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第三回選考会当日。
授業の全ては中止となり、学院には魔女協会の関係者をはじめ、様々な人々が集まってきていた。
当然学院内は警備でいつも以上に物々しくなり、学院の生徒でさえ校舎や敷地内への出入りには身分証の提示が必要になった。
同時に、敷地内に入れる護衛や付き人の数も絞られた。
世間的にもこの第三回で称号を得ることが、そのまま最終的な資格者となると考えられているのか、必要以上に戦力を招き入れて対立候補者を威嚇することが無いように、ということらしい。
護衛など雇えない一般的な家庭の生徒も居るので、これは当然の措置と言えた。
実際手出しはしてこないとしても、無言で大柄な男たちに囲まれて順番待ちをしていると、中々に気疲れしてしまうものである。
まだウインスライトは夜に包まれたままだ。
あちらこちらに照明が焚かれて、学院の敷地内は普段の日中より明るいくらいだったが、やはり暗闇は人の想像を掻き立てる。
見回りは不定期に、絶えず行われていた。学院の教師たちは軒並み一流の魔導士だ。名門家系の送り込んできた護衛でも、そう容易くあしらえる相手ではない。
だからこそ、校舎外ともなればどうしても空気がひりつき、落ち着かなくなってしまう。
候補者のひしめく校舎内も同じようなものだが、教室へ詰めている限りは見知ったクラスメイトしか居ない。
競合こそしても、ある程度の秩序がそこには生まれるものだ。
シアたちも普段使っている教室で待機していた。
準備も鍛錬も、今日まで十分に行ってきた。
だからキマリが、順番が回ってくるその時までシアに平常心でいられるよう手を尽くしてくれていたのだが、
「ど、どういうことよっ!?」
普段より人気の少ない教室でハーブティーを愉しみつつ、身体を軽く解してもらっていた所に、見知った声が廊下側から聞こえてきた。
「エリィ?」
「みたい、ですね」
相手の声ははっきりしなかったが、どうにも揉めているらしい。
キマリは周囲を確認し、指を軽く鳴らす。近くの木に小鳥がやってきて、落ち着いた様子で毛繕いを始めた。
「様子を見てきますね。シア様はどうかこちらでお待ち下さい」
頷くと、キマリは騒ぎからは遠い後ろの扉から出て行った。
暇になったシアはふらふらと視線を彷徨わせ、なんとなしに窓際へ寄る。
毛繕いをしていた小鳥がこちらを見て首を傾げるような動きを見せた。
窓を開けて手を伸ばすと、警戒も無しにこちらへ飛び移ってきた。
指先に、小さな足が捕まる感触がある。
重さはない。本当に羽が一枚留まっているだけのように思える。
頭を撫でようとしたら、嘴で指先を甘く噛まれる。
驚いたのも最初だけで、それが確認だったのか挨拶だったのか、素直に指先を受け入れて頭を撫でさせてくれる。
ただ、背中に触れられるのは嫌だったのか、掴もうとした手からぴょんと跳ねて逃げてしまう。
そんな時に気付いた。
「シャル」
階下に亜麻色の髪の少女が見えた。
彼女は何かの本を読みながら歩いていて、とても落ち着いているように見える。
コンコン。
窓を叩いて呼びかけると、気付いた彼女がこちらを向く。
両手を開いて手を振った。居場所を失った小鳥が肩へ乗ってきた。
眼下でシャルロッテが嬉しそうに振り返してきて、久しぶりの交友に自然とシアの表情もほころんだ。
言葉も交わさなかったけれど、キマリが戻ってくるまで二人は、こっそりと身振り手振りで遊び合っていた。
※ ※ ※
キマリが廊下へ出た時、既に場は険悪な空気で満たされていた。
少数とはいえ、エリティアの背後に控える侍女や黒服たちと、同じように人を引き連れた生徒の姿がある。
「あれは……」
人ごみに近寄りそれとなく様子を伺う。
向かい合っていた小柄な少女が、鼻息も荒くエリティアを指差していた。
「アンタが差し向けたんでしょ! 分かってるんだからね!」
後ろから眺めているせいではっきり姿を確認できないけれど、やはりノークフィリア家のご令嬢らしい。
『神無』の称号を巡ってエリティアと競い合い、第一回第二回と仮の称号を取り続けている、現在の無欠の天才と呼ばれている少女。
二人が諍いを起こしたという話は聞いたことが無い。
対立する候補者であっても、互いに格のある家柄同士で無闇に争い合うことはそうそうしない。
それに、片方はあのエリティアだ。多少の嫌味くらいは気付かず相手の懐へすっころんで踏み込んでしまうくらいはやるだろう。
