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やがて小さなてのひらは  作者: あわき尊継


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 最終選考会の日がやってきた。


 あれからもシアとキマリは話をすることもなく、時折遊びに出掛けては遅くに戻ってくるシアと、何をするでもなく呆けたままのキマリを、エリティアは交互に語りかける形で関係を持続していた。


 シアは、この選考会に出るつもりらしかった。


 キマリの指導から外れ、地力で何かをしていたようだが、先だって行われたシャルロッテ=トリアの感応は凄まじく、前もって都市機能を一時停止させてまで選考が行われた。フィーリス=ノークフィリアの実演はますます磨きが掛かっていて、会場の客席や貴賓席から割れんばかりの拍手が送られていた。

 どちらもそう容易く追いつけるものとは思えないほど見事なもので、キマリの言っていた間に合わないの一言が、重い現実となって横たわっているように思えた。


 けれど、シアは出るのだ。

 前もって話を聞いていたエリティアは、弱々しく抵抗するキマリを無理矢理この会場へ引っ張ってきた。

 現仮称号保持者二人の実演も一緒に見た。当初は呆けていたキマリだったが、二人の出番が始まるや、自分の胸に刺さった杭を引き抜くような表情でそれらを見据え、最早結果発表によってトドメを刺されるのを待っているとばかりに力なく顔を俯かせている。


「ちゃんと見なさいよ。アンタにはその義務があるでしょ」


 言いつつ、エリティアはあまりの痛々しさに目を背けたくなる自分を必死に鼓舞していた。


「隣、よろしいか」


 声が掛かったのはそんな時だった。


 会場は広く、客席は空いている。

 主だった二人の実演も終わり、多くの生徒や外部からの人間はもう当人たちの元へ我先にと集まっている。

 だから敢えて近くに座る必要もないのだが。


「他にも空いてるでしょ……いろいろあるから、他行って欲しいんだけど」


 丁寧に断るつもりが、つい口調がキツくなる。


「ここでなければ座る意味もないんでね。ほら、シャルもこちらへ来なさい」


「ちょっと――!」


 エリティアが激昂しかけた時だった。


「ごめんなさい……っ。あのっ、エリティアさん、ですよね?」


 視界へ飛び込んでくるような勢いで、亜麻色の髪が振り下ろされた。

「っ……?」

 彼女は、深々と下げた頭をあげ、一度隣に居るキマリへ目を向けた後、改めてこちらへ向かい合った。


「私、シャルロッテ=トリア、と……申し、ます? ええと、こちらの人は……あれ、方、は? えと、ど、どう言ったら……」

「シャル。慣れない言葉を無理に使うことは無い。相手にも伝わりにくくなってしまう」

「う……うん。わかった。私シャルロッテ。シャルって呼ばれてます。それで、こっちはその……私のお父さんみたいな人で」

「ハーヴェイ=ブルトニウムだ。んんっ……そう、か、お父さん、か。そうか」

「えっ? あああああの、そういう意味じゃなくて……ええと、違わ、ない、んだけど……っっもう、今はどっちでもいいでしょ……っ」


 いきなり有名人二人が自己紹介を始めた上に、入学式以来苛烈な人だと思っていた学院代表の、思わぬ照れ顔を見せられて、どちらかといえばエリティアの苛立ちは一段階あがった。


 何の用よ。下らなかったらぶっとばすわよ。

 本気でそう思いながらシャルロッテを見ると、彼女は目を回さんばかりに怯えてしまって、今度はエリティアが慌て始める。


「ご、ごごごごごめんなさいぃぃ……っ」

「ちょっとぉ!? 勝手に寄って来て勝手に怯えないでよぉぉ……っ」


 共に小声ではあったのだが、周りから変な目が集まってしまう。

 キマリの状態もあってあまり人目を集めたくないというのに。


「分かったからぁ……っ。隣座っていいから静かにしてぇ……っ」

「は、はいぃ……っ」


 ばたんどたんと更に騒がしく椅子に座るシャルロッテ。一応キマリの側へは座らずに、エリティアの隣に彼女が、その隣にハーヴェイが座った。


 なんだろうこの場は、などと思ったのも束の間、始まった実演の前に一同はまず口を閉じる。

 可も無く不可も無く、といった様子の実演が終わり、生徒が下がっていく。


 最初に口を開いたのは、ハーヴェイだった。


「キマリちゃん……いや、もうキマリさんか。君は、サラサの妹のキマリさんだね」


 少しだけ、反応の薄かったキマリが彼を見た気がした。


「君が覚えているかは分からないけど、私は昔、姉のサラサさんを見ていた時期があったんだよ。彼女は類稀な能力を持ち、塔の魔女を目指すべき人材だと考えたからね」


 やや傲慢にも聞こえる発言だったが、今この時代で彼の言葉を笑える人物など居ない。

 前回のヴァルプルギスの夜で塔の魔女に選ばれた人物こそ、彼が指導していたサラサ本人なのだから。


「幼い頃の君とも何度か会った。私の格好はよじ登るのにちょうど良かったらしくて、お姉さんの指導をしている時に、よく登ってきて叱られていたよ。あぁ、おねしょをして泣いていたのを助けてあげたこともっ……ある…………んんっ」


