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四十七話 心配されるだけの年齢じゃない

【五味花菜視点】


 ――本当は、怖い。

 巧の前では強がったとはいえ、彼と別れて帰宅すると……花菜は震える体を押さえつけるように、自らを強く抱きしめた。


(……やっぱり、巧くんの家に泊めてもらうべきだったかしら)


 つい数十分前の光景が、まだ忘れられない。

 自分を殴ろうと拳を振り上げた武史の顔が……十数年前に見た、前の夫の冷酷な顔と重なった。それ以降、花菜は武史に恐怖心を抱くようになってしまった。


(一瞬、甘えそうになってしまった。巧くんに、全てをゆだねようとしてしまった……大人なのに、こんなのいけない)


 首を振って、浮かんだ思考を振り払う。

 きっと、巧は受け入れてくれただろう。心優しい少年は、花菜のことを絶対に拒絶したりしない。


 でもそれはできなかった。


(迷惑をかけたくないし……それに――私には、一華もいる)


 仮に花菜が一人だけであれば、そのまま巧に甘えていたかもしれない。

 だが、一華の存在を彼女は忘れていなかった。


(大切な娘を、一人になんかしない)


 もう、花菜はこの家で安心できなくなっている。その証拠に、玄関を上がった彼女は施錠して、更にチェーンまでドアにかけていた。


 武史が帰ってきたら、物音でちゃんと気付けるように。

 無意識の行動だ。花菜は意識的にそういうことをしたわけじゃない……普段であれば、武史のことを考えてチェーンまではかけなかっただろう。


 だが、花菜は武史を警戒している。

 故に、一華のことを心配して帰宅したのだ。


(一華は、もう寝てるかしら?)


 時刻は23時を過ぎている。

 一華はそろそろ眠る時間だ。二階にある彼女の部屋に行って、扉を少しだけ開けて覗いてみると……部屋の電気は消えていた。


 もうすでに眠る準備はできているようだ。

 だが、完全に寝てはいなかったらしい。


「んにゃ……お母さん?」


 ふにゃっとした声で反応してくれた。

 気の抜けた娘の声を聞いて、花菜は頬を緩めながらゆっくりと部屋に入った。


「ごめんなさい。起こしてしまったかしら?」


「ううん。眠りそうだったけど、まだ寝てないよ……ふわぁ」


 電気のついていない部屋は、最初のうちは目が慣れずに何も見えなかった。

 しかし、少しずつ目が順応して見えるようになってきて……ベッドの中であくびをこぼす娘を見つけて、花菜はその枕元に腰を下ろした。


「お母さん、どーしたの?」


「急にごめんね。なんだか、一華の声が聞きたくなっちゃって」


「えー? お母さん、相変わらず寂しがり屋さんだね。もう、しょーがないんだからっ」


 そう言って、一華は花菜の太ももに頭を置いた。甘えてくる一華に花菜は目を細めて、その金色の髪の毛を軽くなでてあげた。


「髪の毛……似合ってるわね。染めたいって急に言い出した時はびっくりしたけど、見慣れてきたわ」


「えへへ~。大人っぽく見えるでしょっ?」


 あどけない笑みを浮かべる一華は、残念ながらまだまだ幼い顔つきだ。

 大人とは程遠いものの、一生懸命背伸びする娘を見ていたら、ついつい甘やかしたくなってしまうわけで。


「ええ。もうすっかりお姉さんね」


 ちょっとだけ、ウソをついた。

 本当はまだまだ子供だと思っていたが、一華のことが可愛くて仕方なかったのだ。


「えへへ~」


 頷くと、更に一華は笑った。

 幼いころから変わらない、屈託のない笑顔に花菜は心を癒されていた。


(この笑顔が見られただけで、十分ね)


 本当は、もっと一緒にいるつもりだったのだが。

 一華の笑顔を見ていたら、気が引き締まった。


 彼女の母親として、強く在りたい――と。

 武史にも、一人で立ち向かわなければいけない――と。


 そう、自分を叱咤して。


「ありがとう。一華のおかげで元気が出たわ……じゃあ、おやすみなさい」


 花菜は部屋から出ていこうとしたのだが


「待って。お母さん……今日は一緒に眠ろっ?」


 一華の方から、花菜を引き留めた。


「お母さん、本当にどうしたの? なんだか元気がないよ……?」


 ……花菜にとって一華は、まだまだ幼い子供なのだが。

 彼女はもう、中学三年生なのである。


(やっぱり……一華は、お姉さんになっているのね)


 もう、心配されるだけの年齢じゃない。

 こちらのことも心配するくらい、彼女も大きくなっているのだ――。

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