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やがて小さなてのひらは  作者: あわき尊継


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 まだウインスライトへ来て間もなかった頃、姉の呼び出しに応え、魔女協会の支部へ向かっていた。


 市民団体の派手な活動に嫌気がして、適当な裏道へ入った先で、呪術師と出会った。


「うふふふ………………ねえ、ねえっ、アナタ知らない……?」


 自分から何もかもを奪った呪術師。

 その出現に心から震えて、怯えて、竦みあがった。


 けれど真っ赤な女が近寄ってこちらへ手を翳した瞬間、反射的に魔術が出た。


 猛烈な風が女を煽り、動きを鈍らせたところに、足元から氷原が広がって彼女の両足を氷付けにした。


 女は不思議そうに足元を見て、子どもみたいに動かない両足を振ろうとするけれど、そんな容易く抜け出せるようには仕込んでいない。


「っ、はぁ…………はぁ…………」


 呼吸の荒くなったキマリはなんとか息を整えつつ、日頃からの成果に感謝した。

 呪術師に限らず、今後奇襲を受ける事はあるだろうと、常から反射的に防御の魔術を使うよう身体に染み込ませておいた。

 突風程度であれば精々軽い怪我をするだけで収まるから、暴発したとしても大きな問題にはならない。


「あはっ、ねえ、うごけないの……ねえ、どうして……?」


 眼球に通した特殊な魔術が、相手の変化をつぶさに読み取った。


 変質していく体内魔力にすぐさま行動を起こす。


「アンタの頭がおかしいからでしょ……!」


 刃となった風が呪術師の皮膚を浅く幾度も切り裂き、しかし動揺で調節を誤ったらしく、壁の一部を切りつけてしまった。

 けれど、意識が逸れてしまえば呪術の発動は遅らせることができる。


 考える。考える。


 この呪術師は、使えるのではないだろうか。


 壁面へ緩い認識阻害を掛ける。

 これでしばらくの間、あの傷へ注意が向くことは避けられるだろう。


 そうして彼女は、赤い女へ近付いていった。


    ※   ※   ※


 「みぃつけたっ」


 扉の前に立つ怪しさ全開の人物を前にキマリは合わせていた服を抑えるのも止めて一度手で頭を押してやった。

 ため息すら出る。


「くだらないことは止めてください」

「うふふふふ…………でもぉ、言いつけは守ってるんだもんっ」

「確かに、あれからは身を潜めて何もしていないようですけどね……」


 女の首筋を見る。

 呪印は浮かび上がっていない。

 呪術は使っていないということだ。


「アナタへ掛けた認識阻害のおかげで、周囲からは別人に見えているはずですけど、その口調はどうにかなりませんか。不気味です」


 言いつつ、キマリは与えた水晶を彼女が見につけているのを確認する、

 都市に出入りする飛行船などで使われているのと同じく、魔女術による侵食を防ぐ力があるものだ。

 通常個人で入手することなど出来ないが、原理さえ分かってしまえば決して作れない訳ではない。

 この水晶も元はある魔導士が個人で完成させたものだ。


「うふふ、そんなこと言われてもぉ…………うふふふふふふふふ」


「まだ精神支配は緩いみたいですしね。今後利用していくなら、もっと正確に操れないと意味がないですし……」


 とりあえずは、とキマリはドアノブから手を離し、女を部屋へ招きいれた。

 途中、台所で落として割ってしまったコップの破片を思い出し、


「こちらを綺麗に掃除してください。出来ますね」


「うふふふふふふふふふふふ」


「それが終わったら、また意識と記憶の上書きをします。片付けをしてこちらへ来てください」


    ※   ※   ※


 壁際に押し付けた侍女の首筋に舌を這わせながら、ゆっくりと毒に冒していく。


 彼女が自分に歪なほどの愛情を抱いていることは分かっていた。

 けれど、この手の人間は時に最も信用が出来ない。

 勝手な行動でこちらの狙いを乱されては困る。


 呪術で問題なのは、術者本人も呪術に冒されることもそうだが、使用した際に掛けた相手同様に魔女の口付けが浮かび上がることだった。


 一応の対策も立ったが、やはり気軽に試すことも出来ない為、まだまだ練習不足で肌に浮かび上がってしまうこともある。


 後は、毒の通り道となる場所には神経が集中しており、つまり、その人物にとって敏感な場所となってしまうことだろうか。

 もっと手軽な通り道があれば、もっと隠し易い場所に呪印をつけるだけで済むのだが。


 ともあれ、彼女に関してはクラインロッテ家で世話になっている間だけでいい。

 歪んだ愛情でシアに手を掛けられてはたまったものじゃない。


 恍惚とした表情でこちらを見詰める侍女を、キマリは冷たく観察し、また、その首筋に舌を這わせるのだった。


    ※   ※   ※


 定期的に赤い女の精神支配を行うため、どうしても呪印が浮かび上がってしまう時がある。

 これは何度も試してきたおかげで二日か三日もあれば洗い流せるのだが、癖になる、とでも言うのか、浮かび上がりやすい場所というのが出来つつあった。そういった場所は消えたと思っていても、ほんの数時間もすればまた印が出てきてしまう。


