甘噛み
「今は、ニホンオオカミの危険性ではなく…とにかく彼らをどう保護していくかが重要な論点でしょう」
「しかし…熊をも殺すとなれば…いささか…」
ニホンオオカミの群れの発見からわずか1日。
政府の会議室では、非常に激しい議論がかわされていた。
最初の1匹を保護してから、群れを発見するに至るまで、政府の人間は日本国内に野生のニホンオオカミを繁殖させることを目的とした計画を立てる予定であった。
しかし今回、偶然調査隊が遭遇した群れ…そして彼らの凶暴具合、食物連鎖上位内における圧倒的な強さを目の当たりにした途端、急に怖気付いてしまった。当然ながら計画案は白紙になりかけつつあり、現在、その計画を実行に移すべきか変更するべきかの可否を煮詰めている状況だった。
「絶滅種の発見は確かに素晴らしい出来事です、発見し次第、保護し…丁重に扱うことは当然の対応だとは思います。しかしながら…アメリカの出来事もありますしね…考えてみればギガントピテクスも人間を容易に殺すことの出来る危険生物と判断してもおかしくは無い…今回の出来事から鑑みても、人間を死に至らしめる可能性のあるニホンオオカミを無理にでも急速に繁殖させ…野に放つのは些かリスクが大きすぎると思うのですよ…」
「そんなこと最初から分かっていたことだろう…そもそも現在、絶滅種では無い野生生物も人間にとっては脅威になりうる存在のものも多くいる…」
「だからですね、別に根絶やしにしろと言っているわけじゃないんですよ。例えばワニやライオンなどの危険生物を繁殖させて野に放てば、当然ながら人的な被害を被るのは目に見えているでしょう?一定のニホンオオカミを保護して繁殖させる程度ならまだ問題ありません…ただ、野に放つのが危険と言ってるんです」
その様子を、リモートで参加している笹壁は、ミュートしているのをいいことに…その場にいる人間に対して言った。
「…うーん、めんどくさい」
「まぁ、会議室にいる人間には分からないことかもしれませんね」
調査隊が設営したキャンプの中には、リラックスしながら寝そべるニホンオオカミの群れの姿があった。野生生物でここまで人馴れしているのはなかなか見たことがない。
「ラーテルのような勇敢さと、ステラーカイギュウのような人懐っこさを併せ持った生物なんて…人間に愛玩されるために生まれてきたみたいな才能…他にありませんよ」
「なーんで甘噛みが得意なんでしょうね」
調査員の防護服越しに、手をハムハムと咥えるニホンオオカミ。
「子供を咥えて運ぶ時とかに使うからじゃ?」
「でも、それホモ・サピエンスに使うか?この鋭い牙を見る限り、他の生物に対して圧倒的な強さで狩りを行うような猛獣だぞ?」
「…うーん」
「もしかしたら、笹壁さんが関係してるのかも?」
「え、じ、自分がですか?」
急に、専門家の議論に自身の名前が上がって肩を震わせる笹壁。
「なに、フェロモン出してるとか?まさかオカルトじみたことは言うまいな」
「ちがうって…たとえば、笹壁さんの祖先が…それこそまだニホンオオカミが存在しているような時代に、彼らに対して友好的で…あぁ、もう説明がめんどくさいな…要約すると笹壁さんの祖先がニホンオオカミと仲良かったから回り回って、人に対して友好的になったんじゃないかってこと」
「つまり…ニホンオオカミ側が共通言語を介して現在にいたるまで、人間に友好にしろとか…伝えてた…その原因が笹壁さんの祖先ってこと?因果関係ないし、そもそもそれじゃあ、今までの笹壁さんの活躍の辻褄が合わないだろう?笹壁さんの祖先が、イギリスにもオランダにもインドにも行って、ドードーやギガントピテクスを手懐けてた、江戸のムツゴロウみたいになるじゃないか」
「…そうか」
「でも、笹壁さんが要因ってのは何となくわかる気がするなぁ…だって、これだけ絶滅動物、いや動物を手懐けてるような人、俺知らないもん…てか人間業じゃないもん」
