八十二話 手折れぬ花
『もう親子ではなく、他人だから』
そう告げられた武史は、意外なことに――辛そうに表情を歪めていた。
ようやく、事の重大さに気付いたようだ。
へらへらとした笑顔も消えて、今は泣きそうな顔になっている。
「……嫌だ」
首を横に振って、それから花菜さんに触れようと手を伸ばす。
「っ……やめて。さ、触らないでっ」
しかし、その手に対して花菜さんは体をビクッと振るわせて、強く拒絶した。
言いたいことを言って、怒りが少し冷めたのかもしれない。先程、武史が俺を殴ろうとして止めた時は平気そうだったが、今は触れられることに怯えていた。
その態度が、武史を更に追い込んだようで。
「なんでだよ……そんなこと、言うなよっ。俺は、あんたの子供なんだ。お袋……お母さん、なんでそんなこと言うんだよ!」
思春期に入ってから変わった呼び方も、あまりの事態に動転して戻っている。
中学生のころまでは、花菜さんのことを『お母さん』と呼んで懐いていたのに……お袋と呼び出してあたりから、こいつはおかしくなっていった気がした。
俗にいう反抗期でもあったのだろう。
しかし、だからって母親を傷つけていい理由にはならないのだが。
「お母さんまで、俺を捨てないでくれよっ」
もしかしたら、武史はようやく……素直になったのかもしれない。
花菜さんなら何があっても味方でいてくれる、という甘い考えに気付いて、本気で止めようとしていた。
「ごめん。反省してる……これからはちゃんと気を付けるっ。食器も使い終わったら洗うし、靴もそろえるし、小遣いも要らないし、夜遊びもしない……自分のことはなるべく自分でやる。お母さんの負担にならないようにする。だから……だからっ!」
……幼馴染だから、分かる。
武史が、本当に反省していることを。
今の言葉に、嘘や偽りがないことも。
でも、同時に……こんなことも思った。
(こいつが言葉に責任を持つことなんてないだろうなぁ)
きっと、今の言葉を実行するのも最初のうちだけだ。
どんなに心から反省しているように見えても、武史は武史なのだ……いずれ自分のしたことなんて忘れる。こいつは、平気で他人を裏切る。
だって、俺の思いだって簡単に裏切った。
身近な人間を傷つけることに抵抗なんてないだろう。
幼馴染の俺は……こいつの性格を熟知している俺には、分かる。
そして、花菜さんは……俺以上に、武史のことを知り尽くしているわけで。
「……同情を買うのは上手ね。そういうところも、あの人にそっくりよ」
子供だから、花菜さんは盲目的に武史を信頼し続けていた。
でも、他人になった今、花菜さんは決して甘い考えを抱いていない。
厳しい目で、武史を見ている。
「『お母さん』って呼び方を変えるなんて……随分とあざといじゃない。きっと、女性の本能をくすぐる才能があるんでしょうね。あの人みたいに」
決して許すことなどない。
花菜さんはハッキリと武史を拒絶していた。
「そうやって、女性を誑かしているのでしょう? まだ高校生なのに、随分とただれたことをしているみたいね……巧くんの彼女も奪ったりして、本当にあなたを育てた事を恥ずかしく思うわ」
「そ、それは……!」
香里を寝取ったことを、花菜さんに知られている。
今の言葉でそれを把握した武史は、まずいと言わんばかりに息をのんだ。
どんな言葉で反省を示そうと、それはただの言葉に過ぎない。
言葉なんていくらでも飾れるし、偽れるのだ……大切なのは、今までの行動だ。
そして、その行動で花菜さんは武史に失望したのである。
何を言われても、花菜さんは決して折れない。
失った信頼は、もう取り戻せない――。