 ただ服で隠すだけでは不安だった。

 けれど、首元の怪我などどう説明すれば納得してもらえるのか。


 焼き上がったオムレツを眺めながら、キマリはおもむろに腕をまくり、熱く熱せられたままのフライパンへその腕を触れさせた。


「…………」


 痛みはある。

 けれど、なんの苦も感じなかった。


 やりすぎてはいけないと慌てて腕を離すと、程よい感じに火傷の痕がついていた。

 後は水に晒して冷やしつつ、薬を塗って包帯を巻く。


 多少強引ではあるものの、もし首の包帯に気付いた人には、この腕の火傷を見せればそれ以上踏み込んではこない筈だ。

 女の火傷した肌を見せろと強要してくる人は、おそらくクラスの中には居ない。


 まあ、オムレツを作っていて出来た火傷と聞いて、腕はともかく首元というのは少々強引だが、言い張ってしまえば強くは詮索出来ないだろう。


 朝の鍛錬を終えたシアが奥から出てくる。


 咄嗟にキマリは台所の奥に設置してある鏡で自分の顔を確認し、綺麗な笑顔が作れたと納得できたら、彼女の前へ姿を現した。


「おなかすいた」

「ごめんなさいシア様、どうやらオムレツは上手く作れなくって。今別のものを用意しますので、もうしばらくお待ちいただけますか?」


    ※   ※   ※


 そして、今。


 キマリたちの住んでいたアパートメントの一階。

 入り口からこの部屋まで、狂気じみた赤一色に染められた家の中を進んでいくと、奥の部屋では襲撃事件の首謀者と思われていた赤い女が鎖に繋がれ倒れていた。

 部屋は明るく、清潔感の漂う白が多い。

 暖かな雰囲気すらある場所だったが、エリティアは言い知れない不安感と共に踏み込んでいき、赤い女の首元に魔女の口付けが刻まれていることを確認した。


 視界に影が落ちる。

 黒服が寄ってきたのだと思った。

 けれど振り返ろうとする途中、部屋の入り口で倒れ伏す彼の姿を見た途端、エリティアが全身の血が凍えるのを感じた。


 そこに立っていたのは――



 白のワンピースに身を包んだキマリがいつも通りの笑顔を浮かべていたのだった。



、彼女はこちらへ寄ってくる。


「キマリ……?」


「はい、エリティア様」


 言って、少し立ち止まって、彼女は困ったように自分の顔へ両手を当ててこねるようにする。

 けれど結局、また笑顔になってこちらを向いた。


「ごめんなさい。こういう時の表情は用意して無くって、とりあえずこのままでいきますね」


 伸びた手がこちらの頬へ触れる。

 少しだけカサついた、けれど細くて長い、美しい手指が頬を、耳元を撫でる。


「っ――!?」


 思わず飛び退くと、キマリはそのまま笑顔でこちらを見てくる。


「もぅ……逃げないで下さいよ」

「キマリ……だよね?」

「そうですよ」

「どうして、ずっと家をあけてたの? 部屋、すっごい散らかってて、私、すっごく心配したよ?」

「ありがとうございます」


 何がありがとうなのか分からなかった。


 けれどこちらの疑問など理解してないかのように、キマリはまた一歩距離を縮める。


「私、とても困っているんです」


「へぇ……なに、を?」


「エリティア様をどうすればいいのかなって。だって、貴女は昔から、妙な所で鋭かったり、察しが悪いかと思えば、天然で答えにたどり着いてしまうことがあったんですよ? だから、こんなことになってしまって、私もどうするべきか悩んでます」


