二十話 あいつなんかよりも
『武史なんかより、巧くんの方が良かった』
花菜さんが言ってくれた言葉を、俺はしっかりと噛みしめていた。
そっか。
花菜さんみたいな素敵な人が、武史よりも俺を選んでくれるんだ。
正直なところ、香里に裏切られたことで俺は自分に自信をなくしていた。
ずっと好きだった女の子が、俺よりも武史を選んだのである……浮気されたのは俺の魅力がなかったせいかもしれないと、そんなことを感じていたくらいだ。
俺は今まで、武史に勝ったことがない。
成績も、スポーツも、人気も……何もかもが劣っていた。
その上、恋人までもが俺ではなく、武史を選んだ。
倫理的なことを抜きにして考えるなら、俺は完璧な敗者である。
武史は、常に俺よりも優れていた。
武史はすごい奴だ!
誰よりも頼れる優しい奴だ!
そう思って、同級生なのに兄のような親しみを持って接していた。
それが俺と武史の関係を歪ませていた原因の一つだったのかもしれない。
結果、俺は軽んじられていた。
舐められていたし、見下されていた。
武史に香里を寝取られて苦しかった理由の一つには、間違いなく『劣等感』というものもあったのだ。
それが今、花菜さんのおかげで……払拭された気がしたのだ。
「――あっ。ご、ごめんね? 武史と比較するようなことなんて言っちゃって……気分、悪くしちゃったかしら? よしよし」
俺が黙ってしまったせいだろうか。
花菜さんは、俺が気分を害したと勘違いしたらしく、申し訳なさそうに謝ってきた。
しかも、あやすように頭を撫でている。
子供扱いされているのは恥ずかしいけど……やっぱり、悪い気はしない。
思春期の子供なら、恥ずかしがって嫌がるのが普通だと思う。
でも、俺は母親という存在を知らない。
だから、母のように接してくれる花菜さんに対して、やっぱり嬉しいという感情が勝っていた。
「いやっ。大丈夫です……ただ、嬉しくて。泣きそうになってました」
「……ああもうっ。巧くんはどうしてこんなに母性をくすぐるのが上手なのかしら? そんなこと言われたら、ついつい慰めたくなっちゃうじゃない」
そう言って、花菜さんは更に俺を強く抱きしめた。
ちょっと息が苦しいけど、顔全体にたわわな感触があって、動けない。いや、厳密に言うと、動きたくない。
「――あ! また私ったら、衝動的に抱きしめちゃってたわ……大丈夫? 苦しくない?」
「えっと……苦しいですけど、できればもう少し……」
今度は勇気を振り絞って、俺の方からも抱きしめる。
生まれて初めてかもしれない。
母のような存在に抱き着くのは……とても、心が安らいだ。
生物としての安心感、と言えばいいのだろうか。
母に包み込まれているこの感覚は、きっと何にも代替できないものなのだろう。すごく安らぐ。
「うふふ♪ 全然大丈夫よ……これから、甘えたくなったらたくさん甘えてね? 私でよければ、いくらでも甘やかしてあげるからね」
そして、花菜さんも……甘える俺を、優しく受け入れてくれた。
その言葉を聞いた瞬間、俺はもう大丈夫だと思った。
武史と香里のせいで、傷ついた。苦しかったし、辛かった。
でも、あの時……二人に裏切られた現場を見た時、感情に身を任せなくて殴り込まなくて良かったと、心から思った。
辛そうにしている花菜さんのことを優先した自分を、誇らしく思う。
その結果、こうして花菜さんが傷を癒してくれたのだ。
きっと、あいつらを殴るよりも、花菜さんに癒されていた方が幸せだ。
あの時の俺は正しかった。
今ならそう、自信を持って言えたのである――。
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