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咄嗟に首筋を押さえたキマリを見て、エリティアは心配そうな表情を浮かべていた。
「……首元が隠れる服なんですけどね」
「さっきお礼してもらった時にちらっと見えちゃったのよ。えと……ごめんね? 怪我したの? あっ、そういうのって、あんまり見られたくないよね。ごめん、ね?」
「いえ……」
黙り込むキマリに、エリティアはどんどんと不安になる。
彼女は何も、別荘で自分がした宣戦布告とその後の断絶を忘れている訳ではない。
けれど、その上でもキマリとの友情を大切にしたいと思っているだけなのだ。
結局あの時言おうとした言葉も言えていない。
キマリが呪術師に襲われたことで自由に動けなくなり、面倒を見るという恩を売る形でなし崩し的に彼女と和解したようになっているだけで、あの一件に対してキマリはなんらエリティアを許していないのだ。
だから、不意の無言が怖くなる。
「ごめん! この話はおしまーい! あっ、でも治療が大変だったら、私おじいちゃんに頼み込んででもいいお医者を探してもらうから、いつでも言ってね!」
「ありがとうございます」
ようやく漏れた苦笑に心の奥底から不安が溶けて流れていくようだった。
「……お料理に失敗したんですよ」
ついで、キマリの言った言葉がエリティアには分からなかった。
「オムレツを作ろうとしたんですが……焦げ目もない、具材の入った、ヒビ一つ無いオムレツというのは、ちょっと難しかったんです」
言って袖を少しまくり、そこにあった包帯を解いて見せた。
「っ!!」
本当に小さなものではあったけれど、指先一つで隠せそうな火傷の痕があり、キマリの白い肌の上に浮かんでいた。
彼女の肌に傷がある。それがエリティアにとっては大事件だった。
「本当は今日、シア様にオムレツを食べていただくつもりだったんですが、満足のいくものが出来なかったので、慌ててトマトソースパスタを作りました。とても大事なこの時期に、シア様の望むものを用意できなかったことは大いなる不覚です。シア様、どうかお許しを」
「おいしかったよ」
「ありがとうございます」
微笑み合う二人に目を丸くしつつ、けれど言わずにはいられないとエリティアは割って入った。
「失敗したの!? え!? キマリが!?」
あのキマリがだ。
小さな頃から何でも出来て、知らない事でも学べば三日で習得してしまうキマリが、オムレツ一つ作れず火傷を負った。
もしかしたら魔女の口付けを発見した時以上に驚いていたかもしれない。
だというのにシアとキマリは何をそんなにという様子で、誰か過去を知る人にこの事を打ち明けたくなって身悶えするしかなかった。
「私だって、シア様と出会ってまだ一年も経っていないんですよ。付き人としての技術も、出会ってこちらへ来る少し前から学び始めただけです……なんですか、失敗しちゃ駄目なんですか……」
キマリが拗ねていた。
むすっとした表情を隠せもせず、半眼でエリティアを睨んでくる。
急激に胸の内が花咲いた。
「キマリがっ! 失敗! キマリが! ああああああこの大事件を歴史に刻まないと! キマリ、オムレツ作れない。世界中の歴史の教科書が書き換わるわよ!」
「いえ、人の失敗を世界中に晒さないでください」
最早顔どころか耳やうなじまでも赤く上気させ、興奮しきって鼻息の荒くなったエリティアがツインテールをぷんぷん振り回す。
失敗話を振ったのはキマリだったが、流石に苛立ちがこみ上げてきたのか触手の片方をひっつかみ、ぐいと引っ張る。
「あー! 引っ張らないでよー!」
「こうなったら今夜までに世界一のオムレツを完成させますから覚悟しておいてください。あまりのおいしさに世界をひれ伏させてみせましょう」
「オムレツ作りで世界がひれ伏すとか何言ってるのよっ」
「オムレツ作りに失敗しただけで歴史を語った人の言う事ですかっ」
「だってだってキマリが!」
「ええいもう黙っていてください。次オムレツを食べるまでに口を開いたら一生絶交しますからね!」
エリティアは黙り込んだ。
お口をバッテンにしたまま動かない。
ただ鼻で息をするのを意識してしまって鼻先がぴくぴくと動いていた。
「晩御飯はオムレツたべれる?」
「お任せ下さい。きっと塔もひれ伏すオムレツを完成させましょう」
神への挑戦状を叩きつけ、とりあえず一行は学院へ向かって今日の授業を受けた。
教師から設問を振られ、けれど絶対に口を開こうとしなかったエリティアは、不憫にも居残りとなった。
