赫い花
「……よくもそのような、不甲斐ない報告を持ち帰ったものだな?」
低く声を響かせる男の前で、伝令の役を負って駆けつけた兵士は身をすくませた。もたらされた戦の情報は、当初の予想を大きく裏切り、実に情けないものだった。
「全機投入しておきながらロウシェン公を仕留めそこねるとはな。初めてあれを見たロウシェンの連中はさぞあわてふためき、驚怖したであろうに。さしたる打撃も与えず逃がしてやり、体勢を立て直す余裕までくれてやるとは、なんとお優しいことだ。ジノワ将軍はまこと慈悲深い」
「……いえ、その」
静かな声は、はっきりと怒りをはらんでいる。全身から発する威圧感は、鍛え抜かれた見事な体躯と相まって対峙する者を震え上がらせる。
「龍船が飛び立ったため、ロウシェン公が乗っているものと思いそこに集中してしまったと……」
「囮の可能性も考えずまんまと釣られたか。見上げた間抜けさだ。あげく飛行隊の半数以上を失うなど、もはやどう誉めてよいのやらわからんな」
「まことに、申しわけなく……竜騎士が、予想以上に手ごわく……」
「敵を誉めるためにわざわざ来たのか。ご苦労とねぎらうべきかな?」
男の怒りがさらに深まったことを知り、兵士はあわてて口をつぐんだ。むやみに配下を罰するような主ではないが、あまりに怒らせてはどうなるかわからない。息をひそめて反応を待っていると、不快げな息を吐いて主は命じた。
「もどってジノワに伝えろ。撤退は許さん。かくなるうえはナハラにとどまり、ロウシェンとリヴェロの注意を引きつけておけ、と」
「……は」
「やつらが他に手を回せぬよう、適度に飛行隊も投入してねばれ。腹立たしいが、補給の手配はしておいてやる」
「感謝いたします」
平身低頭してさがっていく配下を見送った後、部屋の主は苛立つ気分を吐き出して立ち上がった。大きく取られた窓へ向かえば、穏やかな海辺の街の風景が広がっていた。
雪など滅多に降らない暖かな土地だ。島の南端に位置し、近くに暖流が流れていることもあって、ここの住民は凍えるということを知らない。そのためか気質ものんびりしていて、自分たちが実質上敵に支配されているということにも、まだ気付いていなかった。
道行く民の顔は明るい。戦が起きていることなど、知らないかのように。
「ロウシェン攻めは失敗のようですな」
静かに入室してきた人物が声をかけた。振り返りもせず、彼は答えた。
「ロウシェン公が出てきてくれたというのに、仕留め損ねるとはな。千載一遇の好機であったものを。向こうに飛竜騎士がいることはわかっていたのだ、もっと慎重に考えて動けば、こうも無様な結果になることはなかったであろうに。かえすがえすも、ジノワの下手な采配が腹立たしい。挙げ句、飛行隊の大半を失うとは。おいそれと増やせるものではないというのに……」
切り札として常に多大な戦果を上げてきた飛行隊を、ロウシェン攻略の第一段階で三分の一にまで減らされてしまった。これは指揮する者に油断があったせいだ。今までの戦では対抗手段を持つ国などなく、空からの見たこともない攻撃に右往左往するばかりだった。面白いように勝ってきたので、今度も飛行隊が出れば勝てると思い込んでいたのだろう。
ロウシェンには空を駆ける騎士がいる。これまでとは違う、気をつけよと、事前に注意していたものを。
「これで計画を立て直さねばならなくなった。残る六機だけでは、この先の切り札として頼るには足りぬ。他はいざ知らず、ロウシェンが相手ではな」
「用意はしておりますよ。いかに竜騎士が強くとも、数は少ない。多方面に展開することができないのが、奴らの弱みです。そこを突けばよい。……しかし、今回の件ではロウシェン側の的確な対策がいささか気になりますな」
さきほどの男のように畏れかしこまることもなく、新たな入室者はそばに立った。彼の視線を受けても堂々としている。皇帝の従兄にあたるデュペック候は、きれいに整えられた顎髭をなでながら言った。
「プロペラ部分を狙ってきたということですが、何も知らない初めてあれを見た者に思いつけることでしょうか。普通ならば翼や操縦者を狙い、がむしゃらに矢を射かけてきそうなものです。事実最初の襲撃時にはそうしていたらしい。それが次にはプロペラ部分の破損のみを狙うなど、あまりに理解が早すぎます」
