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やがて小さなてのひらは  作者: あわき尊継


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 選考会から逃げ出した後、キマリはそれまでの精力さなど消えうせ、常に呆けたまま過ごすようになっていた。


 完全に道が断たれ、塔は永遠に届く事のない湖面の月となった。


 部屋から見える高い高い塔を見上げる度に、胸を襲う引き裂かれそうなほどの痛みに、身を震わせているだけの日々。


 そんなキマリを支えていたのがシアだった。

 彼女は慣れない包丁を使い、火を使い、なんとか食事らしきものを用意して食べさせた。

 掃除も、洗濯も、日々の買い物も、小さな彼女にとってみれば初めてすることばかりで、とても大変だったことだろう。


 一緒にお風呂へ入り、身体を洗って、拭いて、着替えて、同じベッドで眠る。


 いつもは必ずキマリが別室へ行ってしまうから、彼女は少しだけ楽しそうでもあった。


 朝起きると身なりを整え、いつもは面倒がっていたのに、自分から髪を梳かし、肌や髪の手入れをした。特に、キマリの髪を梳く時はたっぷり時間を掛けて、鼻歌混じりに行っていた。


 呆けていたキマリの代わりに買い物へ出かけている間、何度か家のチャイムが鳴らされたけど、立ち上がって応じる気にもなれず無視してしまった。


 一度来客があった。

 長期休暇に入って、宿題を教師が持ってきたのだ。


「休学するのも、このまま来なくなってしまうのも、またすぐ復帰するのも、センセイは好きにすればいいと思いますよー? 道を一つに定めることはないですし、一つに定めてこだわり続けるのだって、きっと悪くないです。けど、代表は思い出なんてー、って言ってますけど、今日まで学院で過ごした日々を、これまで生きてきた自分の日々を、忘れないで下さい。良い思い出も、悪い思い出も、考え方一つで明日踏み出す原動力になりますよー。すっきり全部解決してくれたらいいんですけどねー。でも解決しなければ進めないなんてことはないです。全部置き去りにして、逃げ出した先でも次を始められます。大切なのは、自分で勝手に終わりだって思い込まないことですよ」


 玄関でシアと話していた教師が、広間に居るキマリを見た気がした。


「幸いにも、貴女たちはまだまだ若いです。いいえー、八十過ぎても新しい事を始める人も居るくらいです、きっと幾らでも道なんてあるんでしょー。それに、お二人はセンセイの生徒ですから、ええっ、付き人だってセンセイの生徒ですから、何の相談でも受け付けますよー。お金の事以外」


 好き勝手に喋り倒して去っていった。

 シアも、当初は渡された宿題を広間のソファへ放り出したままにしていたのだが、数日が経って、徐に勉強を始めた。


 彼女は曾祖母から魔女の全てを習ったという。

 元より没落した魔道の家系で、知識自体が時代遅れな古めかしい魔女そのものだった。

 キマリはシアを『空衣』の称号へ導く為、学会などで発表された新説を積極的に検証し、徹底した最先端魔道を利用して日々の鍛錬を行っていた。

 特殊配合したオイルによるマッサージや、食事によって育まれる精神状態など、言ってしまえば微々たる変化と呼べるものでも一切妥協はせず、彼女の成長を導いた。

 結果的にシアは他者では真似出来ないほど見事な実演をするに至るのだが、それは魔女の本質から遠ざかる手法でもあり、元来の、純粋な感応によって実力を見せ付けたシャルロッテに称号を取られてしまう。

