八十四話 縁
全ての始まりは、武史と香里が浮気したことだった。
しかし、こんな事態になったのはこれだけが理由ではない。あくまで、浮気はきっかけにすぎない。
この件で、花菜さんと一華ちゃんが武史に対して不信感を覚えた。それが皮切りになって、今まで抱えていた問題が表面化していった。
武史という人間は、根本的に何かが欠落している。
それを花菜さんと一華ちゃんが見て見ぬふりしていたのは、ずっと二人が『家族』を大切にしようと努力していたからなのだ。
その努力に甘えて、どんどん堕落していった結果が、これだ。
二人はもう、家族だからという理由で武史を受け入れきれなくなっている。
何故なら、武史は他人を平気で傷つける人間になってしまった。
このままでいたら、武史は俺だけではなく多くの人間を傷つけていくだろう。そうなる未来が容易に想像できてしまう人間性が問題なのだ。
だから、二人がここで拒絶したのは……ある意味では、愛情でさえあると思う。
『今の武史だと、家族でも一緒にいられないんだよ』
と、メッセージを送っているように感じた。
だって、二人は別に武史を見捨ててどこか遠くへ消えてしまっても良かったのだ。
何も言わずに行方をくらますこともできた。しかしそれをしなかったのは、二人が送る最後の武史への愛情なのだと思う。
それを受けて、武史は何を思っているのだろう?
普通の人間であれば、反省する。落ち込んで、自分を見直して、いつか二人に許してもらえるように、人生の道を正す。
俺が武史の立場なら、きっとそうするだろう。
でも……そもそも、こうやて自省できる人間であれば、二人が諦めることなんてなかったわけで。
結局のところ、花菜さんと一華ちゃんの愛情は無駄でしかないのだ。
「……ふざけんなよ」
ほら、これだ。
どうあがいても、花菜さんと一華ちゃんが味方をしてくれないと悟ったのだろう。
先ほどまで同情を買うように悲しそうな顔をしていたというのに、一瞬で怒りの表情へと切り替わった。
「こっちは譲歩して謝ってやってんのに……勝手なことばっかり言ってんじゃねぇよ。クソが」
そう言って、武史は花菜さんと一華ちゃんを睨みつけた。
家族に向けてはいけない、恐ろしいほどの怒り……いや、殺意さえにじむような視線に、二人は身を強張らせた。
「っ……!」
「……武史。もしこれ以上暴れるなら、警察に連絡するからね」
ただ、花菜さんはそれでも武史に対して立ち向かっていた。
すっかり怖がっている一華ちゃんと、それから傷ついて倒れている俺を守ろうとしているのかもしれない……体を震わせながらも、武史から目をそらさない。
そんな花菜さんに対して、武史は……さらに強く、睨みつけた。
対する花菜さんは、武史の一挙手一投足に警戒している。
「ちっ。クソババア……調子に乗ってんじゃねぇぞ? 通報したら、あんたの管理責任も問われるはずだが?」
「その時はしっかり応じるわ。『息子を制御できなくて、近所の子を傷つけさせてしまいました』ってね。その後はどうなるでしょうね……私が引き取れないと伝えたら、あなたはどこで暮らすのかしら」
「んだよ。施設に送るって脅してんのか? 酷い親だな」
「ええ。そうさせてしまうくらい、酷い息子だから」
売り言葉に買い言葉。
二人のやり取りに、愛情は一切なくなっている。
もう、二人の視線は家族に対するものではない。
血がつながっていなくとも、しっかりと結ばれていた縁は……ぷっつりと、切れてしまったようだ――。




