二十九話 妥協とノリ
――やっと、地獄のような昼休みが終わった。
(ふぅ……もう疲れたなぁ)
ずっと気を張っていたからだろう。疲労感がすごい……なんだか体がぐったりしていたので、午後の授業にも身が入らない。
今は数学の授業中だ。中年教師の淡々とした説明を聞いてはいるのだが、内容が全く頭に入ってこない。なんだか瞼も重くなっていたので、そのまま机に伏せて目を閉じた。
やっぱり、明日からはあいつらと昼食を一緒に食べるのはやめよう。
花菜さんの手料理が武史にバレる可能性もあるのだ。とはいえ、理由もなく断ったら不審に思われそうなので、何かしらの用事を入れたいところである。
……まぁ、明日のことは明日考えよう。
とりあえず今は、寝たい。ちょっとだけ眠って回復したい……のだが、数学の教師がそれを許してくれなかった。
「笹宮。眠るなよー、見えてるからな」
「……はい、すみません」
注意されては、眠ることなんてできない。
仕方なく体を起こして、その後はずっと睡魔と戦い続けた。
はぁ……早く、学校が終わってくれないかな。
もう疲れたので、家でゆっくり休みたい――。
そうして、ようやく学校が終わって。
「巧、帰るぞ。ついでに駅前にある服屋に寄るから、早くしろ……おい、香里もいくだろ?」
当たり前のように一緒に帰ろうとしてきた武史に、俺は愛想笑いを浮かべながら首を横に振った。
「ごめん。やっぱりまだ体調が悪いから、先に家に帰るよ」
「あたしもごめ~ん。今日はちょっと用事があって~」
……意外なことに、俺に続いて香里も武史の誘いを断っていた。
見たところ、彼女はかなり武史のことを気に入っているみたいなので、断ったことに俺もちょっと驚いた。
そして武史の方は、もっと驚いていた。
「んだよ、香里までかよ……ちっ。しゃーないから、別の女でも誘うか」
「相変わらずモテモテだね~w じゃあね、バイバーイ」
と、武史は苛立ちを見せたものの、すんなりと教室から出て行く。あいつは顔がいいのでモテるらしいんだよなぁ……高校生になってから、色んな女子と遊んでいると、噂には聞いている。
俺と違って女性慣れしているあいつだからこそ、恋愛相談もしていたのだが……それが間違っていたことは、今はさておき。
「……じゃ、あたしも行くね」
「うん。分かった」
「これからしばらく、放課後は用事あるから。あんたとはちょっと帰れないかも」
武史への態度とは違って、香里はどこか素っ気ない。
俺には興味がないような表情である……まぁ、別にそのことに傷ついているわけじゃないし、むしろ一緒にいたくないのでありがたい申し出ではある。
でも、こんなことも思ってしまった。
「香里って、俺のこと本当に好きなのか?」
唐突に思い浮かんだ疑問。
まったくと言っていいほど好意を感じない態度に、なんだか違和感があった。
別に好きじゃなくてもいい。
でも、もしそうだったなら……なんで告白を受け入れたのだろうか、と。
「は? まぁ、好きか嫌いかで言えば、好きなんじゃないの?」
「……そういうことを聞いてるんじゃなくて」
「うざっ。別にいーじゃん。付き合ってあげてるんだから、それで良くない?」
「いや、別にいいんだけどさ。ただ……俺にあんまり興味なさそうだから。どうして付き合ってくれなのか、気になって」
「はぁ……だるっ」
心底、めんどくさそうな態度である。
俺の問いかけに、彼女はため息をこぼしながらこう言った。
「ノリで付き合っただけだから、別に理由なんてないけど? 彼氏もちょうどいなかったし、巧のことは嫌いじゃないし、まぁいいかなって」
……なるほど。
つまり、妥協とノリで俺の告白を受け入れただけ、ということか。
「マジな感じ、やめてくれない? あたし、そういうのムリだから」
そう言って、香里は不機嫌そうな足取りで教室を出て行った。
……そんな態度をとるのであれば、別に付き合ってくれなくても良かったんだけどな。
(むしろ、断ってくれた方が綺麗な思い出になっていただろうなぁ)
今、確信した。
前々から薄々感じていたのだが、俺と香里は明らかに価値観が違う。
そもそも、最初から相性が良いわけではなかったのだろう。
友達という気軽な関係であればうまくいっていたが、少し深い関係になった途端にこれだ。
(最初から、俺たちは間違ってたんだな)
初恋は、酷いものだった。
とはいえ、この調子なら正式に別れるのも時間の問題だろう。俺が手を打たずとも、あっちから別れを切り出してくれそうだ。
いつまでも関係を引き延ばしたくなかったので、それだけは不幸中の幸いだった――。




