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五十五話 トラウマの克服

『一緒に寝てくれない?』


 花菜さんからそんなお願いをされて、俺はかなり狼狽えていた。


(花菜さん、無防備すぎるだろっ)


 前々から、自己肯定感が高い人間じゃないことは分かっていたが。

 しかし、自分が男性に人気のあるタイプであることを、ちゃんと自覚してほしい。


 小さな体も、それに反して大きな胸も、抱き心地の良さそうなスタイルも……どれも、男子高校生にとっては刺激が強いのだ。


 正直なところ、ためらっていた。

 本当にいいのだろうか――と、迷っていると。


「……やっぱり、こんなおばさんと一緒に眠るのは嫌かしら」


 花菜さんが悲しそうな顔を俺に向けた。

 そんな顔をするのは、ずるいです。


「嫌じゃないです! 決して!」


「本当に?」


「はいっ。ただ、嫌じゃないのが問題というか、むしろ好きだからこそというか……!」


 返答に迷うことを言われて、今度は慌ててしまった。


「花菜さんこそ、いいんですか? 俺と一緒に寝て、怖くないですか?」


「……あら、そこを気にしてくれていたの? うふふ、巧くんは優しいわね」


 俺の問いかけに、花菜さんは優しく笑った。

 それから、俺の頭を優しくなでて……こんなことを言ったのである。


「でも、巧くんのことは男性というより、子供として見てるから大丈夫なの。まだ高校生なんだから……普通は、これくらいの年頃の子は大丈夫なんだけどね」


 子供、か。

 それなら良かった……んだよな?

 うーん。男らしさが足りないことはちょっと残念だが、だからといって男らしいと花菜さんは俺を怖がると思うので、むしろ良かったのかもしれない。


 まぁ、そうだよな。

 俺が変に意識する必要なんてないのだ。花菜さんは俺のことを子供と思っているのである……だったら、子供らしく素直に甘えてもいいのかもしれない。


「それなら、分かりました。俺で良ければ……喜んで」


 緊張しない、とは言わないもの肩の力は抜けていた。

 もちろん、一緒に眠るだけである。決してやましい気持ちもないので、俺が過剰に意識する必要もないだろう。


「ありがとう。じゃあ、お部屋に行きましょうか」


 そういうわけで、リビングから俺の部屋に移動した。

 二階に上がって、扉を開ける……そこでようやく、俺はここに入ったのが久しぶりだと言うことを思い出した。


(そういえば、武史と香里の浮気を見て以来だ)


 あれ以来、この部屋は使わなかった。

 なぜなら、窓から武史の部屋が見えるからである。


 カーテンは閉じているのだが、それでも……この部屋にいるとあいつのことを思い出してしまうから、ずっとリビングのソファで寝泊まりしていたのだ。


「……ごめんね。巧くんも、この部屋は嫌だと思うけれど」


 花菜さんだって、分かってはくれていた。

 しかし、その上でこの部屋を使おうと提案してくれたみたいだ。


「私もいるから、大丈夫よ……一緒に、頑張って乗り越えましょう? 武史のことを、トラウマにしたくないもの」


 ……そうだ。

 このまま、思い出すことさえも拒絶していると、いつしか武史のことが心の傷になりそうである。


 もしかしたら、恋愛をするたびに武史を思い出してしまい、そのせいでうまくいかなくなるかもしれない。


 もうこれ以上、あんな奴に人生を狂わされたくない。

 だから、逃げてはダメなのだ。ちゃんと向き合って、乗り越えて、克服するべきなのである。


 そのあたりも、花菜さんは考えてくれていたようだ。

 まるで、本当の母親みたいに……俺のことを、思ってくれていたみたいである。


 その優しさは、すごく温かかった――。


お読みくださりありがとうございます!

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