六十九話 たったそれだけ
――花菜さんの話が終わった後。
時間が経ったおかげなのか、一華ちゃんは泣き止んではいたのだが……かといって元気になったわけではなく、ぼーっとソファに座っていた。
花菜さんはお風呂に入っているので、今は一華ちゃんと二人きりである。
「…………」
しばらく、彼女は声を発さなかった。話したくない気分なのだろう。
なので、俺も何も言わずに隣でテレビを眺めていたのだが……唐突に彼女がリモコンに手を伸ばして、テレビの電源を消した。
「一華ちゃん、どうかした?」
「たくみにぃ……一つ、聞いてもいい?」
少し、時間が経って落ち着いたみたいだ。
さっきまでずっと、何か聞いても答えてくれなかったので、まずは声を聞いて安堵した。
「いいよ。俺が答えられることなら」
「……何がきっかけで、あんな人を好きになったの?」
問われたのは、初恋のきっかけ。
俺がなぜ、円城香里を好きになったのか。
「たくみにぃのことを傷つけてばっかりの人なのに……わたしには、分かんないよ」
きっかけ、か。
香里を好きだった理由なら、たくさんある。明るいところとか、誰とでも仲良くなれるところとか……友達としては、一緒にいて楽しい女の子だったことは間違いない。
恋人としては最悪だったのだが……それはさておき。
とはいえ、きっかけか……好きになったきっかけが、明確にあったわけではない。
ただ、強いて言うなら――小学生の時、あの一言は嬉しかったなぁ。
「……字が綺麗だねって、言われたんだ」
初めて同じクラスになった時だった。
小学四年生のころ、席が隣同士になった彼女は……俺がノートを見て、褒めてくれた。それ以降、異性として意識するようになったと思う。
嬉しかった。
子供の頃の思い出だというのに、今も覚えているくらいには。
当時、武史と自分を比較して落ち込んでばかりだった俺にとって、それは大きな励ましになったのだ。俺にも、いいところはあるんだ――って。
「えっ……たったそれだけ?」
「うん。たったそれだけ」
「えー……たくみにぃ、単純すぎるよっ」
「自分でもそう思う。単純すぎたよ……ほんと、バカみたいだ」
今にして思うと、くだらない理由だと思う。
たったそれだけの理由で、なんと七年も好きでい続けた自分がバカみたいに思う。
でも、その思いはもうなくなっていた。
「一華ちゃん……ありがとう」
「んー……? 何がありがとうなの?」
「俺の代わりに、怒ってくれて――ありがとう」
彼女が怒ってくれなかったら、香里に何も言うことができなかった。
だけど、一華ちゃんのおかげで……なんというか、気持ちが晴れた気がするのだ。
もしかしたら俺は、香里に未練があったのかもしれない。
浮気されてなお、好きでいようとしていたのかもしれない。
だけど、俺のことを思って、本気で怒ってくれた一華ちゃんを見て……未練が断ち切れた。
「俺の代わりに泣いてくれて、ありがとう」
俺がやるべきだったことを、一華ちゃんは全部やってくれた。
本当は、怒りたかった。泣きたかった。どうしてそんなことするんだと糾弾したかった……だけど、それをするには――俺は、香里を好きでいる時間が長すぎたのだ。
一華ちゃんがいなければ、ずっと引きずっていたかもしれない。
香里のことを、何とか助けようと……余計な手出しをして、何かトラブルに巻き込まれていた可能性もある。
しかし、今日以降はもう香里と関わらないでおくことを決意できた。
だってもう、彼女とは他人でしかないのだから――。
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