※ ※ ※
「…………っく!」
台所から悔しげに声を滲ませるキマリが居る。
エプロンをし、腕を捲り上げて髪を後ろで纏めてポニーテールにしている。
腕に巻いた包帯が痛々しいと感じられていたのも最初だけで、既にいくつものオムレツを口にしていたエリティアが、ややうんざりした様子で言う。
「…………ねえ、これ失敗なの……?」
「っ、駄目です! 色合いや形は整えられましたが、内部の火の通り具合を失敗しましたっ! 具材にしたトマトの配置を再考慮しなければ……っ。向き……いえ、トマトの水分が半生の卵と交じり合って、火の通り具合が変わってしまうんです。不均一さは美味しさを感じるために必要だとも言われますが、シア様の求めるふわふわオムレツには完璧な火入れが求められます……! フライパンに接した部分には焦げ目がつかなくとも表面が固くなってしまってはいけない……きっとやり方が間違っているんです。なにか別の方法を考えなければいけません……オムレツを作る全く別の方法が、どこかに…………」
お皿に盛られたぷるんぷるんのオムレツへナイフを入れれば、柔らかな身は刃先を動かすことなく切れていく。
内部から漏れ出すトロみのある卵と、トマトの汁気が混じった香りに満足そうに喉を鳴らす。予め何か加工してあるのか、トマトの身もあっさりと切れて、共に口の中へ運べばバターの風味と卵のやわらかな味わい、熱せられた事で薄まったトマトのほのかな酸味と旨味か交じり合って頬が落ちそうなほどおいしい。
次にバジルの混じったソースに絡めて食べると、素のオムレツが持つ優しい味わいが、強烈な衝撃を以って変革した。
お肉料理のような鋭い旨み。
食欲を掻き立てるソースとトマトオムレツの相乗効果に身体が火照り、舌の上でとろける卵の食感が官能的ですらある。
「…………おいしい。すごくおいしい」
「失敗作です……っ」
凄まじく悔しそうにするキマリの姿に釈然としない思いでエリティアはオムレツを食べる。
もう三つ目になるので辛いのだが、もっともっと食べたいと要求する身体を抑えられない。
「~~~~~っ、おいしい! のに…………なんでアンタはそんなに落ち込んでるのよっ!?」
丁寧にフライパンを洗う姿は子どもっぽくすら見えた。
当初、ヘタクソで焦がしたオムレツを眺めながらにまにましようと思っていたエリティアだったが、何度味わっても一流シェフの品と遜色無い出来栄えに、用意しておいたおちょくる言葉もなぐさめの言葉も、全部胃袋の奥へ追いやられてしまっている。
何故コレが失敗作なのか全く分からない。
たしかにキマリなら、コレ以上のオムレツを作れるのかもしれないと思えてしまうのだが、敗北感に満たされるのはなぜだろう。
「卵を切らしたので買ってきます…………」
「あ、それならウチの人使っていいよ?」
ただの好意で口にした言葉に、エプロンを畳んでいたキマリが少しだけ頬を膨らませてこちらを見る。
「………………分かったわよ、シアはちゃんと見てるから、行ってくればいいじゃない……」
「………………よろしくおねがいします」
髪をほどいて通路脇の棚から財布を取り出し、家を足早に出て行くキマリを見送る。
しばらくして、
「んふふふ、ふっふっふっふっふ…………んふふふふふふふぅぅ~~!」
エリティアは食卓を前に、ナイフとフォークを握ったままのシアへこれまで見せたことがないほどの上機嫌で擦り寄っていた。
「エリィちょっときもちわるい」
「んふふふぅぅうっふふふっふふぅ!」
普段なら涙目になるようなことを言われても、金髪ツインテールは尻尾をぴょこぴょこ震わせながらシアの頭を撫でる。
顔つきがかなり残念なことになっていたからか、黒服たちがそれとなく顔を背けていた。
「キマリの失敗、うれしい?」
「あっ」
シアの疑問に、彼女ははっとしたようで、真剣な顔で首を振る。
「ううん。違うの。あのね、なんだか昔に戻ったみたいで、ちょっと嬉しくなっちゃった。別に今のキマリがやだって……………………うぅ、ん……まあ色々思うところはあるけど、嫌ってる訳じゃないの」
ねえ聞いて、と袖を摘んでくいくいと引っ張るエリティア。
「あの子って昔、すっごいお姉ちゃん子だったの」
「お姉ちゃん?」
「あっ、そっか、聞いてないか。ええと…………うん、キマリには後で私から言うね」
それから彼女は身を正し、黒服へ目をやると、彼らを部屋から出した。
そして小さく深呼吸する。
桜色のルージュが照明を受けて艶やかに光を帯びる。
「あの子にはね、歳の離れた、とても才能のあるお姉さんが居たのよ」