 あれは本物だった。

 鍛錬で到達できる域を遥かに超えた力だ。

 彼女も故郷で魔道学に触れることなく力をつけたというから、様々な問題を見落としていたとはいえ、ハーヴェイ=ブルトニウムの教育が優れていたという証拠なのだろう。

 おそらく感応規模だけで言えば、無欠の天才などと呼ばれていた時代のキマリさえも超えている。

 精神面での未熟さや知識の不確かさなど問題はあるが、今後称号者に与えられる指輪やハーヴェイら後援者の手によって、彼女は大きく成長していくだろう。


 それこそ、かつてキマリが取り逃し、姉が持っていた『真銀』(ミスリル)の称号さえ――


 シアは家事の合間に、こつこつと宿題をこなし始めた。

 殆どは座学で、魔道の歴史や技術開発の系譜、ちょっとした工作(クラフト)の課題などだった。


 シアが居る時にエリティアが尋ねてくることもあった。

 けれど、キマリは対応に出ようとするシアの手を掴み、弱々しく拒否した。

 今、シア以外の誰かと会って、話が出来る自信はなかった。


 目の前で勉強をするシアをぼんやり眺めていたキマリだったが、魔女術(ウィッチクラフト)による工作課題を始めた時に、彼女の中で何かが爆発した。


「なんでそんな程度が出来ないんですか!!」


 感情のまま自ら魔術を暴走させ、部屋の中はあっというまに滅茶苦茶となった。

 窓は割れ、机が粉々になり、シアが用意してくれたお茶が壁にぶちまけられた。


 一生懸命になって作っていた工作物を壊されたシアは、悲しそうに、けれどそれ以上に苦しそうな表情を浮かべるキマリを見て、じっと言葉を受け入れた。


「何度も何度も教えたでしょう!? 普通の学生でも出来るようなことを、何故貴女は出来ないんですか! こんな程度私は魔道を学んで数日でこなしていました! 難しいことはなにも無い筈です! どうして……っ、なぜ出来ないんですか! 貴女が技術面に平均程度の才があったならっ、今頃エリティア様も、ノークフィリア様もっ、私が必ず上回るだけの技量を身に付けさせていたのにっっ!」


 シアは魔女術(ウィッチクラフト)による現実の侵食を苦手としていた。

 感応による再現性は極めて高く、それはキマリが認めるほどの才能を持っていたというのに、実体を持たせて現実に干渉する、例えば風の刃で対象を切り裂くなどを実践しようとすれば、暴風じみた刃の嵐で一帯を粉々にしてしまう。なまじ感応能力に秀でているだけに、操作の安定性は低く、まるで魔女術そのものに適正がないかのような技術の低さにキマリは何度も頭を悩ませていたのだ。


 もし、彼女がここまで不器用で無かったのなら、キマリは鍛錬し易い技術面を伸ばし本当に二者を追い抜くだけの力をシアへ与えていたかもしれない。


 絨毯の上へ座り込んで、キマリは顔を覆って蹲った。

 寄り添うシアの手が彼女の頭を撫でる。


「っ、ごめんなさい……いきなり、私……っ。違うんです……本当に、どうしようもないのは私の方で……、ごめんなさい」


「んーん」


 進むべき道を誤ったのはキマリの方だった。

 あれほど気をつけていたというのに。

 才能の原石だとまで言っていたシアを、そこらの凡百の魔女たちと同じ道へ堕としてしまった。


 赦しを求めるべきではないのに、言葉が次々漏れていってしまう。


 ようやく心が落ち着いた時、ふと足に違和感を覚えた。


「血…………」


 心配そうなシアの声。


「大丈夫です。飛び散ったガラス片で切っただけでしょう。シア様にお怪我はありませんか?」


 ふりふりと自分の姿を確認するシア。キマリから見ても彼女に傷がないようで安心した。

 血を拭いて、消毒をして絆創膏を貼ったけれど、少々大きくてはみ出してしまう。

 大きめのガーゼや包帯は、呪印隠しで火傷をした時に使い切ってしまっていたのだ。


「買いに、行きましょうか」

「うんっ。いっしょに、いこ?」


 思えば、外に出るのは随分と久しぶりだった。

 シアに手を引かれ、覇気もないままキマリはふらふらと歩く。


 昼食を忘れていたから、途中二人で公園のベンチに腰掛けて大判焼きを食べた。

 あまり多くお金を持ってこなかった為、買ったのは一つだけだ。

 キマリが好きな白餡を買ってきてくれたシアと二人で、ゆっくり、ちまちまと一つの大判焼きを分け合いながら食べた。

 学院からの帰り道、買い物へ立ち寄る前によくこうして二人で買い食いをしていた。

 そこにエリティアが加わることもあったけれど、ほとんどは二人、暑いのに身を寄せ合ってのんびり時間を使っていた。

 戻ればキマリの厳しい指導の元、シアも頑張って鍛錬をした。

 思い出というのなら、きっと、それこそが――。


 繁華街へ辿り着き、薬局を探す。

 あまり使わないお店なので、少し迷ってしまった。


 様々な薬や日用品などが並ぶ店の中で、不意にキマリは足を止めた。


 これから流行すると言われている病気の予防接種を訴えるポスターだった。


 予防接種とは、基本的に毒性を薄めた、あるいは身体に影響が無い程度のウイルスなどを予め体内へ注入することによって抗体を作らせる手段だ。

 過去様々な流行り病があり、幼い内にいくつかの予防接種を受ける事を法で定めた国もある。費用も国が負担することが多く、それは国内に病を流行らせないことで、二次的な別の流行り病が起きないようにという予防策でもあった。


