四十六話 優しさの循環
これ以上、花菜さんに傷ついてほしくない。
だから、親だからと言って武史に執着することはやめてほしい。
その思いを伝えると、花菜さんは……小さく、頷いた。
「うん……巧くんの思いは、ちゃんと伝わったわ」
さっきまで虚ろだった瞳にも、今はかすかな光が宿っている。
呆然としていて、ずっと生気の抜けていた顔も、大分明るくなっていた。
「ありがとう。あなたの気持ち、嬉しかった」
そう言って花菜さんは笑った。
いつも浮かべているような、優しい微笑みである。
良かった……この様子なら、もう大丈夫だろう。
武史のせいで蘇ったトラウマも、今は落ち着いているように見えた。
「まだ、自分がどうしていいかは分からないけど……これから、ちゃんと考えてみるわ。子供の事だけじゃなくて、私のことを」
「はい。すぐに結論を出す必要はないと思います」
今までずっと、他人のためだけに生きてきたような人なのだ。すぐすぐに思考を切り替えることは難しいだろう。
だから、ゆっくりと時間をかけて、己と向き合ってほしい。
その上でまだ、武史のことを大切に思うのであれば……それは、花菜さんの人生だ。俺が口出しできる領域ではない。
だからこそ、花菜さんが自分の幸せを優先することを、願っている。
どうか、あなたの人生が報われますように――。
「……よしっ。巧くんにたくさん慰めてもらったし、私はそろそろ帰るわ」
それから少し、談笑した後。
花菜さんはソファから立ち上がった。
「だ、大丈夫ですか?」
先ほど、武史のことを怖いと言っていたのだ。
いつあいつが帰ってくるかも分からない状況なのである。正直なところ、花菜さんがこんなにすぐ帰宅すると言ったのは、予想外だった。
それくらいの怯えようだったのである。
しかし、花菜さんはどこか吹っ切れたように、おどけた表情でこう言った。
「本当は怖いけど、一華がいるもの……あの子を放っておくのは心配だから。うふふ、今日は一緒に寝ちゃおうかしら」
なるほど……たしかに、一華ちゃんを一人きりにするのは怖い。
それは防犯的な意味でもあるし、それから……武史のことも、少し不安だ。
いや、さすがのあいつも一華ちゃんに牙を向けることはないと思う。だが、感情的になると手が付けられないタイプの人間なので、安心はできないだろう。
「何かあったら、大声を出してください。すぐに駆け付けますから」
「ええ。そうするわ……ねぇ、巧くん。一つ、わがままを言ってもいい?」
「もちろんです。どうしたんですか?」
「明日……学校を休んでくれる? 二人でゆっくりしたいわ」
これはまた……珍しい。
花菜さんは普段、決してわがままを言わない。お願いごとをする時はあるのだが、俺に迷惑をかけないようにいつも気を遣ってくれていた。
でも今は、違う。
俺にズル休みをしてほしいと、花菜さんは言っているのだ。サボりなんて、良いか悪いかで言えばもちろん悪いことに決まっている。そんなことをお願いするなんて……やっぱり、少なからず心境に変化はあったのだろう。
わがままを言われた側だけど、なんだか嬉しかった。
「や、やっぱり、迷惑かしら?」
「全然大丈夫です! 喜んで休みますっ」
まぁ、学校なんて行っても疲れるだけだ。
武史や香里とも会いたくないので、むしろ嬉しい申し出である。
「うふふ……巧くんがそう言ってくれるなら、今日は頑張れそうだわ」
そう言って、花菜さんは唐突に俺に抱き着いてきた。
いつもは、俺の顔を自分の胸にうずめるようにしてきていたけど……今日は、俺の胸に飛び込むように、抱き着いてきたのだ。
いつもは一方的に抱きしめられるだけだったけど。
この体勢なら、俺も……花菜さんを、抱きしめることができた。
「今日はありがとう」
「いえいえ……困ったときは、お互い様ですから」
俺が辛かった時、花菜さんにはすごく救われたのである。
だから、少しは恩返しができたのであれば、俺も嬉しいです――。
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