31
目覚めは、不快なほど清涼な感覚と共にやってきた。
お風呂へ入った後のような僅かな火照りと、真新しい寝巻きへ着替えた時の様な、穢れ一つない白の世界。
――チャリ
シミがあるとすれば、ベッドの横で今も言葉にならないうわ言を呟き続ける赤い女だ。
けれど、エリティアも彼女の事は言えそうになかった。
両腕が拘束されている。赤い女のような枷ではなく、真っ白なハンカチが緩く手首を繋ぎ、それがベッドの柵の部分に繋がれているのだ。
こんなもの、と手を抜こうとしたけれど、何らかの魔術が掛かっているのか、ハンカチを緩めることも、手を抜く事も出来なかった。
なら魔女術を使えばいい。
思い、いつも通り感応を始めた途端、
「っ――!? っ、ぁあっ……んんんんんっっ!」
身体の奥底を舌で舐められたような不気味で、けれど身を震わさずには居られないほどの激しく甘い感覚に艶を帯びた声が出てしまう。
「はぁ…………はぁ…………はぁ…………っ、なに……コレ……?」
瞬く間に頬は上気し、全身が熱を持って膨張していくような感覚に襲われる。
自然と腰を捻り、脚を擦り合わせてひり付く感覚に耐える。全身に鳥肌がたち、胸元のささやかな頭頂部では痛いほど突起が主張を始めていた。恐ろしいほどの官能に身を捩ると、それだけで激しい刺激があって、頭の中へ焼きゴテを差し込まれたみたいな、痛みとも官能とも判断の付かない感覚に襲われてしまう。下着と突起が僅かにこすれるだけで、もうどうにかなってしまいそうだった。
足もとで何かの動きがあった。
ぼやけた意識のまま確認すると、誰かが腰元にしがみ付いたまま横になって、眠っているように見えた。
「キマ、リ?」
白金色の髪が見える。
キマリで間違いなさそうだ。
記憶は、まだ確かに連続している。
二階のキマリたちの部屋が荒らされているのを知り、何か知らないかと踏み込んだ一階でエリティアたちは赤い女を見つけた。
けれど赤い女はそのキマリによって拘束されていて、侵入を感知したらしい彼女がこちらを拘束したのだ。すぐに意識を落としてしまったから、具体的に何がどうなったのかは分からない。
この頭がおかしくなりそうなほど清潔な白い部屋の中で、ずっとずっと大切に思っていた人に裏切られ、呪術を掛けられた。
遅れて気付く。
今のは呪術による罠だろう。
魔女術を用いればこの部屋の仕掛けなんてまとめて吹き飛ばせる。
しかし魔女術は世界と感応し、現実を書き換える。そして感応する時、周囲に呪術師の放った毒とでも言うべき変質した魔力に触れれば、感応によって無防備となっている魔女の心は呪術に犯されてしまう。
ならば魔術はと考えて、諦めざるを得なかった。
相手はキマリなのだ。自分がどれだけ頭を捻っても勝てそうに無い。
事実、両手を縛るハンカチへ目を向ければ、作った人間の頭の構造を疑うほど複雑怪奇な術式で編まれていて、通常手段で破壊することも、地力で解除することも難しそうだった。
「んん…………ん……」
腰元へ力が篭められた。
少しして、白金色の髪が持ち上がり、眠たそうな顔をしたキマリが目を覚ました。
目が合って、エリティアは何を言えばいいのか分からず沈黙する。
「…………」
「…………ふふ」
薄く笑みを浮かべたキマリに、昨日の彼女を思い出して背筋が寒くなった。
「早速魔女術を使ってしまったんですね」
腰元から身をずらしてあがってきたキマリが、嬉しそうに笑って手を伸ばし、
「っ…………っ、ぁ、んんん!」
ハンカチが触れる手首を指先で撫でる。
いや、撫でるなんていう動きではない。これはもう愛撫そのものだった。
収まりかけていた疼きが蘇り、熱い吐息が漏れる。
再び寝台へ横たわったキマリの顔がすぐ近くに来て、身が竦んでしまう。
彼女は子どもがそうするみたいにじっとこちらを眺めていたかと思えば、また小さくあくびをして身動きの出来ないエリティアへしがみ付き、目を閉じて耳元へ口を寄せる。
「感じちゃいます……?」
「っっっ――!」
