三十五話 ご機嫌な花菜さん
――夕方とはいえ、梅雨だからなのか外はまだ少し蒸し暑い。
でも、昼間に比べると風が強く吹いていたおかげで、涼しく感じた。
「駅の近くにあるスーパーに行ってもいいかしら? あそこの方が色々と安くて便利なの」
「もちろんです。いつもそこで買い物してるんですか?」
「ええ。ちょっと遠いけど……ウォーキングにちょうどいい距離なのよね」
雑談を交わしながら、夜の道を歩く。
身長の低い花菜さんは歩幅も小さい。そのペースに合わせて、俺もゆっくり進んでいた。
「ウォーキング……花菜さん、あまり車は使わないんですか?」
「近場だと使わないわ。この年齢になってくると、運動しないとすぐ太っちゃうもの」
なるほど。言われてみると、たしかに花菜さんは体が引き締まっている。
胸や太ももはむちっとしているが、決して太っているわけではない。それはちゃんとした努力の結果みたいだ。
「でも、さすがに荷物が多いと帰り道が大変だったの。今日は力持ちの男の子がいてくれるから、安心ね」
「はい。荷物持ちなら任せてください」
そう言って、細い腕で力こぶを作ってみる。
まったく任せる気にならないような頼りない二の腕を見て、花菜さんは肩を揺らして笑った。
「うふふ♪ 巧くんったら……もう少し、筋肉がつくような食事にした方がいいかしら。たんぱく質が足りてないみたいね」
花菜さん……なんだか機嫌が良さそうだ。
足取りも軽く、さっきよりもペースが上がっている。
よっぽど俺の冗談が面白かったのか?
いや、でもうーん……客観的に見てそこまで笑える内容じゃないと思うので、それはないか。
まぁ、花菜さんがご機嫌で悪いことなんてない。
むしろ、鼻歌を歌っているところがすごく微笑ましいので、ずっとそのままでいてほしいくらいだ。
と、そうやって一緒に歩くことしばらく。
時間にするとニ十分くらいだろうか。目的地の大型スーパーに到着した。
駅の最寄りとまではいえないが、駅からのアクセスがいいのでお客さんで店は結構な賑わいである。花菜さんがいつも来ているだけあって、やっぱり人気店のようだ。
「お野菜から見て回りましょうか」
「花菜さん、野菜はちょっとでいいと思います」
「あらあら。好き嫌いはダメよ? 美味しく料理してあげるから」
「……が、がんばります」
ささやかな抵抗もむなしく、トマトやキュウリ、キャベツやナスなどを片っ端からかごに入れていく花菜さん。
……あ、これはダメだ。
入店して数分。自分の愚かさに気付いた俺は、慌てて花菜さんに手を伸ばした。
「あの、かごは俺が持ちますよ。気が利かなくてごめんなさい」
荷物持ちは任せると言ってくれたのに。
苦手な野菜たちに気を取られて、買い物かごにまで意識がいってなかった。
そのことを謝りつつ、半ば奪い取るようにかごを持つと……花菜さんは、またしても愉快そうに笑った。
「うふふ♪ 気にしなくても良かったのに……でも、ありがとう。優しい巧くんに免じて、ピーマンは買わないでおいてあげるわ」
「いいんですか? ありがとうございますっ」
俺がピーマンを苦手としていることに気付いていたらしい。
出された料理は残さないように、と祖父母から教育されているので食べることは可能なのだが、苦手なものは苦手なのだ。
「巧くん、知ってる? お野菜はなるべく新鮮なものから取った方がいいのよ。傷んでいると保存がきかないから、サイズが大きいだけではダメなの」
……やっぱり、今日は機嫌がいい。
普段よりも口数が多い花菜さんが色々と教えてくれるので、その話を聞きながら店内を巡るのだった――。