 最後言葉が途切れたのは、シャルロッテがキツめの肘を入れたからだろう。

 年頃の少女に向かって昔のおねしょ話など、お父さんが決してしてはいけない話題の一つだろう。不潔極まりない。


 年頃の少女二人から睨まれる形となったハーヴェイだったが、彼は気を取り直して話を続ける。


「サラサは優秀な人物だったが、私は君の存在が彼女を押し上げてくれたと思っている」


 また少し、キマリが反応を示した。

 興味や喜びではなく、固く心を閉ざすようなものではあったが。


「当時の君はあまり優秀とは言えなかったが、何にでも一生懸命で、一度始めるとどこまでも続けられた。あの時代の子どもにはよくある傾向だが、君の場合はよく考え、そして、分からないことがあれば姉のサラサに助言を貰いに来ていたよ。そんな君を見るとね、自分の頭の中ばかりで考えて抱え込みがちだった彼女も、私の意見に耳を傾けるようになってくれた。頑張る君の姿を見て、君の一生懸命さに恥じない自分であろうと、あの子は何度も挫折を乗り越えた。指導を始めた当初は、魔道にも塔にも興味が無かった筈の彼女が、いつの間にか時間も忘れて鍛錬に集中していたね」


 言わんとすることが少しずつ見えて気がした。


 エリティアはキマリの様子を伺いつつ、過去を思い浮かべる。


 キマリは、本当に何にでも熱心だった。

 エリティア自らが称したように、まさしく学ぶ分野への献身とも呼べる懸命さで向き合っていた。

 そんな彼女に問われるからこそ、姉のサラサが塔の魔女に到るまでの成長が出来たのだとハーヴェイは言う。



「天才…………これほど無慈悲で思いやりに欠けた言葉はないよ。どんな努力も天才だからの一言で覆い尽くされ、勝てば当然、負ければ才能が枯れたと言われ、追い抜かれていった者たちからすれば格好の的となる。たしかに、個人個人で鍛錬を始める前から持ちうる能力の差異はある。身体的なものともなれば、それは覆し難いほどの差となることもあるだろう。


 けれど、小柄な男が大男を投げ飛ばすこともある。

 尽く魔道に向かないとされた人物が、長い長い時間と手間を掛けて、一流の魔導士を倒してしまうこともある。


 それが出来ないという気持ちも、私は分からないでもない。

 人は元来、そこまで一事に尽くせない。


 けれどやはり、それは尽くせない自分にこそ理由がある。決して、才能ある者が、才能ない者を作っているのではない」



 ある意味で才能の無さとは幸運だ。

 出来ない理由を、出来る人物に委ねることが出来るし、そこには多くの同意と同情が集まる。


 天才と呼ばれる人物の苦悩や努力に共感が集まることはあっても、彼らは失敗の理由を人々に委ねることは決して許されない。委ねた時、あるいは許されてしまった時、人々の中でその人物は天才ではなくなってしまうのだ。


「もし……」


 天才と呼ばれた人物を、神の座にまで導いたとされている男は言う。



「もし彼女に、彼女らに幸運があるとすれば、それは才能を持って生まれたことではなく、才能によって囚われ、引きずり込まれるその道を、自ら望んで歩める理由を得たことだ。


 サラサは間違い無く、君の姿に心打たれて、塔の魔女を目指した。


 誰にも理由を委ねることの出来ない途方も無い道で、唯一携えることの出来る他者からの理由が、どれほど彼女を支えてくれたか。夢ですらなく、与えられるまま進むしかなかったその傍らには、今もあの日の君が寄り添ってくれている」



「それでも」


 キマリの声がした。


 顔を伏せたまま、強く握った両手を震わせながら、


「それでも私は、あの日の言葉を許せない」


 頑ななまでの態度に、ハーヴェイは小さく頷いた。

 その言葉を知っているのか、彼は悲しげな表情を浮かべている。


「聞かせて欲しい。君は何故、姿を消したのか。そして、何故、姿を現したのか」


 キマリはじっと黙り込んでいた。


 もうじきシアの出番がある。

 彼女が再び口を開いたのは、まるでそこから逃げる様でもあった。


「私は――」





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