「分かるわ…なんでなんですか笹壁さん、猫で言うマタタビみたいなフェロモンとか出してるんですか」
「…さぁ、自分でもよく分からないのですよ」
そういえばオランダがなんか自分のフェロモンやらなんやらを調査していたな、と思い出す笹壁。
笹壁が持つこの謎の才能は、必ずしも全ての動物に対して有効であるわけじゃない。上野動物園に行った時は、飼育されていた動物が興奮状態であったものの、街中を歩いている時に鳩に集られることもないし、ヒッチコックの『鳥』
のように、家を埋め尽くさんばかりの鳥が現れる訳でもない。
かと言って鳥類に対してだけ有効でないかと言われれば、ドードーの件から見てもそうとはいえなかった。
海に入れば魚が寄ってくるわけでもないが、水族館に行くとやたら自分のいる方向にサメやシャチなどの大型の魚や哺乳類が興味深そうに、触れ合って来ることもある。
基準は非常に曖昧だが、ほぼ全ての動物に対してその才能が有効であると、本人も推察していた。
「1回、検証してみたらどうです?動物に対してどれだけ有効か、下手したら微生物にも有効かも」
「やだなぁ…それ」
「気になったらうちの大学にいつでも連絡を…あと、ついでに講演会なんかもちょろっとして頂けると…」
「話すことないんですけど…」
「じゃあ、質問会で」
「おい!抜け駆けはずるいぞ!」
「うちの大学にもぜひ!」
場はいつの間にかオファー合戦になりかけていたが、会議の途中で入った緊急の電話によってその喧騒は遮られた。
「笹壁さん、緊急で連絡が」
「え」
「ちょっと会議抜けられます?」
「あー、はい」
笹壁はミュートを解除にし、席を外す旨を伝えると、カメラをオフにしたあと軍用のごつい衛星電話を受け取ると、応答を始めた。
「もしもし」
『あ、申し訳ありません。絶滅危惧種及び絶滅動物保護管理研究総合統括事務局の鈴木です』
「あ、鈴木さん」
内閣府に設置された特別組織であるこの名前の長ーい事務局。日本国内の絶滅動物や危惧される動物の保護を行うと同時に、海外からの調査協力依頼の対応を行うこの組織は、端的に言うと私の現在の職場である。正確に言うと職員と言うよりかは特別顧問的な大層な待遇を受けているが、それは後にして、事務局の副局長である鈴木さんから緊急の連絡を受けた俺は、一体何事かとおずおずと聞いた。
「どのような…」
『それがですね…再びアメリカから依頼が来まして』
「…ダンクルオステウスですか」
『いえ…海洋生物であることには変わりないのですが…今度はハワイ諸島の沖合で巨大な魚影を目撃したという報告が…』
「ハワイ…ですか」
『えぇ』
内心嬉しさでいっぱいになるが、調査のために行くのだと言い聞かせる。
『いやはやしかし、今回目撃された魚影の情報は我々としても半信半疑にならざるを得なくて…』
「なぜです?」
『大きすぎるんですよ』
「…ほう」
まさかゴジラが存在していたとか言うまいな…。
『史上最大の生物と言えば、シロナガスクジラであることはご存知かと思います。その体長は約30m、生で見るとその大きさは誇張されたかのように凄まじいものですが…今回発見された魚影の大きさは約50m、しかも魚影ですからね、実際はそれよりも確実に大きいと言えます』
「…まじすか」
『はい…』
「そもそもそんな大きい生物が自然界で生きていけるもんなんですか?」
『大きさに比例して骨格がそれなりに進化していると推察できますが、些かなぜ見つからずに現在に至るのか…と言った方が謎でして』
「で、その超巨大生物の調査に…いつ頃行くんですか?」
『なにぶん急を要する事態でして、恐縮ですが笹壁さんには現在行っている裏山の調査を切り上げて頂きたく…』
「分かりました…自分がいない間も、裏山の調査は継続ということですか?」
『えぇ、そうです。連絡はこちらからしておきますので』
「はい、了解です」
巨大生物の調査…というのもあるが、その時の俺は常夏の南国ハワイをいかに傍らで満喫するかを思案するばかりであった。




