六十六話 別れ
――初めて出会ったのは、小学校四年生の時。
たまたま隣の席になった彼女は、地味で目立たない俺にもよく話しかけてくれた。
明るくて人懐っこい彼女にとって、俺は数多くいる友達の一人でしかなかっただろう。だけど、俺にとって彼女は、幼馴染の親友と同じくらい特別な存在だった。
五年生になるころには、すでに好きになっていた。
彼女に会うのが楽しみで、学校に通っていた。
別に、何かきっかけがあったわけでもない。
顔立ちが飛びぬけて可愛いわけでも、相性が良いわけでもない。だけど、親しみやすいその性格が、好きだった。
小学生を卒業して、中学生なって、それから高校生になっても……その思いは変わらないままだった。
ずっとずっと、彼女――円城香里のことを見ていた。
見ていた、はずなのに。
「これ……援助交際、だよな?」
ホテルのロビーで、香里に向かって問う。
隣で目を泳がせている中年の男性は無視して、彼女とだけ向き合う。
しかし彼女は、俺を見ない。
そっぽを向いて、不機嫌そうに表情を歪めるばかり。
「うっざ。あたしが何しようと勝手じゃん? 巧ごときが、いちいち関わってこないで」
……香里の変化に、気付かなかった。
一体いつから、彼女は変わった?
いや、変わったわけじゃない。
もしかして最初から……こんな人間だったのだろうか。
「否定しないのかよ……援助交際、やってるのか?」
「違う。これはパパ活って言うの知らないの?」
「そんなの……!」
ただの言葉遊びだろ。
どこの誰かも知らない悪い人間が、自らの行動を正当化したいがために耳触りの良い言葉を使用しているだけだ。
「ってか、巧が考えているようなことは何もしてないから。ただ、ここで……このおじさんと、少し話すだけ。それでお金をもらって何が悪いの? バイトと同じでしょ?」
「そ、そうだぞ! 君、首を突っ込むのはやめなさい。これは私と彼女の関係だからね」
今まで動揺して何も言えなかったくせに、香里の言葉に便乗して中年の男性が何やら言っている。
「――黙れ。通報してもいいってことを忘れるなよ」
邪魔だった。
今、香里と話しているのだ。
お前は……未成年を金で買うような真似をするゴミは、黙ってろ。
「ひぃっ」
こういう違法な行為をする人間だからなのか。
高校生に威圧された程度で怯み、それ以降は何も言わなくなった。
……まぁ、通報はいつでもできる。でも、それをしたら――むしろ香里の方も責任に問われる。
「電話はやめてよ。あたしが退学になってもいいの?」
本人もそれは分かっているのだろう。
そしてこいつは、俺のこともよく分かっている……そうやって自分を人質にするようなことを言われると、俺が何もできなくなると分かっているのだ。
「……いつからこんなことを?」
「さぁ? いつからか覚えてないけど」
「……そんなにお金に困ってるのか?」
「困ってはないけど?」
「……この行為を辞めるつもりは?」
「はいはい。明日からやめまーす。はい、これでいい? ほら、帰って。あと、あたしのことは誰にも言わないでね」
まともに対応する気なんて、彼女にはない。
俺が本気で通報するとも思っていない。
というか、彼女は……俺にこの行為が知られても、何も思っていないようだ。
「一応、まだ付き合ってるよな?」
「そうなの? じゃあ、別れよっか。巧って、思ったよりうざいしつまんないから」
俺の言葉はもう、届かない。
香里に何を言っても、無駄そうだ。
止める手立てはない。
救う手段もない。
舐められている以上、見下されている以上、どんな言葉も届かない。
せめて、何か言い返そうと思いはした。
だけど、何も言い返すことはできず……そのまま無言で背を向けようとした、その時だった。
「――ふざけないでよ!!」
大きな声が、響いた。
その声の持ち主は……俺を追いかけてやってきた、一華ちゃんだった――。




