武士道
いつもありがとうございます。
今回は、武士道。
武士道と騎士道、似ているようで、たぶん、一番違うと思うのは、主従の関係だと思うのです。
日本の武士道でも、たぶん戦国の下剋上の時代なら、割と西洋と感覚は似ているとは思うのですが、江戸期になり儒教の上下関係の締め付けがきびしくなってくると、明らかに変わってくるように思えます。
たとえば。日本江戸時代の三大敵討ちの一つ、『忠臣蔵』です。
とはいえ、今の若い人は『忠臣蔵』といって、ピンとくるかどうかは謎ですね。昭和の時代までは十二月になると毎年のように忠臣蔵のドラマが流れ、討ち入りの十二月十四日には『討ち入りの日』などというニュースが流れたものですが、さすがに、最近、滅私奉公的忠誠など、共感されがたくなったというか、飽きられたというか……。
わからない方に説明をします。
忠臣蔵というのは、江戸城松の廊下で赤穂藩領主、浅野内匠頭が吉良上野介に刀で切りかかり、その日のうちに切腹を命じられ、赤穂藩はとりつぶされるという事件がきっかけになり、最終的には、赤穂藩家老であった大石内蔵助が、同藩総勢47名を引き連れ、12月14日、江戸にある吉良邸に押し入り、吉良上野介の首を取った、というお話でございます。
ちなみに。
秋月の出身である愛知県は吉良上野介の地元。昭和の時代の12月14日のローカルニュースは、吉良氏の菩提寺で、『吉良上野介さまの命日』という報道が流れておりました。
完全な余談になりますが、昭和の時代に吉良の忠臣であった清水一学氏の子孫と赤穂浪士の子孫が『和解』するというニュースが流れたほど、昭和の時代でも忠臣蔵は身近でありました。
一般では悪役の吉良さまが地元では名君というこの物事の二面性を幼いころからひしひしと意識するきっかけだったように思います。
さて。これ、西洋の方には、本当に理解しがたい事件なのでありましょう。
ちなみに、ドイツで製作された『ベルリン忠臣蔵』という映画がありますが……言葉にできないものであります。
まあ、興味のある方はどうぞ。まっとうな歴史を知っている日本人は『笑う』しかございません(苦笑)
まず、たぶん、『死した主君』に『命を賭して』という感覚が理解不能と思われます。
おそらく、西洋人的には、大石が、浅野の弟である大学を大石がかつぎ吉良を討つというのは、たぶん理解できるでしょう。
仰ぐべき忠義の対象が何もないのです。吉良を討ったところで、赤穂藩が復活するとは思えない状況なのです。
もっとも、この状況は日本でも大石が不公平な裁断を下した幕府への間接的な報復行動でもあったという見方が一般的なのではありますが。
そして、生き急ぐような、死の美化。
これは、なんというか、第二次世界大戦くらいまで日本人を支配していて、昨今は急速にその考えは嫌われるようになりました。
男性だけのものではありません。
ちょっと前の小説など読むと、女性でも操を奪われたら、あっさり自殺というのが多いです。
なんというか『生き恥』というのを、極端に嫌う民族だったように思います。
実際には、もっとあがきにあがいて生きた人間の方が大多数ではあったとは思いますが、『生き恥』をさらさないことが美徳とされていた風潮はありました。
まあ、しかし。日本の政治家さんとかはもっと武士道に立ち返った方がいいかなあなんて思ったりもして。
今回の一番のファンタジーの話題は『ベルリン忠臣蔵』でございました(笑)




