八十五話 母としての最後の責任
「武史……あなた、自分の立場をよく考えなさい?」
気が弱い花菜さんが気丈でいられる理由。
それは、この状況は決して武史だけが損をするわけではない、という根拠があるからだ。
こいつは自分が得をすると分かっていれば暴れまわることはないだろう。損をすることを嫌がる人間なのだ……そうやって変に要領がいいからこそ、今まで横暴に振舞いながらも誰にも咎められずに生きてきたのである。
今まで、その性質に身近な人間はたびたび困らされていたわけだが……今回はそれを逆手にとって、武史を制御しようと話し合ったのだ。
「もし、あなたが私たちに手を出したら、警察に通報する。私は今までのことを全て包み隠さず伝えるわ。私の手に負えない、ということも相談する。少年院……とまではいかないと思うけれど、今まで通りこの家で暮らせるとは限らない」
「……ちっ」
花菜さんの言葉に、武史は不快そうに舌打ちをこぼした。
こいつは決してバカじゃない。故に、自分がどうなるかも分かっているだろう。
「もし警察に介入してもらう場合、私はあなたに援助を行わない。もちろん、公的な手続きでしかるべき援助を受けられると思う。ただ、その場合……あなたは普通の高校生ではなくなるということも、頭に入れておいて」
実際、どうなるかは俺たちも把握しきれていない。
花菜さんが手に負えないと訴えても、親だから責任を取れと指導されるかもしれない。しかし、そうならない可能性もある。
実際、俺が負傷するほどに傷つけている以上、この暴力性が問題視されるだろう。その上、花菜さんと一華ちゃんに手を上げたりするなら、それこそ……武史を手放すことだって、公的に許される可能性もある。
まぁ、どうなるかはこの場にいる誰にも分からないが……少なくとも花菜さんが武史の味方をしない、ということは確実なのだ。武史だけに有利な状況になることもまずないだろう。
「でも、大人しくしてくれたら生活費と学費の援助をする。住居も提供する。私が保護者としてあなたの身元を約束する……冷静に考えてみなさい? つまりあなたは、一人暮らしをするだけになる。しかも、贅沢をしなければ働く必要もない環境で」
今までと違うのは、花菜さんと一華ちゃんが家にいないことだけ。
それ以外において、武史は今までと同じ生活を送ることができるのだ。
「巧くんへの暴行は、私と一華が責任をとる。通報しないでもらうようにお願いもする……その上で、よく考えなさい。その拳を私たちに向けるかどうか、を」
そう言った花菜さんの視線は、武史の手に注がれていた。
さっきからやけに警戒していると思ったら、なるほど……あいつの拳は、固く握りしめられている。まるで、今にも殴りかかろうと準備しているかのように。
「成人する年齢になるまであと一年とちょっと……もし大学に行くのなら、あと五年くらいは、普通の暮らしをしたくないかしら? その年齢で、お金も生活もすべて一人でなんとかするのは、厳しいと思うわ」
これが、花菜さんにできる最大限の責任の取り方なのだと思う。
武史が大人になるまでは、生活面において不自由な思いをさせない――その覚悟がハッキリと示されていた。
「武史……お母さんから、最後のお願いよ。せめて、表面上だけでも普通の子供でいてほしい。お願いだから……あなたを不幸になんて、したくないから」
ここで手を上げるのなら、きっと武史はまともではいられなくなる。
通報せざるを得ないことになり、学校側も暴力事件を起こした生徒として対処するだろうし、将来においても……きっと、今回の件は不利に働くことだろう。
そうなると、武史が幸せになることが難しくなる。
たとえ、どんなに改心したとしても――だ。
花菜さんは、願っている。
いつか、武史が自分の間違いに気付いて、正しい道を歩むことを。
その時にちゃんと幸せになれる可能性を残してあげたいと、そう願っている。
……俺としては、通報して警察に任せようという提案をしたのだが。
残念ながら、それは花菜さんに却下された。
だから、武史……花菜さんに感謝しろよ。
俺はお前を、警察に突き出そうとしていたのだから――。
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