 拗ねるような顔をしたのも少しだけで、すぐさまキマリは笑顔に戻った。


 とても魅力的な笑顔なのに、ずっと小揺るぎもしないまま――まるで仮面のようですらある表情に、エリティアは一歩身を引く。


「邪魔が入らないならそれで良かったんですけど、この人を見られたのなら、仕方ありませんよね」


 詰め寄られる、下がる。


 詰め寄られる、下がる。


 繰り返していく内にはたと気付く。


「…………ねえ、外の皆は、どうしたの?」


「あら、見えないんですか?」


 ほら、と一歩横に引いた先で、


「っっっっ!?」


 黒服が、おじいちゃんが、血の海に沈んでいて――


「っ、やだっ……っ、きゃあ!?」


 下がろうとした先で足を取られる。

 いつの間にか、あの真っ白なベッドのところまで来てしまっていたのだ。


「っ…………っ…………っ…………っっ!」


 身体の中が痙攣したように震えている。

 まともに声も出せない。


 ただようやく気付いた。


 この部屋は、何もかもがまっ白だ。

 壁も、床も、勉強机も、シーツも、ベッドの脚から照明の傘から観葉植物の葉や蔓に至るまで、何もかもが無垢な白に染め上げられている。

 なんとなく、シアのあの、真っ白で美しい髪を思い出した。


 キマリが覆いかぶさってくる。


 彼女の白金色の髪が頬にかかり、漂ってくる香りに頬が熱を持つ。

 何をしようとしているのかも分からない。

 彼女はいつも通りの笑顔のまま、少しだけ恥ずかしそうに頬を赤らめ、じっとりとした目でこちらを舐めるように見る。


 近寄ってくる顔を呆然と眺めながら、開いた彼女の口の中、舌の上にどす黒い渦のような痕跡が見えた。

 流石にそこは、そうそう誰かに見られるような場所じゃない。


 呪術を使った時、呪術師もまた魔女の口付けが浮かび上がる。

 そんな理由も知らないまま、けれどエリティアは確信を持って口にした。


「…………アンタ、呪術師だったのね」


「はい。私、舌が感じやすいみたいなんです」


 そのまま阻む事も出来ず、エリティアはキマリから口付けをされた。

 唇を甘く噛み、合わせたままの歯を舌先で押し広げられ、口内へ侵入してくる。

 ねっとりとしていて、けれどどうしようもなく甘美な感触が、彼女の脳と身体を痺れさせる。


 舌へ絡み付いてくるキマリのソレを、目じりに涙を浮かばせながら受け止める。


「――――――のに」


 言葉は口付けに呑まれ、強く抱き締められる感触も、触れ合う唇と舌の感触も徐々に遠ざかっていく。


 頭の中に声がする。


 舌を通して、身体の中をキマリが生み出した毒で犯されていく。


 涙が、流れ落ちた。


    ※   ※   ※


 完全に意識が落ちる直前、不意にかつて交わした言葉を思い出す。


『今まで居た場所から離れて、最初に買ったのは鏡でした』


『鏡?』


『それだけです』


 なぜ、あの時の言葉をもっとよく考えなかったのか。


 キマリが見せてくれた、最後の助けを求める声だったかもしれないのに。





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