その声一つで達してしまいそうになった。
耳元でくすくすと笑う彼女に身体の熱以上に羞恥で顔も耳も赤くなっていってしまう。
「駄目ですよぉ、逃げちゃ駄目なんです。逃げないでくださいね? でないと私……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
固まったように動かなくなるキマリに、こんな状況だというのにエリティアは慌てた。
「だ、だいじょうぶ……?」
あまりにも間抜けな問いかけだったが、幽鬼じみて呆けていたキマリが途端に嬉しそうな笑顔をほころばせる。
「うん……っ」
子どもが親へ甘えるように、頬ずりをして強く身を抱かれる。
敏感になった肌が、キマリの柔らかな肌を、豊かな胸の感触と、絡められた足の細さと、漏れる吐息の甘美さをつぶさに感じ取ってしまう。
まだキマリが失踪する以前、二人で一緒のベッドで眠ることはあった。けれどその時とはまるで違う。自分ははしたなくも息を乱し、回された腕が服と下着ごしに胸の突起へ触れる度に身体を震わせて、絡まった足をいつしか自分からも強く求めるようにして無防備なキマリの脚の間へふとももを触れさせてしまっている。破廉恥極まりない自分の行動に涙さえ溢れてくるのに、頭の中は理性を溶かしていくように熱く甘い。頬が触れ合うたび、視界の端に移る彼女のふっくらした唇を意識せずにはいられなかった。
エリティアは幾度も達してしまいそうになる自分を必死になって堪え、彼女から漂ってくる甘い香りに意識を酩酊させながら、ようやく気付く。
これが呪術だ。
今もこうして、自分はキマリから呪術を受け、まともな思慮をどんどん奪われてしまっている。
けれど、あんまりにも無邪気に擦り寄ってくるキマリを突き放すことも出来なくて、それが自分の甘さだと分かっていて、呼吸一つ重ねる度にぼやけていく思考をなんとか繋ぎ止めようとあがく事しか出来なかった。
しばらくして、キマリが静かに身を起こすのが分かった。
息も絶え絶えで意識を繋いでいるのもやっとなエリティアは、ようやく開放されたことに安堵を得る。
立ち上がった彼女は何も言わず、部屋の扉を開けて出て行ってしまった。
その間になんとか呼吸を整えて、両手を寝台に繋がれているせいで身を起こす事は出来なかったけれど、なんとか姿勢を変えて室内の様子を伺う。
部屋の中は、未だ明るい状態にあった。
まだ日を跨いでいないのか、翌日なのかは分からない。
採光用の窓からは明るい光が差し込んでいて、部屋の中は居る人物を覗けば一面真っ白に染まっている。
病的なほどの白。呪術師が特定の色へ偏執的に執着すると言うが、隣でもがいている女は赤で、キマリは白なのだろう。
そのまま視線を彷徨わせ、ふと、反対側の勉強机を前に腰掛けている人物に気がついた。
「シア!?」
呼びかけに答えはない。
シアは、いつもの静謐さを感じさせる表情でまっすぐ前を見詰めていて、両手を膝の上で揃えたまま、背筋を伸ばして硬直していた。
じっと観察していて、呼吸や瞬きをしているのは分かったけれど、何度呼びかけても反応は無かった。
まさか――と、当たり前といえば当たり前の帰結に、エリティアは想像以上の絶望を覚えていた。
キマリは、シアにも呪術を使ったのだ。
あれほど大切にしていた、自らの主人と定め、慕ってくれていたシアを。
「っっっふざけないでよ!! キマリ! アンタっ、シアにまでこんなことしてっ! 一体何を考えてるのよ!! 出てきなさいよ! キマリィィィイイイイイイ!!」
先ほどまでの感覚などどこかへ吹き飛び、自分でも信じられないくらい荒れ狂う怒りに任せて何度も何度も叫んだ。
けれど中々キマリは顔を出さなくて、もうこの部屋からは離れているのかと不安になるくらいだった。
「っっなんで……! 聞こえてるでしょ…………っ、アンタは、どうしてシアにまでこんなことをするの…………。ねえ、答えてよ、キマリぃ……」
