十三話 優しさの遺伝
何はともあれ、一華ちゃんのおかげで冷静さを取り戻すことができたので、改めて状況を整理してみることにした。
「一華ちゃん……いつ、二人を見たか教えてくれる?」
リビングのソファに座ってもらって、話を再開する。
一華ちゃんはまだ動揺しているのか、体をモジモジと揺らしていたけれど……俺の質問にはちゃんと答えてくれた。
「部活が終わってから、帰宅してる途中で見かけたの……だいたい十九時くらいだったかなぁ」
「……じゃあなんでこんな夜遅くに? もっと早く来てくれても良かったのに」
今は夜の二十二時だ。
一華ちゃんが二人を見かけてから、結構な時間が経過している。
「……言うかどうか、迷ってて。わたしの見間違いかもしれないし……って、思い込もうとしたけど、ダメだったの。さっき兄貴が帰ってきて、なんというか……その、女の子の匂いがこびりついてたから」
匂い、か……なるほど。
それが一華ちゃんに確信を持たせる決定的な証拠となったらしい。
「わたし、あんまり匂いに敏感な方じゃないけど、それでも兄貴から甘ったるい匂いがしてて……なんか、すっごく気持ち悪かった」
身内の情事はただでさえ忌避したいことなのである。しかも、一華ちゃんは思春期真っ最中……兄のそういう一面を感じて、心中は穏やかじゃなかったことだろう。
「……花菜さんには言ったの?」
「言ってたら、こんな時間にたくみにぃのところに来てないもん。ママはね……こういうこと、すっごく苦手だから。言えるわけないよ」
この口ぶりから鑑みるに……もしかしたら、一華ちゃんは花菜さんが浮気されたことを知っているのか?
わざわざ俺に言うことじゃないのでそこは伏せているが、花菜さんに言えないということは、その可能性が高い。
母親に気を遣って、だからこそ誰も頼れず、俺のところに来た……ということになるのだろうか。
もちろん一華ちゃんは、浮気されている当事者の俺のことも心配はしていただろう。あるいは、誰にも言わずに彼女が見て見ぬふりすることが、誰も傷つかない最良の選択肢だったのかもしれない。
しかし、この問題を中学生の少女が一人で抱え込むには、あまりにも生々しすぎた。だから、一華ちゃんは罪悪感を覚えながらも、俺に伝えたのだ。
その判断は決して間違えていないと思う。
でも、先ほど……俺の様子が激変したことを、彼女はずっと引きずっているらしい。
「――ごめんなさい」
苦しそうな表情で、深々と頭を下げた。
震える声には、後悔の感情が強くにじんでいる。
「うちの兄が、最低でごめんなさい」
いや……自分の行動に対する謝罪、だけじゃない。
一華ちゃんは、身内の罪さえも背負って頭を下げていたらしい。
そんなことする必要はない。
悪いのは武史であり、一華ちゃんはまったく悪くないのに。
それでも、深々と謝る彼女の姿は……母親の花菜さんとそっくりだった。
たしか、武史と花菜さんの血は繋がっていないらしいけど。
恐らく、花菜さんと一華ちゃんは血がつながっている正真正銘の親子なのだろう。
根が優しく、善良で……素敵な人間性は、きっと遺伝なのだと思う。
武史にはない優しさが、二人にはあるのだから――。




