その後6 権利
何をしても何も感じなくなったのは、後悔を感じ始めた頃からだった。
自分の過去を忘れたくて、快楽よりも逃避を優先したのは、後悔を忘れたいからだった。
思い出したくなかった。
でも、香里のせいで……我慢できなくなった。
会いたい。
そして、謝りたい。
元気だろうか。
病気にはなっていないだろうか。
一華のことも気になる。
あの子は、どんな人生を歩んでいるのだろうか。
困っていたら、助けてあげたい。
そして二人に、謝りたい。
傷つけたことを。
苦しめたことを。
怖い思いをさせたことを。
裏切ったことを、全部……全部。
許してほしい。
そして、また……家族として、受け入れてほしい。
どんなにお金があっても、手に入らない。
あの温もりを、ずっと求めている。
家族と、一緒にいたい。
その一心で、向かった先は――かつて、俺たちの家があった場所だった。
同窓会は地元だったので、この家ともそこまで離れていない。なので、タクシーで向かえば、そんなに時間はかからなかった。
(……何も建ってないんだな)
タクシーから降りてまず、自分の家があった土地を見てみると……そこは何も建設されていない、更地となっていた。
大学を卒業して、事業を立ち上げる際の資金源としてこの土地は売り払った。
もう別の家が建っていると思ったが、そうでもないらしい。
この場所に来たのは大学を卒業して以来なので、あったはずの家がない光景は、なんだか不思議な感覚だった。
失敗だった……あのお金があったからこそ事業は成功した。でも、売らなければよかったと、今は後悔している。
だって、家族と過ごした思い出の残る、大切な場所だったから。
資金繰り、もう少し考えればよかった……俺なら幾らでも集められたはずだ。俺の能力なら、もっと別の手段を使うこともできたはずなのに。
後悔が、膨らんでいる。
耐えられないほどに、胸が苦しい。
久しぶりの感覚だった。
でも、こんな感覚は不要だ……苦しいだけである。
早く、楽になりたい。
お母さんと、一華に、会いたい。
だから俺は、かつての自宅の隣……巧の家に、足をすすめた。
良かった。ここは、まだ昔のままだ。
お母さんと一華は一時期ここに住んでいた。あれから引っ越しをしただろうが、いつ転出したのか、どこに引っ越したのか、俺は知らない。
だから、聞こう。
もし、この家にまだ巧がいたら……お袋と一華の所在を、教えてもらおう。
頭を下げてでもいい。
金が欲しいのなら、いくらでもくれてやる。
謝罪だって、喜んでする。
……そういえば、俺はあいつを見返すために色々と頑張っていたような気がする。
でも、そんな闘争心はすぐに消えて、いつしか忘れていた。
復讐なんて、時間が経てば忘れてしまうような、くだらない感情だった。
勝ち組とか、負け組とか、そんなものに拘っていた自分が愚かだった。
いくら金があろうと、地位を築こうと、称賛を浴びようと……満たされることなど、永遠にない。上には上がいる。誰かと比較してしまうことに、意味などない。
自分が幸せであるのかどうか。
自分が、満足できているかどうか。
それが一番、大切なことだった。
たぶん、巧はそのことに最初から気付いていた。だからあいつは、勝敗に拘らない人生を選んだのだろう。
俺も、そうすれば良かった。
ありふれた幸せを、ちゃんと噛みしめておけばよかった。
……もう、後悔はしたくない。
プライドなんてとうに折れている。
だから、巧を頼ろうとして……ちょうど、その時だった。
『ガチャッ』
玄関の扉が、開いた。
その瞬間に俺は、電柱の陰に身を隠した。
無意識だった。
まだ心の準備ができてなかったのである。
そして、現れたのは……俺と同世代くらいの、成人男性。
そいつは、間違いなく――巧だった。
少し太っただろうか。ふくよかな体形のあいつは、そのせいか昔よりも更に柔らかい雰囲気を醸し出している。
(住んでる世界が、違う……っ)
俺と同じ人間だとは、思えないくらいに。
巧は、とても穏やかな表情をしていた。
勝ち負けが目まぐるしく入れ替わり、常に誰かが足元を掬いたくて目を光らせている、そういう世界で生きている俺にとって……巧のように無防備な姿をさらしているのは、とても奇妙で……同時に、羨ましく思った。
だから、動けなかった。
こんな俺が、巧みたいな人間に関わる『権利』があるのかと、不安になったのである――。