結局キマリが戻ってきたのは、日が暮れて部屋の中が朱に染まりかかってからだった。
真っ白なカーテンを引き、不思議と白く色付いた照明が付けられ、彼女は寝台ですすり泣くエリティアに構うことなく勉強机のシアへ食事を与えていく。
それはまさしく与えるに等しかった。
真っ白な服を着たシアへ、用意した食事を一つ一つ口の中へ入れ、咀嚼して飲み込むのを待つ。
時間を掛けて、ゆっくりと、まるでそこだけ世界から切り離された場所のように、エリティアには思えた。
※ ※ ※
そうして、三日が経過した。
まともに動けないまま過ごす三日というのは本当に苦痛で、部屋の白さに頭がどうにかなりそうだった。
シアは相変わらず動かない。
けれど定期的にやってくるキマリが食事を与え、何処かへ連れて行き、戻ってきた時に服装が変わっていることもあって、お風呂などで身を整えているのは分かった。
時折目を瞑っていることもあり、眠っているのだろうとは思うが、彼女が横になる事はなく、キマリに手を引かれる時以外は常に勉強机の椅子で綺麗な姿勢を保って静止している。
まるで人形のようだった。
赤い女、呪術師らしき彼女も変わらずだ。
うわ言のように何かを漏らす事はあっても、やはり確かな言葉になった試しは無い。
彼女への扱いは特にひどかった。食事は一日に一度のみで、世話はしているようだが、どちらかといえば部屋が汚れるのを避ける為に清掃をしている、といった感じだった。鎖に繋がれた首や手足にはこすれて赤くなった痕があり、それでも思い出したように鎖を引っ張ってどこかへ行こうとする彼女を、エリティアも不気味に感じて声を掛けようとは思わなかった。
正気を保っていない二人に比べて、エリティアはまた違った意味で悲惨だった。
手を縛られ、終始寝台に縛り付けられたまま、シア同様に食事を手ずから与えられ、またキマリは近寄る度に呪術でエリティアの頭の中を犯し尽くしてきた。
手加減をされているのか、それが正規のやり方なのか、まだ理性を保っていることが不思議でならない。
食事も最初の一日は拒否していたのに、結局は空腹に勝てず受け入れた。
せめて会話をと話しかけてもキマリは能面のような表情で淡々と世話をするだけで、最初この部屋で会ったときのような受け答えすらなかった。
二日目で身体の臭いが気になり始めた頃、キマリがお湯とタオルで身体を拭いてくれた。別室に連れて行かれることもある二人とは別で、まだエリティアをここから出すつもりはないのだろう。そして、無造作に身体を拭かれることにさえ敏感に反応してしまう自分に、なによりもシアや赤い女のいる場所で肌を晒して、淫らな声をあげてしまう自分に、どうしようもなく打ちのめされた。
「キマリ…………」
部屋を出て行こうとするキマリへ呼びかける。
返事はなかったけれど、彼女は立ち止まった。
ぼうっと、壁まで真っ赤な部屋の外を見詰めたまま、こちらの言葉を待っている。
「……その、あの、ね…………?」
言いたいことも、聞きたいことも、この三日で散々口にしてきた。
彼女が答えてくれたことはなかったけれど、今回ばかりは対処してもらわないと困る。
もう三日だ。身体は綺麗になっても、限界がきている。
「あの…………お願い、が、あるんだけど……えと」
あれだけみっともない姿を晒しておきながら、この期に及んでまだ躊躇う。
だが仕方の無い事だ。
エリティアは顔を真っ赤に染めながら、涙さえ浮かべて言う。
「お、お手洗い……いきたい…………っ」
言い切って、顔を隠すように身を丸める。
恥ずかしくて死んでしまいそうだった。
友だちに、年下の女の子のいる場所で、こんなことを言うなんて。
「っ、ずっと我慢してたのっ。けどっ、もう無理ぃ……お願いだから、お手洗いいかせて、ねえ、キマリっ」
けれど一度口にしてしまえば、望みが出てしまえばもう身体も持たなかった。
ようやくこちらを向いたキマリへ哀願するように訴える。
これで駄目ならもう漏らすしかない。それだけはどうしても避けたかった。