「…………」
「我々が何代にもわたって研究し続け、長い年月の果てにようやく再現に成功したものを、初見の者にたやすく看破されたとは思いにくい。あちらに知識を持つ者がいたのでしょう」
「……龍の娘か」
彼の言葉に、デュペック候はうなずいた。
「それしか考えられませんな。部下の報告によりますと、ナハラに同行していたようです。ロウシェン公を見つけて追っていた部隊が、あと少しで首を取れるというところまで追い詰めたのですが、ありえぬ事態に見舞われて逃げ帰るはめになったと――龍の娘が、鳥や獣をあやつったというのです」
男らしい濃く太い眉が、ぴくりと動く。彼の鋭いまなざしを受けて、デュペック公はもう一度うなずいた。
「無数の鳥獣を呼び寄せ、兵士たちを襲わせたと。人を襲うはずもない小鳥までが向かってきたといいますから、尋常ではありません。竜だけでなくあらゆる生き物を支配できると実証されたわけです。もはや疑うべくもない。あの娘は真実祖王の再来――我らが求め続けた、天人でしょう」
「……なれば、殺すわけにはいかん」
低く彼は言った。
「手に入れねばならん。できるか?」
「我が君の御為、力を尽くしましょう」
胸に手を当て、デュペック候は頭を垂れる。この男のことだから、すでに算段をつけ手下の者をもぐり込ませているのだろう。デュペック侯の手腕を疑うことなく、彼はうなずいた。
「つきましては、ナハラにおりますジノワ軍のことですが」
彼の機嫌が落ちついたのを見て、デュペック候は切り出した。
「捨て駒扱いするつもりはありませんでしょうな? そろそろ兵たちの疲労も激しい。あまり長くはもたないかと」
「……ふん」
龍の娘の話を持ち出し、失敗はジノワ将軍のせいだけではないと匂わせた上で、撤退を許してやれとうながす。こちらの気性を知り抜いてうまく誘導するやりかたが少々癪に障るが、たしかに五千の兵を見殺しにするわけにはいかない。彼は折れることにした。
「もう少しくらいはねばってもらいたいところだが、リヴェロも動き出したからな。頃合いを見て撤退しろと言ってやれ」
「承知しました。ロウシェンの連中が、わざわざ逃げ道を用意してくれているようですからな。一旦シーリースを出て、キサルスで休息させることとしましょう」
うなずきを返し、彼はふたたび窓の外へ目を向けた。
「見ろ、この明るく暖かな景色を。真冬だというのに、雪が降るどころか花まで咲いている」
庭木が鮮やかな赤に彩られていた。地元の人間には冬の花として親しまれているらしい。雪と氷に閉ざされる故郷にはけしてありえぬ光景だ。あの島では、短い夏の間にたくわえた食料で、人々は細々と長い冬を乗り切る。上から下まで、どんな立場の者であろうと贅沢とは無縁だ。彼らにとってそれは当たり前の暮らしであったが、外の島を見るにつけ、なぜこんなにも違うのかと腹が立った。
かつて彼らの祖先も、この島で暮らしていた。豊かな自然のもたらす恵みを享受して、冬でも穏やかな日々を楽しんでいたはずだ。氷が溶ける前に食料が尽きてしまわないかと、おびえながら春を待つことなどなかっただろう。
「これほど恵まれておきながら、さらに多くのものを手に入れようとする。どこまでも強欲な連中だ。我々を追い出し、遠い北の島に放逐して過酷な暮らしを強いたあげく、どうにか得た安寧すら奪おうとする。そちらがその気なら、奪い返してやろうではないか。本来我々が持っているはずだった、すべてのものを」
公王――世界の王などと、傲慢な称号を名乗る者たちに思い知らせてやる。本当の王は誰なのか。お前たちはかしずく側の立場なのだと。
「第二段階を早めるよう指示してくれ。やつらがナハラに気を取られているうちに、次の攻めに転じたい」
「承知しました。すでに兵力は集まりつつあります。ほどなく実行に移せましょう」
うなずき、彼は少し表情を変えて腹心に相談をもちかけた。
「ここにあの方を呼び寄せたいのだが、どう思う?これほど暖かで食糧も豊富なのだ、静養にはもってこいだろう」
