その後5 後悔
「最近、よく考えるんだよね。もし、あの時……巧と付き合い続けていたら、今頃どうなってたのかなって」
「……うまくいってたわけねぇだろ。お前みたいな女が、真剣な恋愛なんてできるわけがねぇ」
「あはは。そうだよね……でも、巧は真剣だった。だから、私も逃げずに、真剣に向き合っていれば――」
その言葉は、決して軽くなんてない。
何故なら、すさまじく重たい『後悔』が、宿っていたから。
「――少なくとも、こんな人生を送ることはなかったかもしれないよね。たとえうまくいかずに別れることになったとしても、巧のことを引きずって、あたしはもっと自分を変えられたと思う」
「お前が、変われるのか?」
「うん。だって……今までの人生で、何度も危ない道を進みそうになった。あと一歩進めば、終わりが待っていた。でもその時に、巧の言葉を思い出して立ち止まれた……『何してるんだ!』って、そう言ってくれた唯一の人だから」
あいつの思いは、ほんの少しだけ香里を変えていたらしい。
仕事柄、多くの人間を見てきた。成功する者も、失敗する者も含めて、だ。
そんな俺だから、分かる。
香里は間違いなく、破滅するタイプの人間だったはずだ。
だが、あと一歩のところで踏みとどまれたのは……巧の影響があったから、らしい。
「お礼が、言いたかった。あと、ごめんなさい――って、言いたかったなぁ」
そう呟く香里に、俺は……何も言うことなく、席を立ちあがった。
いや、正確には、何も言えなかった。
(くそっ。思い出させるんじゃねぇよ……!)
ごめんなさい、か。
その一言を、思い出させるなよ。
お前のせいだぞ。
香里……お前のせいで、俺も思い出してしまった。
優しかった、育ての母親のことを。
懐いてくれた、可愛い妹のことを。
忘れようとしていた二人のことを思い出してしまって……俺は、居酒屋を飛び出した――。
――大人になって、年齢を重ねた。
たくさんの経験をした。色々なものを見てきた。多数の人間と関わって、その数だけ他人の『人生』を目の当たりにしてきた。
事業が大きくなるにつれて、かかわる人間も増えて……人を見る目が鍛えられた。
ビジネスは弱肉強食の世界だ。見る目がないと、生き残れない世界だ。
その副産物として、人間の本性を見抜けるようになってしまって……それが原因で、他人に対して失望することが増えた。
人間なんて、クズばっかりだ。
そのほとんどがゴミ同然のクズだ。
もちろん――俺も含めての話である。
だからこそ……分かってしまったことがある。
気づきたくなかった事実が、ある。
それは『育ててくれた母親が、いかに素敵な人間だったのか』ということだった。
あんな人が実在することが、奇跡だった。
優しい人は腐るほどいる。ただ、そのほとんどが利益を目的とした優しさでしかない。
でも、あの人は違った。
自分の利益なんて度外視して、相手の幸せを願うことのできる……特別な人だった。
お袋は……いや、お母さんは、そういう人間だった。
気付かなかったわけじゃない。
あまりにも身近な存在だったから、その希少さを理解できていなかった。
お母さんみたいな人が、当たり前にいるものだと思っていた。
でも、違った。
お母さんみたいな人間と、俺は出会ったことがない。
あんなに優しくて、温かい、善良な人を、俺はあの人以外に知らない。
自分を不幸にした男の子供を引き取って、我が子のように愛することができる人間が、あの人以外にいるわけがない。
……お母さんを、知ってしまっているせいだ。
そのせいで俺は、女性に求める理想が高くなってしまっている。
結婚できないのは、それが原因だ。
俺は無意識のうちに、お母さんみたいな女性を探しているのだ。
それくらい、素敵な人だった。
なのに、俺は……俺は……!
(俺は、最低の人間だ)
もらった愛情に、唾を吐いて。
挙句の果てには、踏みにじって……裏切った。
そのことを俺は、今更ながらに『後悔』していたのである――。




