十九話 おばさんに見えない奥様
一華ちゃんが学校終わりに来るということで、花菜さんは午前中で帰宅することになった。
「さて、ある程度お掃除も終わったかしら?」
とはいえ、帰る前にやり残したことがあると言って、花菜さんは午前中の間ずっと家を掃除してくれたのである。
「ありがとうございます。おかげですごく綺麗になりました」
花菜さんが来るまで、この家は結構散らかっていた。俺が掃除を苦手としている上に、この家はもともと祖父母と暮らしていた物件なので、一人で管理するには少し広すぎる。
しかし今は花菜さんのおかげで快適な空間になっていた。
「でも、俺一人だとまた散らかしちゃいそうなので、気を付けます」
「これからも定期的にお掃除に来るから大丈夫よ……安心してね」
それはすごくありがたい。
花菜さんが家事をしてくれるおかげで、なんだか家の居心地がすごく良くなった気がするので、これからもぜひお願いしたい。
「でも、明日からは夜にしか来れないから……ごめんね?」
昨日、今日と花菜さんはどうやら休暇を取っていたらしい。
武史のことがショックだったこともあったようで、パートしている職場に無理を言ってお願いしたようだ。
その反動なのか、明日からは六連勤だと言っていた。
お仕事で疲れているだろうに、それでもこの家には寄ってくれるようである。
「いえいえっ。全然大丈夫です……むしろ、顔を見せてくれるだけでも、すごく嬉しいです」
「あらあら。嬉しいだなんて、そんな……うふふ♪ お世辞でも巧くんがそう言ってくれるなら、喜んで来るわよ」
別にお世辞のつもりで言ったわけじゃない。
しかし花菜さんは、俺の言葉をあまり本気にはしてないようだ。
「こんなおばさんでよければ、いつでも来るわ」
花菜さんの口癖、みたいなものだろうか。
自分のことを『おばさん』と自称しているのだが……実は、そのことにずっと違和感を持っていたので、この際にハッキリ言っておくことにした。
「花菜さんを『おばさん』と思ったことはないですよ」
「またまた。巧くんったら、お上手なんだから」
「ウソじゃないです。花菜さんはとてもお綺麗ですよ。年齢も三十代ですよね? まだまだ若いと思います」
見た目だけで言うなら二十代と言われても決して違和感がないくらい若々しいので、おばさんとは絶対に呼べない容姿だと思う。ウェーブのかかった長い黒髪もよく似合っているし、おっとりとした顔立ちは見ているだけでとても癒された。
しかも、スタイルが……その、かなり魅力的だと思う。身長こそ低いものの、起伏に富んだ体つきをしていた。お腹や二の腕はとても細いのに、胸やおしり、ふとももの肉付きが良いので、男性にはかなり人気がありそうだ。
……そういえば武史は、年上のムチッとした女性が好きだった気がする。
その原因は、間違いなく花菜さんだと思う。
「た、巧くん? おばさんをからかうのはやめてよ、もうっ……三十代って言っても、今年で三十五歳になるのに」
「いやいや、からかってるわけじゃないですよ?」
「……こ、これ以上はもう終わりよ。子供と同じ年齢の子に照れちゃうなんて、すごく恥ずかしいじゃない」
本気の言葉を伝えたら、花菜さんは頬を赤くして目線をそらした。前々から思っていたんだけど……花菜さんは褒められることに慣れていないのかもしれない。すぐに照れるので、年上だけどなんだか可愛らしいと思ってしまった。
やっぱり、とても素敵な人だと思う。
「花菜さんみたいな人が母親だったら、とても幸せなんだろうなぁ」
だからつい、本音が漏れた。
心からの思いは、花菜さんの耳にも届いていたようである。
「あらあら♪ すごく嬉しい……ありがとう。こちらこそ、巧くんみたいな素直な子が子供だったら、すごく素敵だと思うわよ?」
容姿を褒めた時よりも、もしかしたら今の言葉の方が花菜さんは嬉しいのかもしれない。
満面の笑みで、俺をまたしてもギュッと抱きしめてくれた。
「は、花菜さんっ?」
柔らかい感触に包み込まれて、なんだか落ち着かない。
でも、花菜さんが強く俺を抱きしめるものだから、離れることはできない。
「……武史なんかより、巧くんの方が良かった。あなたみたいに、人の優しさにちゃんと気付ける子が、私の子供だったら……きっと、育てたことに後悔なんてしなかったのに」
そして、囁かれた言葉に――脳みそが溶けたのかと錯覚するくらいの、甘い快楽を覚えてしまった。
こんなこと、本当は考えたらダメなのかもしれない。
でも、武史よりも俺の方が良い、という評価は……今までの傷を全て塞ぐほどのありあまる悦びを、もたらしてくれたのである――。