「今は早すぎますよ」
デュペック侯は首を振って彼の考えに反対した。
「まだ戦中で、けして安全とは言えない場所です。慣れない土地へ来たうえ緊張が続いているのでは、かえって身体に悪いでしょう。お連れするのは、シーリースを完全に支配下におさめてからです」
「……そうだな」
それならせめて近くの島へ、と考えかけた彼に、デュペック侯は諭す顔で言った。
「あの方には十分な環境を保つよう、周りの者によく言い聞かせてあります。部屋は常に暖かくし、できるだけ栄養のあるものを食べさせ、よくよく注意して見守るようにと。心配はいりませんよ。戦から遠く離れた、安全で静かな場所にいていただくのが今はいちばんです。報告は欠かさず送らせていますし、我々はまず戦に勝つことに専念しましょう」
「わかった」
もっともな話と納得し、彼はその意見を容れる。そのあとも少しばかり話をしたあと、デュペック侯は部屋を出た。扉のそばに配下の者が控えていた。
「お申しつけのものが届きました」
小さな包みを見せながら言う。デュペック侯は軽くうなずき、受け取らないままに指図した。
「ではすぐに本国へ送ってくれ。あの方のための、大切な薬だ。間違いのないようにな」
「かしこまりました」
配下に背を向けてデュペック侯は歩き出す。階段を下り、一階の回廊から庭へ出て、赤い花を見上げた。
鮮やかな赤は戦の記憶をよみがえらせる。
長い間戦い続けてきた。多くの死を目にしてきた。だが戦の光景を思い出す時、いつでも真っ先に脳裏に浮かぶのは、十年前のあの時だ。
雪の上に咲いた花。倒れた彼の姿。
あの時から、世界は少しずつ狂い始めた。もともと戦にはあまり乗り気でなかった男が、復讐心と義務感に駆り立てられ、打って変わって攻撃的になった。次々に周辺国を攻め滅ぼし、さらに外へと手を伸ばし、喰らっても喰らってもまだ足りぬとばかりに戦い続けてきた。その目が見据えているのは、遠い過去に失われた祖先たちの故郷――この暖かく豊かな島であると、早くからデュペック侯にはわかっていた。
シーリースを手に入れることで、彼の目的は完遂されるのだろう。その時ようやく、赤の記憶から解放されるのだろう。
無二の友がそれを望むなら、かなえてやるまでだ。狂いが破滅へ向かわぬよう修正し、確実に目的を果たせるよう力を尽くし、ここまでともにやってきた。あと少しだ。世界を取り戻し、正当なる王の手に戻す。蔑まれることも奪われることもない穏やかな暮らしを、同胞たちに約束しよう。
それまでに、どれほどの赤い花を咲かせようとも。
咲けぬままに枯れる蕾があろうとも。
「だが、それで終わりではない」
手を伸ばして届くところにある花を摘み取る。掌にちょうどおさまる花を見つめ、デュペック侯はつぶやいた。
「目的を遂げたその先にも、明日は来るのだよ。先のことも考えておかねば」
目的さえ遂げてしまえば自分の役目は終わりだと、あの男は考えているのだろう。仮にそこで死んだとしても満足なのだろうが、それでは困る。
「幸せな未来こそが、我らの悲願だ。エランドの民たちに失われぬ繁栄をもたらす……そのためには、お前自身が未来へ向かってくれないとな」
背後にひそやかな気配が近付いてきた。どこにでもいそうな兵士風の男に、デュペック侯は振り返る。
「ロウシェン軍に潜入した者たちと協力し、龍の娘をさがせ。おそらくハルト公のすぐそばで、厳重に守られているだろう。容易に手出しできぬだろうが、あれは案外自分で動きたがる娘だ。騒ぎが起きれば守りの外へ出てくる可能性がある。リヴェロ軍と合流して知らぬ顔が増えた今、あやしまれず近付くことはできよう。うまく手に入れてきてくれ」
「かしこまりました」
端整な顔に微笑をたたえたまま、デュペック侯は手の中の花を握りつぶす。見上げた窓に、すでに黒い影はなかったが、見えているかのように語りかけた。
「世界を手に入れよう……ともに夢見た未来を。豊かな暮らしも、天の姫も、すべて我らのものだ」
したたる血のように花びらがこぼれ落ちる。冬とは思えぬ暖かな風に吹かれ、赤は儚く舞い散っていった。
***** 終 *****