「ここっ、汚れちゃうよ……? せっかく真っ白なのに、汚しちゃうんだから…………」
そうだと思いつき、あまりにも醜い脅しをかけてみる。
だがそれが効いたのか、キマリはこちらへ近寄り、ベッドに繋がった部分を解いて、エリティアの身を引いた。
「っ……」
三日ぶりに足が地面を踏んだ。
急激に頭の中が揺れて、踏ん張れずキマリへ寄りかかってしまう。
少しだけ、そのまま静止する。
キマリは何もせず立っているから、エリティアもどうすればいいのか分からず、鼻腔を擽る彼女の香りにまた別の疼きを感じてしまう。
ただ、
「っ――お手洗い、どこ?」
本当に辛くて、なんとか顔をあげて訴えると、キマリはこちらの手を掴んで外へ連れ出してくれた。
真っ赤な通路に出た途端、吐き気がこみ上げてくるのが分かった。
仄かな明かりが広間から見える。そこには、数名の人影があり、生きているのか死んでいるのか、皆してシア同様に身動き一つせず固まっている。
エリティアはそこを通り過ぎる時に黒服やおじいちゃんの姿があるのにほっとして、導かれるまま見知った間取りのお手洗いへ誘導される。
扉を開けて、中へ背を押され、けれど、向かい合ったキマリは淡々とそれを眺めている。
「…………………………ぇえっと、きゃあ!?」
扉閉めてよ、と言おうとした所へ、キマリがこちらの腰元へ手を伸ばしてきたので、拘束されたままの両手でなんとか押し留める。
「じっ、じぶんでやれるからっ。だから、扉、閉めてよぉ……」
最後は涙目になりつつ訴える。
こんな所で、見知った人が居る空間と繋がったままの状態で、用なんて足せない。
そんなことになったら本気で舌を噛み切って死にたくなる。
ここが限度だ。いやもう限度なんてとっくに通り過ぎてしまっているけれど、絶対的に譲れない所だった。
じっと見詰めてくるキマリに視線を返していると、彼女は不意に顔を寄せると、
「っっっっ!! んんっ、っぷは…………ちょっと……っ、ちゅ、ぁ、っ………………何、してっ、ちゅる……っは、あ……んんんんっ!」
口内を嬲られ、頭の中を、心の中を嬲られ、犯されていく。
そのまま腰が便座に落ちる。
下着を脱がされていることに気付いたのは、我慢の限界を過ぎてからだった。
扉が閉まる。
けれどキマリはそのままエリティアへ身を寄せたままで、物音に顔を染めていくのも構わず舌を絡め続けてきた。
「っっは、ぁぁ…………はぁ…………はぁ…………はぁ…………は、っ、はぁぁぁ…………」
ようやく開放された段階になって、涙が溢れてくる。
こんな恥ずかしい想いをして、親友に見られて……。
しかし羞恥の時間はそこで終わらなかった。
「待ってっ! それは大丈夫だから! 両手塞がってても大丈夫だからぁぁぁ…………~~~っっ!」
結局キマリに拭き取られ、お手洗いを出る頃には、エリティアは心身共に疲れ果てていた。
真っ赤な通路を歩きながら、しかし、先を行くキマリに気付かれないよう、吐き気を堪えつつ手元を見る。
魔女は常に軽く周囲と感応している。呪術師の作ったこの空間ではエリティアはただ息をしているだけで常に毒を飲み続けているような状態だが、同時に利点もあった。常に感応しているということは、常に魔女術を使っている状態にあるということだ。
実際に行使してしまうと必ずキマリには気付かれるだろう。
けれど、手元のこの、彼女が作った手錠代わりのハンカチに掛けられた魔術とも感応し、構造を読み取るくらいは出来る。
あの白い部屋でやれば仕掛けられた罠でまた変な状態にさせられるのだろうが、ここでなら大丈夫のようだった。部屋を出てからずっと、大変な状態ではあったけれど、エリティアはずっと解析を続けていた。
扉を潜るとき、また別の違和感に気付いた。
音の感覚が違うのだ。
出るときは気が逸れていて気付かなかった。
おそらくは遮音の魔術でも掛けられているのだろう。
あれだけ叫んでいたのにキマリが気付かない訳だ。
