その後9 末路
(お母さん……!)
言いたいことが、いっぱいあるんだ。
謝りたいことも、たくさんあるんだ。
お礼の言葉も、伝えたいんだ。
ようやくだ、全部を言うことができる、と。
そう、思って……俺は、お母さんに歩み寄った。
「…………?」
もう、お母さんからも俺の姿は見えている。
一華たちを見送った後、家に戻ろうとしていたお母さんは……俺の接近に気付いて、首を傾げた。
その表情はキョトンとしている。
もしかして、気付いていないのだろうか。
俺のことが、分からないのだろうか。
まぁ、それも無理はない。
だって、最後に出会ってから……二十年近い月日が経過している。
あの頃の俺と今の俺は、大分風貌も変わっている。
だから、ちゃんと伝えようと思った。
(お母さん……俺だよ、武史だ!)
そう言おうと口を開いた。
息を吸って、声をかけようとした。
その瞬間だった。
「――武史?」
お母さんは、覚えていた。
俺のことを、忘れていなかった。
こんなクズに、気付いてくれた。
その時だった。
(……あ、ダメだ)
口が、閉じた。
漏れかけていた声を、無意識に押し殺していた。
声をかけてはいけないと、そう思った。
だって、俺は……これ以上、お母さんを傷つけたくなかったから。
(あんなに酷いことをしたのに……それでも、お母さんは――俺の、母親でいてくれていたんだ)
きっと、話しかけたら笑顔で対応してくれると思う。
俺のことを許してくれるだろう。
お母さんは、そういう人だ。
どんなに傷つけていても、酷いことをしても、謝ったらきっと許してしまうような……そういう、優しくて素敵な人なんだ。
こんな人を、これ以上傷つけたくない。
今、声をかけたら……俺はまた、甘えてしまうだろう。そしてお母さんをまた、苦しめてしまう。
だって俺は、お母さんとは違う、真逆の人間だから。
人に優しくできない、クズ野郎だから。
こんな俺がお母さんのためにできることは……声をかけることなんかじゃない。
黙って、立ち去る。
それが、お母さんのためにできる、最大限の『償い』だ。
「…………」
そう自分に言い聞かせて、俺はお母さんの横を通り過ぎた。
「……気のせい、かしら」
俺が無反応だったからだろう。
お母さんの視線はしばらく俺の背中に向けられていたが、離れてもう一度振り返ると……もういなくなっていた。家に入ったのだろう。
良かった。
気のせいだと、思ってくれたみたいだ。
良かった。
お母さんに、甘えなくて。
良かった。
最後くらい、自分のためじゃなく、お母さんのことを考えてあげられて……本当に、良かった。
「――っ」
そこでついに、視界が歪んだ。
涙が次々と溢れて、前が見えなくなって……俺は、その場に立ちすくんだ。
「ごめんなさい」
言えなかった言葉を、ぽつりとつぶやく。
「傷つけて、ごめんなさい」
許してほしい。
でも、許されることすら、おこがましい。
俺は、お母さんに対してそれだけのことをしてしまっている。
「育ててくれて、ありがとう」
だから、背負おう。
この傷を背負って、罪悪感に苦しみながら、生きていこう。
それが俺にできる、唯一の贖罪だ。
この先、二度と幸せを感じることなんてないかもしれない。
でも、それでいい。
お母さんを不幸にするくらいなら、俺が幸せじゃないことなんて、なんてこともないのだから。
こんなことくらいしか、俺にはできない。
「母親でいてくれてありがとう……お母さん。俺も、大好きでした」
子供のころ、素直にそう言ってあげたかった。
そうしたら、今頃……お母さんの隣にいたのは、巧じゃなくて俺だったかもしれないのに――。
【完】