「だからっ、私は知らないって言ってるじゃない!」
しかし今回は別だったらしい。
エリティアが声を荒げている所などキマリも殆ど見たことが無い。
彼女は言い掛かりをつけているらしいノークフィリアのご令嬢をぐっと見返して、ツインテールを逆立てて怒っていた。
「じゃあ何で昨日私を襲った呪術師がアンタのとこの侍女そっくりだったのよ! ウチの護衛が人違いしたとでも言うつもり!?」
「それこそそっちの言い掛かりでしょっ。大体問題の呪術師は警邏隊が捕まえたままよっ」
「ッハ! 怪しいものね。いきなり大騒ぎして兵隊送り込んできて、ちゃんと挨拶に来たもんだから好きにさせてあげてたけど、本当は自分たちでいろんな候補者を潰して回ってたんでしょ。捕まえたっていう呪術師が本物なのかどうかも怪しいわっ」
「私の親友が襲われたのよっ!? 第一そんな下らない事ウチがやるわけ無いでしょっ!」
へぇ、親友だったんですか。
とりあえずキマリは心の中でつっこんでおく。
身体の熱は吐息に混ぜて吐き出しつつ、内容を吟味する。
どうにも先日ノークフィリア家を襲撃した者が居るらしい。
言っている内容を口実にしてクラインロッテ家を糾弾しているのか、本当に思っているのかは分からない。
「そうかしら? 第一回、第二回と称号も取れないまま。今回と次を落とせば、クラインロッテ家はヴァルプルギスの夜への参加資格さえ獲得出来ず終わるんだもの。必死になるのも分からないでもないけど、襲撃者の腕前も貧相な上に、やる事に品がないのよ」
「だからウチは関係ないって言ってるでしょっ」
「だったらいつも連れてる侍女を出しなさいよっ。ウチの護衛が右腕に傷をつけているわ。それを見ればはっきりするじゃない」
「それは……今日は体調崩してて、連れて入れる人数にも制限あるから家に置いてきたわよ……」
急激に言葉が萎んでいくエリティアに、ノークフィリアのご令嬢が得意気に笑った。
そこは事実であっても嘘をついてでも弱みを見せるべきではなかった。
けれど仕方が無い。エリティアだから。
彼女が嘘を重ねて自分に都合のいい物事だけを作り上げていくのなら、親友とかいうものの席に大人しく座っていてあげるつもりはない。いや、座ってないし、勝手に言っているだけだけど。しらないし。
尚も言い合う二人を置き捨て、キマリはうんうんと一人頷く。
「――――まあいいわ。どうせ今回も『神無』の称号は私のものよ。ふんっ、こんな学生向けの称号なんて欲しくはないけど、もののついでよね。私はもう称号を持っているから無いなら無いでいいんだけど……来年中には本命を貰う。だからここを選んだのよ」
と、今までさしたる興味のなかったノークフィリアのご令嬢の言葉に、キマリの意識が向いた。
口ごもってしまったエリティアへの勝利宣言のように、彼女は得意気に言い放つ。
「ハーヴェイ=ブルトニム。今アレの称号授与資格を持っているのは彼でしょう? ヴァルプルギスの夜が始まるまでの暇つぶし程度に、貰っておくのも悪くないわよね?」
「……………………そんな安い称号じゃないわよ、アレは」
唐突に、静かな威圧感を以ってエリティアの言葉が贈られた。
別段威嚇しているのではない。普通に、ただ想いが言葉になって出てくるだけで、不思議と重みが加わるのだ。
「無欠の天才、ね。貴女は確かに才能があるけど、本物じゃない。本物は、もっともっと凄かったわ」
「っ――!! クラインロッテ……!」
「貴女に『真銀』は無理よ、ノークフィリア。それは、本当はあの子のものになる筈だったんだから……」
先ほどまでの言い合いはどこへやら、エリティアはただ悲しそうで、辛そうで、だから、キマリは黙ってその場を去った。
もし、
もし――二年前にキマリが魔女の適正を失わなければ、正式な授与が行われる筈だった『真銀』の称号。
かつてキマリの姉、サラサが所有し、彼女が塔の魔女となることで保持者の居なくなったもの。
教室の中で、シアは窓際で小鳥と戯れているようだった。
そっと扉を閉めて近寄ると、彼女はこちらに気付いて嬉しそうにしてくれた。
「騒ぎは収まりました。さあっ、今日の選考会で、必ずや『空衣』の称号を獲得しましょうっ」
「うん、頑張るよ」
※ ※ ※
窓際にキマリの姿が見えた途端、シャルロッテは校舎に身を寄せて死角へ逃げ込んだ。
久しぶりにシアと心が触れ合えた。
とても優しい子だ。
