勝手な采配を振るうのも、度が過ぎなければよしと見逃してきました。大切なのはリヴェロの安寧。それさえ保たれているのならば、多少の悪事には目をつぶってやるつもりでした。しかし人の欲には際限がなく、悪事を成功させれば味をしめてますます増長するばかり。ミルシアはそなたの映し鏡です。財や権力を得るだけで満足せず、軍部まで私物化しようとするにいたってはもはや見逃せません。それはすでに反逆の域。そなたは蟄居程度ではすまぬと覚悟しておくのですね」

 室内に騎士が踏み込んでくる。両脇から拘束されても、ロットル侯は傲然とした姿勢を崩さなかった。

 顔から血の気を失いながらも、怒りに燃える強いまなざしで甥をにらみつけてくる。

「用済みは始末するというわけですか。だがそう簡単に思い通りになると思われるな。たとえ公王といえど、ディアナ家の当主を敵に回して戦えるものか。せいぜい今のうちに玉座の座り心地を堪能しておかれるのですな」

 誰が聞いても反逆宣言でしかないことを言い残し、彼は部屋を出ていった。その態度は最後まで堂々としていて、連行しているはずの騎士たちが引っ張られているかのように見えた。

 あれは、よほどに自信があるんだな。王と対立しても勝てるだけの力を持っているというわけか。

 リヴェロは、ふたたび内乱状態に陥るのだろうか。

「だいじょうぶ」

 閉ざされた扉をじっと見つめる私に、カームさんは優しく言って頭をなでた。

「わたくしも十分に準備をしていますよ。彼が味方に取り込んでいた貴族の大半はすでに離反しています。号令をかけたところで、戦えるほどの戦力など集まりませんよ」

「……そうでしょうね」

 私は顔を上げないまま答えた。

「ロットル侯のことはよく知りませんけど、あなたはその場の勢いで行動を起こす人じゃない。あれだけ正面きって対立してみせるからには、とうに下準備が終わっているのでしょう。今回のことは、実行に移すきっかけといったところですか」

 寄り添う人の白い顔を見上げる。人形のような完璧な美貌に浮かぶのは、作り物めいた微笑みだ。

 少し前なら普通に優しい笑顔だと思えただろう。でも今は、違和感と嫌悪感しか覚えない。

「ようするに、ミルシアさんは体よくあなたに利用されたわけですね。これまでの彼女を知っているあなたには、どう刺激すれば彼女が動くかなど簡単に読めた。ことさらに私をかまいつけ、特別な相手であるかのように見せつけて、彼女の嫉妬心を煽った。ずっと監視していたんでしょう? 彼女がメイリさんに接触したのも全部確認していて、いよいよという時にタイミングを見計らって踏み込んだんでしょう」

 みんな、この人の策に踊らされていたんだ。ミルシアさんも、メイリさんも、ロットル侯も……そして、私も。

 ちょっとやそっとの不祥事じゃ、ディアナ家そのものに揺さぶりをかけることはできない。これまでのようにもみ消されて終わりだろう。国内の人間では、策を成すための材料には不足だったのだ。

 ロットル侯が権力にものを言わせても、そう簡単にもみ消すことのできない事態――他国の特使に危害を加えたという、国際問題になるほどの事態がカームさんには必要だった。

 そのために、私を何度も誘い続けたのだろうか。友達のふりをして、私をリヴェロへおびき寄せたのだろうか。

 顔がこわばるのを感じる。反発を隠すこともできず黙って見上げる私を、カームさんは抱きしめた。

「君に隠しきることなどできないとわかっていました。のちほど、きちんと説明するつもりでしたが……君の言ったとおりですよ。ディアナ家は、もはや国にとって害でしかない存在です。排除しなければならなかった。ですが、まがりなりにも肉親であり、彼が言ったように過去の内乱においてわたくしを支持した功労者です。たやすく切り捨てるような態度を取れば、他の貴族たちの反発をも招いてしまう。前段階として、まず誰もが納得する大きな失態を犯させる必要があったのです。そのために君を利用したことについては、非難を覚悟しています。言い訳のしようもない。いくらでも伏して謝りますし、君の気が済むまで償いをしましょう」

「……私に、何度も誘いをかけたのは、このためだったのですか」

「いいえ。真実君に逢いたかった。それだけです」

「でも、せっかく来たんだから有効に利用させてもらおうと思った?」

 笑いがこみ上げてきた。勢いはない。胸の中に大きな穴が開いた気分で、力なく笑う。そうだ――この人は、こういう人だった。

 以前と同じだ。最初から利用するつもりではなかったけれど、ちょうど都合がいいから利用した、と。目の前にある使えるものはなんでも使うという、この人らしいやり方だ。

「私はうってつけの人材だったんですよね……立場だけじゃない、私自身の性格もあなたはよくご存じだから……。ひどい目に遇っても、助かれば私はあまり深く追求しない。利用されたことに腹を立てても、ハルト様に訴え出て国際問題にまでしようとは思わない。自分が原因でややこしい事態になるのが嫌だから、私はたいていのことは我慢するし、謝ってもらえればそれで許せる……私の性格を、あなたはよくご存じだったから」