それは同時に、中で起きている変化に、彼女が外に居た場合は気付きにくいということではないか。
考え事をしていたエリティアは、つい目の前にいるキマリの様子がおかしい事に気付くのが遅れた。
「…………?」
部屋へ入ったところで硬直する彼女の向こうに、何かがある。
いや、そこにはシアがいつも通り勉強机の前で静止している筈だ。
「っ、シア!?」
違った。
シアは椅子から崩れ落ちていて、真っ白な絨毯の上で鼻から大量の血を流しながら倒れ伏していたのだ。
「っっっ!!! ――――っ、ぁ、ぁあああ、あああっ!!!」
「キマリ!?」
突然叫び出すキマリの肩を掴み、必死になって揺り動かす。
「しっかりしなさいよ! アンタがやったんでしょ!? どうなのっ! ちゃんとシアを助けられるんでしょ!? アンタがやらなきゃいけないのに、馬鹿みたいにうめいてちゃ駄目じゃない!」
訴えても、強く肩を握っても、動揺しているらしいキマリを落ち着かせる事は出来なかった。
混乱しているのは自分もだと泣き叫びたくなった。けれど呪術についてよく分かっていないエリティアではどうすればいいのかも分からない。
助けを呼ぶ? お手洗いへ行くときに確認した出入り口はあからさまなくらい魔術と物理的な罠が仕掛けなおされていた。
別の道は? 他も変わらず何かの仕掛けの存在を感じていた。
広間の誰かを起こして? 良い案に思えた。こんな意味の分からない凶行を止めるのに、今以上の機会なんてない。
ただ、と。
「……シ、ア……様………………ぁぁ、ぁぁぁあ…………」
血まみれになったシアの前で膝を付いて震えているキマリを見て、どうしてもその光景に背を向けられなかった。
甘すぎる考えに自分でも馬鹿だと思う。
なのに、すぐ隣へ膝を付き、生々しい血に膝が汚れるのを感じた時、不思議と覚悟が決まった。
「キマリ」
呼びかける。
応じたのではなく、音に反応しただけのようなキマリへ拘束されたままの両手を彼女の頭の後ろへ回し、そのままエリティアはキマリに口付けた。
「っ!?」
驚いたような様子のキマリを見て少しだけ得意気になる。
柔らかな唇の感触に身体を疼くのを無視し、口を開かせて舌を絡める。
絡めとり引き出し、噛んだ。
「っっ!」
身を縮めて顔を離したキマリの目に、僅かながら理性の光が宿った事で、ようやくエリティアは安堵した。
回していた腕を戻し、彼女の頬に触れる。
冷たい、冷え切った感触に怯えそうになったが、身体の熱はまだ生きている。
「アンタっ、ちゃんと見なさい! シアが鼻から血を流して倒れてるの! どうすればいい!? 私に出来る事はある!?」
視線を彷徨わせていたキマリが血溜まりを見つけて身を竦める。
けれどその中に沈んでいるのがシアだと理解するや、すぐさま踏み込んで身体を助け起こした。
触診、聴診とどんどん血に汚れていく自分に構わず、肌蹴させたシアの身をガラス細工にでも触れるようにして調べていく。
幾つか魔術も使用した。
中には呪術もあったのかもしれない。
皮膚にこびりついた血が乾燥する頃になって、ようやく、シアの容態が安定した。
エリティアが三日間横たわっていたベッドへ寝かせて、じっと様子を伺った後、崩れ落ちるように地面へ腰を落とし、盛大なため息をついた。
「…………大丈夫、なの」
「………………」
「ねえっ、答える義務くらいあるんじゃないの。こんなことしておいて、ありがとうの一つもいえない訳?」
俯くキマリの隣で膝を付く。
さっきまではどうだか知らないけれど、シアを診ていた時からは確実に理性を取り戻していた。誤魔化しも逃げも許さない。そう覚悟を決めて言ったつもりだった。
「………………………………わかりました」
「…………はぁぁぁぁっ」
ようやく返って来た言葉に、なんだか一気に疲れてしまって、エリティアもまた大きくため息をついた。
キマリは疲れたような、困ったような、ひどく不安そうな表情でこちらを見る。
「話します。この一ヶ月、何をしていたのか」




