見つめる視線
ソウルが村へ戻ると、やけに騒がしい、浮ついたような空気を感じた。
いつも静かな、時には距離を置かれて冷たいような気配とは違う。
何かあったのかと警戒しながら近づいていくと、村の入り口付近で辺りを見回していた男がこちらへ向けて大きく手を振った。
「おおい! おおい! ソウル、急げ! お前に貴族が会いに来てる!」
相手の言葉を聞き取って、ソウルは首を傾げた。
貴族?
ソウルに関わりのある貴族は、父が助けた相手しかいない。
5年もたって、今さら何の用だとソウルは不審に思った。
村へ入り、家へ向かう。
村中の人間が通りに出てきて見物でもしているかのようだった。
ざわざわと騒がしい中に、いつもの蔑むような視線がない。
それを奇妙だと思いつつ歩く。
たどり着いた家の前には見事な軍馬が何頭も並んでいた。
ソウルがわずかに身構えて立ち止まると、村人から話しかけられた騎士がこちらへと近づいてくる。
「失礼する。君がソウル・フーセで間違いないか」
「はい」
「わたしはリドルウッド公爵家に仕える騎士だ。我が主人が君の帰りを中で待っている」
「リドルウッド公爵?」
侯爵ではなかったか、と不思議に思いながら騎士について家の中へ入る。
そこには、母と妹たちと義父、そして身なりの立派な人物がテーブルにつき、壁際には騎士が立って彼を待っていた。
「やあ、はじめまして、だね。君がソウルかい?」
家族とともに座って話をしていた男が立ち上がり、ソウルのそばへやってきて右手を差し出した。
「はい。あなたは……」
「レノス・リドルウッド。5年前、君の父に命を助けられた男だ。礼を言うのが遅くなってしまい申し訳ない。戦のあと、色々あって本国に戻らなければいけなくなってね……。君の父、ダイナのおかげでぼくは無事、家を継ぐ事ができた。皇帝の娘を妻にもらい、公爵にまでなった。これもみな、あのとき君の父親に助けてもらったからだ。彼はまさしく英雄だった。本当に感謝している」
言いながら、レノスはソウルの手を取って強く握った。
この男がこれだけ真摯な態度を心からとる事は滅多にないことなのだが、ソウルにはそれは分からない。
ただ、父が彼のために死んでしまったという事実を複雑な思いで受け止めた。
「ダイナの家族が暮らしに困らないよう、ソーリャにいる友人に頼んでいたのだが、街を出てしまったと聞いて心配していたんだ。あれから5年も経ってしまったが、何か困ったことや苦しいことなどはないだろうか」
レノスのその言葉に、ソウルは母のほうを見た。
イレイナは赤ん坊を胸に抱いて、あやすように揺すりながら小さく笑った。
母はこの5年でずいぶん落ち着いた。
出産に子育て、神殿の仕事に再婚、支えてくれる仲間を得て3人目の子どもを授かり、無事出産……。
その間、一度たりとて生活に困る事がなかったという事実が、彼女を穏やかにしていた。
どんな事があっても必ず帝国とソーリャが味方になると、そう告げられていなければ、彼女とて初めての地で不安に苛まれていただろう。
だが、季節ごとに必ずやってくるソーリャからの使者と届けられる金銭や物資は、間違いなく彼女と彼女の子どもたちを助けた。
それらは、愛する夫が命をかけて彼女たちに残してくれたものなのだ。
そう思えるくらいには、彼女は悲しみから立ち直ることを選択できていた。
ソウルは、全てを呑み込んだ。
不満が無いわけではない。
だが、村人たちの嫉妬や陰口も、今日で鳴りを潜めるだろう。
ならば、と全てを無かったこととした。
彼も、家族も、これから先この村でやっていかなければならないのだ。
ソウルが首を振ると、レノスは微笑んで彼を外へと誘った。
その目は決して笑ってはいない。
家の外には多くの村人が集まっている。
レノスは自分が乗ってきた軍馬の前に立つと、その首を撫でた。
そしてよく通る声で宣言するように言う。
「これはぼくの馬だ。まだ若いが、公爵家の厩舎で生まれて、ともに戦場を駆けられるようにと育てられた。ソウル、君にこの馬をあげよう。それから剣も用意した。君がお父上のようになりたいと、今も剣を振っているとソーリャの都市王から聞いている。将来が楽しみだと、きっと君の父のダイナのように素晴らしい人物になるだろうとも」
従者が剣を両手にに捧げ持つようにして近寄ってきた。
「そしてこの剣も。宝剣のように豪華ではないが、良く鍛えられた名剣だ。英雄の子である君に相応しい。受け取ってくれ。そしてもし、君がいつか騎士になりたいと思ったなら、ぜひ我がリドルウッド公爵家を訪ねてきてくれたまえ。騎士になる道は甘いものではない。従者から始めなければならないが、我が公爵家の騎士団は君を素晴らしい騎士へと必ず育て上げてくれるだろう」
周囲から感じる視線。
そこに込められた様々な感情。
ソウルに向けられたそれは、この日からただの嫉妬ではなくなった。
間違いのない羨望の眼差しとなったのだ。
周りを囲む顔の中に、ソウルは我知らず探した。
変わってしまったのではないかと怯えながら。
そして見つけた向かいの家の屋根に、彼らはいた。
誇らしげな、得意げな、満面の笑顔。
トゥインと、リェラが彼を見て笑っていた。
底抜けの明るさと、後ろ暗さなど一切ない感情で。
ソウルは胸がいっぱいになって泣きたくなった。
いつも、心のどこかで距離を置こうと身構えていた。
信じたらあとが辛いとそう思っていた。
でもそれは間違いだった。
一緒に喜んでくれる、ずっと信じてくれていた彼らに、胸が熱くなった。
「ありがとう……ありがとうございます……」
今日手にした、手にしていたことを知った多くのものに、ソウルは声を震わせながら礼を言った。