彼女が塔の魔女になるのなら、きっととても良い世界を作ってくれるのだと思う。
自分には、そんな大それた考えを持つ事は出来ない。
『即答出来るほどの理由もなく、友人との競い合いを楽しむ程度の感情で、私とシア様の道を阻むのはお止め下さい』
本当にその通りだ。
けれど、コレだけなのだ。
生まれて初めて、誰かに認めてもらえた力。
この都市で立ち、歩いていくには、この力に頼っていくしかない。
でも……と、やはり迷ってしまう。
一度は故郷に戻りたいとあれほど願っていたくせに、触れ合ってしまった彼女の心に、応えてみたいと願っている自分が居る。
どうすればいいのか、まだ決めかねている。
もう一度、シアと話す機会を持てれば。
それで満足出来るかも知れない。
小さな世界で生きていく、それだけの決心をつける時間が欲しい。
「こんな所に居たのか」
声が掛かる。
落ち着いた、深い響きを持つ男の声。
オペラ歌手のような衣服を纏い、立ち居振る舞いに優雅さのある彼の名を、彼女は大切そうに告げる。
「ハーヴェイさん」
孤児院の出資者でもあり、あの故郷からシャルロッテを引っ張り出してくれた恩人だ。
苛烈な所もあると言われる彼だが、シャルロッテからすれば不器用なやさしいおじさんでしかない。
「あまり会う機会を作れずすまないな」
「ううん、平気」
「だが今日は別だ。仕事を押し付けてきたから、選考会が終わるまでは付いていてやれる」
「ありがとう」
シアと別れて沈んでいた心が、また少し落ち着いてくる。
幼い頃から度々会っていただけに、彼とは孤児院の家族たちのような、親しさを感じてもいる。
マァムは居たけれど、男の大人の人がいなかったから、一部ではパァパと呼んでいた子もいた。
直接は、きっと恥ずかしくてとても言えない。
「今日は、調子が良さそうだな」
「うん。……うんっ」
少し前までは、いつもよりマシというだけだったのだが、やはりシアと会えたのが大きかった。
「……第一回と第二回は残念な結果だった」
「ぁ……」
「君本来の力を発揮できればそれでいい筈だ。慣れない土地では大変だろうが、この夜が故郷を連れて来てくれたおかげだろうか」
「……そう、かな?」
思ってもみなかった事だ。
確かに、ウインスライトから太陽が消えてから、この都市の暑さが随分と楽になった。
これでもまだまだ暑いけれど、時折吹く風は少し涼しくて心地良い。
――けど、故郷を連れて来る、か。
なんとなく言葉が気に入った。
「故郷が恋しいか」
「…………うん。けど」
この都市を自分の足で歩いた。
いろんな景色を、いろんな場所を踏みしめて、いろんな風を感じた。
「友だちが、出来たの」
ほう、と感嘆を漏らすハーヴェイに、少し照れが混じる。
友だち。友だち。口にしてから心の中で噛み締める。
くすぐったくて、ふわふわしてくる。
彼は安心したように笑った。
「それはよかった。クラスメイトか、それとも別の?」
「別のクラスの子です……。あはは、中々話せなくって、ちょっと寂しいけど……」
「ならば今日、語り合えばよい」
語り合い、と言われてシャルロッテは首を傾げる。
「感応とは受け取り、感じ、応じることから始まる。呼び掛けるのではないのだ。万事と万象は常に何かを放っている。それをつぶさに受け取っていけばよい。そこから始まるのなら、一方的に語りかけるだけではなくなる。魔女術を使おうなどと考えるな。語り合いたい者が居るのなら、声などに頼らず感応しろ。君たち魔女にはそれが出来る」
気付く。これは何もシャルロッテだけに教えられたものじゃない。
この学び舎で、誰もが一度は目にする所にそれは書かれている。
「教本の……最初に書かれていた一文……」
「研究が進められ、効率のよい鍛錬の手段が開発され、より高い力を持った魔女を生み出すのは昔より難しくはなくなった。称号者に与えられる指輪をはじめとした装具は魔女の力さえ大きく促進する。これからも、道具によって引き上げられる力は、力量の締める比率を高めていくだろう。けれど違うのだ。それでは魔女の本質から遠ざかる」
だから、語り合えと。
選考会など忘れて、友だちとの語り合いを楽しめと、彼は言う。
――あぁ、それは、
「忘れるな。所詮魔女術など、七つの塔が世界を支配してから生まれた言葉に過ぎない。感応、それこそが魔女の本質だ。知識に溺れるほど、そこから遠ざかっていってしまうのだよ」
夜空の向こうに、天を貫く塔が聳え立っていた。