 毒を以って毒を制する。


 キマリの中で急激に何かが繋がっていく。

 一度は途絶えた筈の道に、強烈な光が差したように思えた。


「買ってきたよ」


 棒立ちするキマリを置いて買い物を済ませてきたシアをじっと見詰める。

 不思議そうに首を傾げる姿に、キマリは笑みが湧き上がって来るのを感じた。


「っ、見付けた……! っあは! そう、これなら、きっと……っ」


 シアの腕を掴み、足早に店を出たキマリは、一目散に家へ向かった。


 その口元が歪みを帯びていることも、掴んだシアの腕を赤くなるほど力を篭めていることにも気付かないまま。


    ※   ※   ※


 身を清め終わって、新しいシーツに張り替えたベッドへ改めてシアを寝かせた。

 キマリは話す内に再会してからの自信と覇気に溢れた姿に戻っていったが、エリティアは未だ不穏な気配を感じたまま首を傾げた。


「……どう、いう、こと?」


 問えば、キマリはこの上なく嬉しそうに笑みを浮かべて答えた。


「毒ですよ。人の精神を冒す毒があるじゃないですか」

「それって……」

「呪術によって肉体と精神を破壊する事も可能なら、同時に正気を取り戻させる為の薬にもなる。エリティア様はご存知ありませんか? そもそも薬とは毒の一種なんです。肉体に様々な作用を呼び起こす物質を体内へ取り込み、強引に特定の反応を起こさせる。睡眠薬も分量を正しく使えば安眠を提供してくれますが、飲みすぎれば死んでしまうように。また、精力剤のように脳や身体へ働きかけて通常よりも強い力を発揮させる手段もありますね。魔術的な手段で同じことも出来ます。筋力や反射神経を強化したり、思考を鋭敏化させて計算能力を向上させたり。医療魔術にもなると、特定の細菌や表皮の不要な部分を殺し、安全で無事な細胞を保護しつつ治癒を促進したり、薄い膜を張って出血を抑えるなど、極めて精密な作業も行えます。同じような事を呪術でも行える。肝心なのは呪術は魔女の精神面へ極めて高い効果を上げる点です。今やっているのは薬物での増強というよりは睡眠学習と呼ぶべきですね」


 ベッドへ横になるシアを得意気に示し、笑うキマリに薄ら寒さを覚えながら、エリティアは一歩引く。


 出血の原因なんて考えるまでもなかった。


 しかも、あれだけの事態に陥っていながら、キマリは何ら不安を感じていない。


 むしろ現状の進捗を満足げに見詰め、エリティアへ自慢するようですらある。


「元から私も使っていたんですけど、ここまでの事は発想に至っていませんでした」


 言って、キマリは自分の目を薄く発光させる。

 猫が暗闇でするみたいに、何らかの情報を眼球内で共鳴させ、誇張し、摂取している。

 何をしているのかさっぱり分からなかったけれど、赤く変色した彼女の目は、まるで血の色みたいで怖ろしくさえ感じた。


「呪術はまだまだ未開拓の魔術です。こうして相手の体内にある魔術回路や流れる魔力の構造体まで読み取る事が出来ますし、そうやってつぶさに状態を把握しながら、自身の体内で精製した毒素を相手へ流し込み――」