 カームさんの胸を押して身を離す。逆らわず素直に力を緩めた腕が、そっと添えるだけになり、羽のような優しさで私を包む。

 それが無性にわずらわしく不愉快になり、私は乱暴に腕を振って払いのけた。

「ハルト様のこともよく知っている。あの人は失態をここぞと追及するような人ではないし、ロットル侯も言ったように今はエランドの問題があるからシーリース内でもめるわけにはいかない。国際問題といっても、そうこじれることなく収められると計算していたんでしょう。そのとおりですね。どうせ私のことだって、常に見張らせて本当に危険な目には遇わせないように注意していたとか、そう言うんでしょう」

 いったい今、どんな顔で私を見ているのだろう。謝る、償うと口にしながら、本当にそんな気持ちでいるのだろうか。おもいきって顔を上げてみれば、淡い苦笑が私を見下ろしていた。

 けっして苦悩に満ちた顔なんかじゃない。申しわけないと言いながらも、どこか私をなだめるような、あやすような、上から目線のまなざしだった。どうしてこの状況で笑えるの? どうしてそんな、余裕の顔をしていられるの。

 ふと、もうひとつ気づいたことがあり、私は泣きたい気分で笑った。

「……もしかして、ミルシアさんに厳しく、私に甘くしてみせたのは、私に対するアピールでもあった? 完璧なお姫様をつれなく袖にして、私をことさら特別扱いすることで、私が優越感を抱いて有頂天になるとでも思った? ――ふざけないで」

 立ち上がろうとすると手首をつかまれた。抵抗して振り払おうとしても、強引に引き止められる。片手が背中に回り、なだめるように軽く叩く。しぐさの一つひとつが計算ずくの演技にしか思えず、嫌悪感ばかりが増していく。

「前に言ったはずよ。そういう手口で女をいい気にさせて利用しようとする男なんて、死ぬほど嫌いだって。まんまとのぼせ上がるわけがないでしょう。うぬぼれるのもたいがいにして」

「チトセ」

「お望みどおり、今回のことは我慢してあげるわ。私には政治判断なんてわからない。王として、より大切なものを守るために小さな犠牲を出す必要があるのかもしれない。お人よしなだけではやっていられないでしょうよ。ロウシェンにだって立場があるんだし、ここで騒ぎ立てたところでいい結果にならないのはわかってる。結果として、それほど大きな被害は被らなかったのだし、どう収めるかはハルト様たちにまかせるわ。……でも、これだけは言っておく」

 やんわりと抱かれているだけに思えるのに、どうしても振り払えない。私よりずっと強い男の力に震えるほどの悔しさを覚える。せめてもの抵抗で目に力を込めて、アメジストの瞳をにらみつけた。

「あなたを友達だなんて思った私は心底馬鹿だった……王としてのあなたは立派な人かもしれないけど、個人としては受け入れられない。あなたの考え方も、やり方も、私にはどうしたって受け入れられない。ミルシアさんはある意味被害者よ。偉そうなことを言ってるけど、甘やかしたのはあなたも一緒でしょう。今まで好き勝手させてきて、邪魔になったら利用して切り捨てる? よくもそんな身勝手な真似ができるわね。肉親にすらそんなことができるんだもの、他人の私なんていくらでも利用できるでしょうよ。自分で気付いてる? あなたはロットル侯とよく似てるわよ。人を道具のように好き勝手に利用して、踏みにじっているのと同じじゃない! 私はそういう人間が大嫌い。誰だって欠点を持っている、悪い所を持っているって言われたけど、あなたの欠点は絶対に許せない。イリスみたいに、時々呆れたりケンカしながらもずっと好きでいられるのとは全然違う! あなたなんか大嫌い……っ」

 怒りのままに吐き捨てた瞬間、突然に視界が回った。理解が追い付かないうちに、背中に柔らかな弾力を感じる。上にはのしかかる大きな身体――花の香りをはっきりと感じ、私の身体にまとわりついてくる。

 私を長椅子に押し倒したカームさんは、それまでとは違う目で私を見ていた。

 いつも優雅で、余裕たっぷりに微笑んでいる彼が、別人のようなまなざしで私を見据えていた。剣呑な気配をただよわせた、残酷さすら感じさせる目だ。

 アメジストの瞳に私の顔が映り込んでいる。そんなことまではっきり見える。吐息すらかかりそうな距離で、彼はささやいた。

「……にくい子。わたくしを拒絶し、その口に他の男の名を乗せるのですか……可愛がって、大切にしてやるつもりだったのに。大人になるのを待ってやろうと思っていたのに、いっそ引き裂いてしまいたい気分ですよ。本当に、どうしてくれようか……」

 憤りと熱をはらんだ声が、甘い毒のようにからみついてくる。いったい何が起こっているのかわからず、私は身動きを忘れて彼を見返していた。

 なんで? どうして急にこんなことをするの? さっきまで、いつもの優雅な余裕を見せつけていたくせに。なぜ私に、こんな真似をするの。

 わけがわからない。なぜ急に彼の態度が変わったのか、私には理解できなかった。

 ひとつだけ、はっきりわかっていることは、これは冗談などではないということだ。そう考える余地などないほどに、伝わってくる感情は激しかった。

 人形ではない、明らかに生身の人間――生身の男が、私に感情をぶつけてくる。どんなに鈍くてもわかる。彼は男で、私を女として見ている。

 なんなの、これは……。

 驚きと、困惑と、恐怖と――さまざまな想いがいちどにわき上がり、反応することもできずにいる私に、カームさんはゆっくりと口づけた。

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