六十二話 認識の違い
先ほどから、武史が花菜さんをジロジロと見ている。
その視線が嫌なのだろう。花菜さんは俺の背中に隠れるように、後ずさりしていた。
「なんだよ、人見知りか? つれねぇな」
……男の俺でさえ思う。視線が少し、気持ち悪い。
いかにも狙っているかのような目だった。男らしいと言えば、そうなのかもしれないが……普段大人しく生活している俺にとっては、露骨すぎて下品に思えてしまう。
「で、お前はこんないい女とデートしてたのか? 香里はもう捨てたのかよw」
花菜さんが相手にしてくれなかったからか、今度は俺に視線を向ける武史。昨日のことがあったというのに、こちらに悪びれることのないその態度が、ハッキリ言うと気に食わない。
でも、この不快感を示したところで険悪になるだけなので……花菜さんがいる手前、それをグッと堪えていつも通りに返答した。
「香里とは……まぁ、うまくいってないから」
厳密に言うと別れているわけじゃない。
しかし、花菜さんを彼女ではないと否定するのが怖い。
そっちの方がむしろ、武史に付きまとわれるかもしれないと思ったのである。だから、曖昧な言い方で誤魔化した。
「この人は最近仲良くなった人で、名前は――」
名前……何にしよう?
本名は使えないので、偽名を考えようとしたのだが、なかなか思い浮かばなくて言いよどんでしまった。
まずいな。このままだと武史にどんな関係か怪しまれそうだ……と、不安を覚えた、その時である。
「――み、みかなでーすっ。初めましてぇ~」
やけに甲高い声が聞こえた。
すぐ近くから聞こえたその声の発生源は、もちろん花菜さんである。
俺が口ごもったのを見て助け舟を出してくれたらしい。
武史にバレないよう、声を変えているのだが……慣れないことをしているせいか、ちょっと裏返っていた。
さて、これはどうだ?
息子の武史なら、気付いてもおかしくないのだが。
「ふーん、みかなちゃんね。俺は武史、よろしく。巧の幼馴染なんだよ、仲良くしようぜ」
まぁ、そうだよな。
変装に気付かないのである。意図的に変えた声で気付くわけがないか。
「……もういいか? この後、ちょっと予定があるんだよ」
まだまだ武史は花菜さんとオシャベリをしたそうにしていたので、警戒して距離を離そうと試みる。
もう紹介はすんでいる。これならたぶん、武史も多少は気が済むだろうし……変に絡まれることもないと判断してのことだった。
「んだよ、機嫌悪いな。昨日の事、まだ怒ってんのか? ちょっとした喧嘩じゃねぇか、あんま根に持つなよ」
なおも武史はヘラヘラと笑っていた。なるほど……昨日のことも、大して反省とかはしていないのだろう。ちょっと喧嘩しただけ、という認識だからこうも平然と接することができているみたいだ。
「あ、そういやお袋の機嫌はどうだった? 流石にあんなに喧嘩したのは初めてだから気まずいんだよな……巧の方からも、俺を許すように何とか言っといてくれ」
「……はぁ」
呆れて、言葉は出なかった。
花菜さんとのことでさえ、ただの親子喧嘩という程度の認識なのか。
こいつは本当に、どうしようもない人間だと思う――。