「っっっっっ――――!!」


 ベッドの上で眠っていたシアが、下から蹴り上げられたみたいに跳ね上がった。


 違う。シア自身が、暴力的なまでの毒に冒され、悶え、苦しんでいるのだ。


「やめなさいよっ――!?」


 叫び、飛びつこうとしたエリティアの身体が、磁石で引かれたみたいに壁へ押し付けられる。

 壁へ張り付く背中をどうにか引き剥がそうとしても、力ではどうにもならない。


「っっなら!」


 魔女術(ウィッチクラフト)を使えばいい。


 途端に身体の奥へ猛烈な熱がこみ上げてくるが、構わずエリティアは感応を続けようとした。

 視界の端から赤い何かがすりよってくる。

「っ!?」

 そうだ。

 ここはベッドのすぐ脇の壁。

 そこにずっと繋がれていた人物が居る。


「うふ、うふふふふふふふふふ……みぃつけたっ」


 真っ赤な髪を幽鬼のように垂らしながら、しがみ付くように這い上がってくる。


「っっっ!」


 なんとか悲鳴をあげるのは避けられたが、恐怖に竦みあがった心では魔女術(ウィッチクラフト)なんて使えない。

 敏感になった肌に触れられ、あまりの寒気に意識が飛びかけた。

 目と目が合う。血走った目がこちらを見ている。口を開いた彼女を見て、まるで肉食獣を見たように、食われると、捕食されるような恐怖を覚えた。


「うふふふふ――ああっっ」


 目を瞑り、震えていると、赤い女が弾かれたように離れていった。


 見れば、キマリが伸びきった鎖を踏み、彼女を手前へ引き寄せていたのだ。

 唐突に首を絞められることとなった赤い女は何度か咳き込みながら、今度は怯えたように部屋の隅へ行ってまたうわ言を呟きながら丸くなる。


「………………あ、ありがと」


 礼を言っても、キマリは答えず、シアの元へ戻っていく。


 ベッドの脇で膝を付いた彼女はまたちらりとエリティアを見た。


「……それの処理には少し困っています。部屋にはエリティア様がしつこくやって来ますし、随分荒れてしまったので、保管場所だったここを使っていますが、外へ放り出す訳にもいかず、どうしたものかと」


 未だに震えている身を深呼吸で整えた。


「やっぱり、アンタが呪術師を操って、いろんな人を襲わせていたの……?」

「あぁ……先を見越していくなら、今の内に候補者を落としていった方が楽ですよね……」 


 沈黙が降りる。

 悔しさも、怒りもあるのに、多くの事が起こりすぎて整理し切れない。


「あの子も、アンタが利用したの? ウチの侍女を操って、ノークフィリアや『空衣』の子を襲わせて、席を開けさせようとしたの?」


 キマリは鼻で笑った。


「ヴァルプルギスの夜が始まれば、そんな程度じゃ済みませんよ。毎日のように暗殺の手が伸びてきて、身近な人がいつの間にか消えて、あるいは敵対する誰かが川に浮かんでいることもあります。世界の支配権を巡る争いなんですよ? 打てる手をこまねいているような愚か者は真っ先に殺されて当然です。皆殺しの魔女のような事が特例だと思い込んでいるのは、平和に毒された間抜けだけです。それが現実的に有効で、実行する手段があるのなら、使わない筈がないんですよ。今回の件は、ちょうどいい隠れ蓑だったんでしょうね」

「あの子、アンタのこと、本気で好きだったんだって……なのに…………」

「好かれているから家の中のものを盗まれても、いつの間にか下着や衣服が無くなっていても、我慢しろと?」

「それは…………ごめんなさい。私がちゃんと見つけて、止めるべきだった」

「彼女は今は?」

「警邏隊で取り調べを受けてるって……」

「そうですか」


 それで興味を失ったみたいに、キマリはじっとベッドの上のシアを見る。


 真っ白な、少しだけ青みの混じった髪を愛おしげに撫で、息をつく。

 その目が、口元が、怪しい歪みを帯びている事に彼女は気付いているのだろうか。


「貴女がどう思おうと自由ですが、これは私とシア様の問題です。この方法を完成させれば、この調子で調整を続ければ、最終選考会までにはノークフィリアのご令嬢を上回る技量が手に入る。あの規格外な『空衣』は無理でも、『神無』なら十分に狙えるんです。魔女の本質から離れていこうと、積み上げてきた技術と知識で以って塔を築けばいい。優れた育成手段が確立されれば、いずれ才能による振れ幅なんて一割にも満たなくなる。それでいい。それでいいんですっ」


 誰よりも才能があると言われた少女は、まるで自分へ言い聞かせるように繰り返す。


「今は称号の獲得が第一。資格さえ得てしまえば、後のことはどうとでもなる。多少敵を作ろうと、塔の魔女にさえなれば誰もがひれ伏す。なんの問題もないんですよ」


 だからエリティアは、膿を吐き出すようにして問いかける。


「アンタはシアを塔の魔女にして、何をしたいの……?」


 答えはなかった。

 キマリは再び呪術を使って、意識の無いシアを嬲り始めた。


 止める声も、批難の声も、彼女には届かなかった。





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