四十五話 憧れの存在
もしかしたら、五味家の問題に俺が首を突っ込むのは間違えているのかもしれない。
でも、他人だからこそ言えることもあるわけで。
「家族だからって、傷つけられることを当たり前と思うのは間違えていると思います」
何も言わなければ、花菜さんはきっとこれからも傷つけられ続けることだろう。武史の横暴な振る舞いを見ていると、将来的に何も起こさないとは思えない。その時は恐らく、武史よりも花菜さんが傷つくはずだ。
あいつに裏切られて以降、俺は冷静に武史の人間性を見つめるようになった。幼馴染の大親友というフィルターを取って、ありのままの武史を見つめてみると……そこにいたのは、自分の利益を貪ることしか考えられない、ただの略奪者だった。
ああいう人間からは距離を取った方がいい。
敵対することも危うい。関わっただけで損をするような、そういう危うい人間なのである。
「で、でも、私は……あの子を育てる、責任があるわ」
「……責任、ですか」
「ええ。私は母親だから、子供を愛するべき義務があって……そ、それに、私だって手を上げたから、お互い様で――」
花菜さんは、色々と武史を許す言い訳を探していた。
この人は優しくて、正しすぎるのだ。
自らを犠牲にしてでも、誰かを幸せにしないと気が済まない人間なのである。
でもそれを、俺は止めたい。
「お互い様なんかじゃないです。花菜さんがビンタをしたことと、武史が暴力をふるうことは、意味合いが同じなんかじゃありませんよ……あんな、弱々しいビンタだったのに」
音は鳴っていたが、武史は全く痛がるそぶりは見せなかった。
だって、花菜さんのビンタなんて痛くないからだ。
この小さな体で、俺たちのような男子高校生を傷つけるには、あまりにも弱々しすぎる。その上、花菜さんは全力で叩くことすらできていなかったのだろう。まったく力の入っていない殴打だった。
その報復として、俺たちのような体格のある男子高校生が、小柄な女性に手を出すなんて……決して有り得ない。もし花菜さんが殴られていたら、小さくないケガをしていたはずなのだから。
そこを等価に見ることなんて絶対にできないだろう。
「落ち着いてください。別に、武史を見捨てるべきだなんて、俺だって思いませんから」
きっと、花菜さんには決断を下すことはできないだろう。
優しすぎるが故に、この人が誰かを見捨てるような真似をするわけがない。
そのあたりは、よく分かっている。
そういう一面が、花菜さんの素敵な部分だということも、ちゃんと理解している。
だから、花菜さんを否定したいわけではなくて。
「育てることと、愛情を注ぐことは、同じ意味じゃないですよ……俺は、親の愛を受けてなくても、健やかに成長しています」
ちょっと、悲しいことかもしれないが。
高校生にもなれば、成長することに親は必ずしも必要じゃない。
たしかに両親の存在はありがたいし、かけがえのないものだ。大切な宝物だと思うし、憧れてもいる。
しかし、その上で言えることがある。
親がいなくても、俺は勝手に大人になっていっている。
「最低限の生活環境さえあれば、子供は育ちます」
子供を大人にすることが、親の責任だと言うのなら。
その部分をしっかりと用意さえすればいい。中学生までならまだしも、武史はもう高校二年生……今年で十七歳になるし、来年になったら成人だ。
大人になるまで面倒を見たのなら、それで十分ではないだろうか。
少なくとも俺は、そう思う。
だからこそ、中学二年生の時……育ててくれた祖父母が亡くなった際、遠方に住む親族が引き取ろうかと申し出ても断った。生活する場所と、生活する資金があったので、一人でも十分生きていけると判断してのことだった。親族も支援してくれているし、現在も何不自由のない暮らしを送っている。
「それに……親だって、人間なんです。完璧である必要なんてありません……花菜さんだって、幸せになる権利はありますよ? だから――誰かの犠牲になって、辛い思いをしてほしくないです」
「……私も、幸せに?」
「はい。花菜さんも、ちゃんと幸せになってください……あと、花菜さんが傷つくことで悲しむ人がいるってことも、覚えていてください」
握っている手に、力を籠める。
すると、花菜さんは……俺の手を、さらに強い力で握ってきた。
他人のことばかり考えている優しい花菜さんだからこそ、他人のために自分のことも考えてほしいという言葉は、大きく響いたのかもしれない。
「私が傷つくと、悲しませてしまうのね」
「はい。花菜さんの子供は、武史だけじゃないですよ……一華ちゃんは、花菜さんのことを大切に思ってますから」
武史と違って、花菜さんの愛情をいっぱいに受けて育った一華ちゃんは、心優しい女の子に育っているのだ。
そして、花菜さんの幸せを願っているのは一華ちゃんだけじゃない。
「……巧くんは?」
「俺だって――もちろん、花菜さんが傷つくと悲しいです」
幼いころから、ずっと優しくしてくれた人なのだ。
母のいない俺にとって、ずっと憧れていた存在でもあったわけで。
こうして、深くかかわるようになった今……花菜さんのことをもう他人だとは思えなくなっていた――。




