九十四話 『家族』
――少しずつ、癒えていく。
時間という薬は、体だけでなく、心にも作用してくれる。
一ヵ月も経つ頃には打撲の腫れも引いていて、ほとんど顔の状態も元に戻っていた。
そして、花菜さんと一華ちゃんも、新しい生活に慣れてきたようで……それから、武史への気持ちもちゃんと区切りをつけられたらしい。
一緒に暮らし始めた最初の時期こそ、ふとした拍子に暗い顔をしていたのだが、もうそんな表情を浮かべることはなくなった。
「一華、巧くん……そろそろ寝る時間よ。明日も学校でしょう? いつまでもゲームしてたらダメよ?」
「えー。あとちょっとだけ! もう少しでクリアできそうなのにっ」
「いや、一華ちゃん……これ、たぶん難しいから無理だ。明日また頑張ろう」
「ぐぬぬ……悔しいっ。でもたくみにぃがそういうなら、仕方ないかぁ」
「うふふ。一華は巧くんの言うことはちゃんと聞くのよね。私が言っても聞かないのに」
そんな会話を交わしながら、ゲームの電源を落とす。
もう夜も遅いので、眠る時間になっていた。
「じゃあ、今日も巧くんの部屋で眠りましょうか」
「花菜さん……客間を使ってくれてもいいのに」
「あら、嫌なの? 巧くん、気持ちよさそうに私と一華を抱き枕にしてるのに」
「ち、ちがっ。俺はされている方だから!」
この一ヵ月で、色々と変化があったわけで。
そのうちの一つに――俺の花菜さんに対する言葉遣いが変わった、というものがあった。
もちろん、花菜さんからの提案だった。
一緒に暮らし始めて一週間くらいしたころから、花菜さんは敬語を使われるのを嫌がるようになったのである。
なので、敬語はやめた。
花菜さんに対しても、一華ちゃんと同じように普通に話しかけるようになったのである。
そのおかげか、今まで以上に花菜さんとも親しくなれた気がする。
「お母さん、意外と寝相が悪いんもんね……たくみにぃがいてくれて良かったぁ。わたしの身代わりになってくれてありがとっ」
「……だから一華ちゃんは真ん中で寝ないのかっ」
ここ一ヵ月、俺たちは同じ部屋で寝ているわけだが。
やけに一華ちゃんが俺を真ん中にしようとしていて、不思議に思っていたのである。その理由がようやく分かった。
一華ちゃん、俺を盾にして花菜さんから身を守っていたらしい。
普段はお淑やかなのに、寝ている時はすごく乱暴な花菜さんに困っていたようだ。
「二人とも失礼ね。私の寝相が悪いわけないじゃない」
ただ、当の本人に自覚がないのが一番の問題だ。
花菜さんは俺が抱き着いてきていると思っているんだよなぁ……実際はもちろん、逆である。毎夜の如く俺は抱き枕にされていた。
……柔らかいしいい匂いがするので、決して嫌というわけじゃない。
ただ、本当にこんないい思いをしていいのか、という後ろめたさがあるのだ。花菜さんに申し訳ないんだけど……本人があまり気にしていないようなので、まぁいいのか。
と、そうやって雑談を交わしながら、俺の部屋へと入った。
武史の部屋が真向かいにあるので、一時期は入ることもためらっていた場所だが、もうあいつに対する思いは区切りをつけている。
だから、武史の話をするどころか、気にすることなく……みんな、自然な態度で眠る準備をしていた。
花菜さんが、押し入れから布団を取り出している。ベッドは既に撤去していて、今は布団を二枚敷いて三人で雑魚寝している状態だ。
さて、俺も電気を消す準備を……って、ん?
そこでふと、カーテンが完全に締まっていないことに気付いた。
お昼にここを掃除をしていた花菜さんが閉め忘れたのかもしれない。夜は外灯の光が入るので、ちゃんと閉めておいた方がいい……と思って、窓の方に歩み寄る。
すると、カーテンの隙間から、隣の部屋に明かりが点いているのが見えた。
(武史……今日はいるのか)
毎晩確認しているわけではないのだが、あいつは部屋にいたりいなかったりする。別にどうでもいいことなのだが、なんとなく確認している自分がいた。
(まぁ、関係はないか)
視線を向けたのは、一瞬だけ。
すぐにカーテンを完全に閉めて、意識を背ける。
花菜さんと一華ちゃんに、悟られたくなかった。
俺がまだ、武史を気にしていることを。
だって、二人はもう武史のことを忘れている。
傷が深いはずの二人が武史を乗り越えているのだ。俺がいつまでも、あいつの存在に引っ張られてはいけない。
だから、すぐに武史のことを頭から追い出した。
そのころにはもう布団は敷き終わっていたので、部屋の電気を消して……三人で横になった。
「じゃあ、二人とも……おやすみなさい」
「うん。花菜さん、一華ちゃん、おやすみ」
「おやすみなさ~いっ」
そうして、三人で眠る。
前はよく、眠る前に話をしていたものだが……今は花菜さんも一華ちゃんも生活に慣れたようで、寝つきが早く、雑談する時間すらなくなっている。
でも、こうやってお互いに気を遣わない関係が、俺は好きだった。
まるで――『家族』みたいで、素敵だなと思うのだ。
(……幸せだなぁ)
一人では広く感じていたこの部屋も、三人では狭く感じる。
それがすごく、心地良い。
ずっと無音だった空間に、別の人間の寝息がある。
それにすごく、憧れていた。
家族のいる生活を、ずっと……夢に見ていた。
だから、この状況を俺は何よりもうれしく思う。
色々、あったけれど。
結果的に、こうして大切な人と一緒に暮らせるのは、とても幸せなことだった――。




