九十二話 過剰な負い目
残念ながら、帰宅してもケガの状態が酷くて落ち着くことはできなかった。
花菜さんと一華ちゃんも俺の状態を心配しており、怪我を放置しておくことはできず……病院に行くことに。
もう夜なので近所のクリニックは開いていない。そこで、少し遠い大きな病院の救急で治療してもらったわけだが。
「しばらくは安静にしないとダメだね」
俺の様子を見た医者の先生は、レントゲンの写真を見ながら難しそうな顔でそう告げた。
「打撲が複数個所ある。骨に異常がないことが不幸中の幸いだね。もし折れていたら手術だったから」
「手術……!」
「まぁ、そこまでではないから安心していいよ。とはいえしばらくは痛みがあると思うから、痛み止めを処方しておこうか。まったく、酷い状態だね」
「……そ、そんなに酷いですか?」
「うん。酷い……というか、怪我の状態としてはまぁ、そこまで重いわけじゃない。ただ、これ――誰かに殴られただろう?」
やっぱり、医者には見抜かれるか。
怪我の状態を見て、俺に何が起きたのかは予想出来ているらしい。
「人の手でこんな状態になるまで殴られたことが、酷いと言ってるんだ……喧嘩にしては派手じゃないか。もう少し穏やかに生きることを、医者としてオススメしておこう」
それから先生は、レントゲンではなくパソコンの方に視線を移した。もう治療と診断は終えたのだろう……しかし、まだ問診は終えていないようで、帰っていいとは許可が出なかった。
しばらく、パソコンのタイピング音だけが響く。診断書に何やら記入していた先生をぼーっと眺めていたら、先生は俺の方を見ることなく、こんなことを聞いてきた。
「それで、どうする?」
「どうする、とは」
「診断結果だよ。『人の手による負傷である可能性が高い』ことを記入するかどうか、聞いているんだ」
そこまで説明されて、ようやく先生の意図が理解できた。
どうやら色々と気を遣ってくれているらしい。
「君が望むのであれば、転んだことにできなくもない」
「……いいんですか?」
「良いか悪いかで言えば悪いに決まっているだろう。ただ、患者の話はなるべく聞くようにしているだけだ」
つまり、俺の意思を尊重してくれるらしい。
医者の手によって書かれた診断書は、場合によってはとても重要なものになるだろう。
例えば、武史を警察に通報する場合――とか。
しかし、その必要はないわけで。
「それで、どうする? 何があって怪我をしたのか、教えてくれ」
先生の問いかけに、俺はこう答えた。
「――転びました」
事件にまで発展させる必要はない。
まぁ、念のため診断書に暴力の有無を記入してもらうのも悪くないかと、一瞬考えた。
しかし、それがあると……ふとした拍子に、俺が武史を通報したくなるかもしれないと思って、あえてやめたのだ。
もうこれ以上は、武史に対して何もする必要がない。
だから俺も、あいつのことは忘れて、全てをなかったことにしたかったのだ。
「……君みたいな患者は多いよ。まったく、もっと穏やかに生きればいいものを」
「すみません。色々ありまして……」
「事情は話さないでくれ。知りたくもない。ほら、もう問診は終わりだから、さっさと帰ってくれ」
なんだかんだ愚痴を言いながらも、先生は俺の言う通りにしてくれるみたいだ。
そのことに感謝してお礼を伝えてから、部屋を出る。
それから、待合室で待っている花菜さんと一華ちゃんのところへ行って、診断の結果を伝えた。
骨に異常はなく、打撲で済んだと伝えたら、二人は安堵の表情を見せた。
「よ、良かった……でも、包帯だらけになっちゃったわね。ごはんとかお風呂とか、しばらく大変かもしれないわ」
「たくみにぃ……何か困ったことがあったら何でも言ってね? わたし、お手伝いするからっ」
と、二人が言ってくれたので、これからの日常生活にも特に支障はないだろう。
ただ……武史に負わされた傷なので、二人が過剰な負い目を感じていなければいいのだが――。




