八十九話 兄として……?
――こうして、武史は家族との離別を受け入れた。
これでもう、花菜さんと一華ちゃんは書類上でしか武史と家族ではなくなったのだ。
「一華。巧くん……もう行きましょうか」
花菜さんと武史は既に別れの言葉を交わしている。
引っ越しの準備もすませているので、これ以上の用事はこの家にない。
後は、俺たちがいなくなるだけだ。
「……一華。お袋に捨てられたら、俺のところに来いよ。面倒くらい見てやる」
一華ちゃんと一緒に立ち上がって、玄関の方に歩き出すと……武史が後ろから声をかけてきた。
その声に前を歩いていた一華ちゃんが足を止めたので、俺も立ち止まらざるを得なかった。
「お袋は子供を捨てるような最低の人間だからな。いつか、気が変わってお前もそうなるかもしれねぇぞ」
……こいつなりの心配、なのだろうか。
的外れな言葉だ。花菜さんとの離別は、お前に理由があるのに……武史の中では、花菜さんだけが悪いことになっている気がする。
まぁ、こいつはそういう人間なので、今更訂正する気にもならないが。
「別にいい。兄貴なんかに頼らないし、そもそもお母さんは私のことを見捨てたりしないもん」
一華ちゃんも、武史の言葉を真に受けていない。視線を向けることなく、素っ気ない言葉で対応していた。
そんな彼女に対して、しかし武史はなおも話しかけ続けた。
「そんなこと言うなよ。お前のことは色々と心配してるんだからな」
花菜さんに対してはあっさりと引き下がったのに……一華ちゃんとの別れは、惜しんでいるかのように。
まぁ、一華ちゃんは武史のことを嫌そうにしているので、会話が続くことはなさそうだが。
これ以上は何を言ってもまともに取り合わないだろう。
と、思っていたのだが。
「そうだ……一華に言っておきたいことがあったんだ。兄として、これだけはちゃんと警告しておく……巧だけは絶対に好きになんかなるなよ。こいつはつまらない人間だからな」
「……っ!」
俺の悪口を言われたから、だろう。
「つまらなくなんかない。たくみにぃをそうやって悪く言わないで。兄貴と違って、優しくて素敵な人なんだからっ」
一華ちゃんは、武史を強く睨みつけた。あいつの言葉に反応してしまったのである。
それを好機と見たのか、武史はさらに言葉を続けた。
「たしかに、優しい奴かもしれない。でも、こいつはお袋と一緒で、気が弱くて臆病なだけの小心者だ。断れないから受け入れているだけの、男らしさが欠片もない女々しい奴だからな」
……まぁ、否定はしないが。
今更、武史に何を言われようと、特に何も思わない。
所詮は最後の捨て台詞である。最後くらい、好きに言わせておけばいい。
そう思って、俺はスルーしていたのだが……一華ちゃんは露骨に反応してしまっている。
「違う。たくみにぃは、臆病なんかじゃない」
「いや、そうなんだよ。巧はただ臆病なだけの小心者でしかない。野心もなければ、野望もない。競争心のかけらもない。男として……それ以前に、生物の『オス』として色んなものが足りていない」
「……やめて」
「お前のためを思って言ってるんだ。巧はな、成功することのない負け犬だ。そこそこの安定で満足できるような底辺にしかなれない。一華……お前の容姿なら、もっと力のある男を選ぶことができる。成功できる男を選べ。オスとして、強い男を……な」
「そんな話、聞きたくない」
「いいから聞け。お前ほどの素材が巧で消費されるなんて惜しいんだよ……困ったことがあったら俺を頼れよ。男と遊びたくなったら、いい奴らを紹介してやる。巧とは違う、成功者を」
……武史なりの哲学か?
俺のことをかなり見下している理由がこれか。
くだらない話だと思う。成功とか、勝ち組とか負け組とか、そんなことに興味はない。
お前らはそうやって誰かと比較して生き続ければいい。
俺は誰とも比較しない。自分が幸せであればそれでいい。
俺と武史は、根本的に価値観が違う。
そして一華ちゃんも……どちらかと言うと、俺に近い思考を持っているようだ。
「どうでもいいよ。兄貴のそうやって他人を見下すところ、本当に嫌いっ」
首を横に振って、武史を強く拒絶していた。
やっぱり一華ちゃんは、花菜さんに似ている。
雰囲気が柔らかいけど、ちゃんと自分の意思を持っている。
武史の甘い誘惑をいとも簡単に拒絶した。
そういうところが、素敵だと思う――。
お読みくださりありがとうございます!
もし良ければ、ブックマーク、高評価、レビュー、いいね、感想などいただけますと、今後の更新のモチベーションになります!
これからもどうぞ、よろしくお願いいたしますm(__)m




