それは奇跡のようで
その日、朝から人々は神殿の広場に集まって祈りを捧げた。
セレフィアムも朝から身を清め、人々とともに祈り続けている。
ここしばらく母の姿を見ていないが、きっと結界の拡張で忙しいのだろうと気にしていなかった。
寂しいとか、悲しいとか、そんな個人的な感情よりも聖女としての務めが優先される。
記憶にあるよりはるか前に誰かからそう教えられたのか、セレフィアムにとってはそれが当たり前だった。
そうでなければならず、そうでないことなどあり得ない。
だから、もうずっと姿も見えず話しかけられることもない状況を、おかしいとも考えなかった。
都市を覆う結界が震える。
人々は祈り続ける。
祈りは力になっているのか、人々にはわからない。
それだけ、わずかな、ささやかな力を祈りと一緒に吸われているから。
1人1人から少しずつ分けてもらった力で、聖女アナスタシアは神殿の聖女の間に繋がる機械を調整し、動かす。
その祈りは決して無駄ではないが、神殿の一部の者以外、誰もその事を知らない。
議会の人間であってさえも。
結界が震える。
普段は半透明な、不確かな結界が、強く光っている。
その表面には文字のような、模様のような不思議な何かが浮かび上がった。
人々はそれを呆然と見上げた。
多くの者の目にはそれは確かに奇跡。
しかし神殿の神官や技術者には、奇跡などよりずっと確かなシステムであった。
結界がゆっくりと広がり出した。
今回は住む場所だけでなく農地も必要となるため、これまでの結界の端から3キロ先へと広げることになっている。
避難民たちも広場へやって来て祈っていた。
聖女ターニャ・ソーリャを信仰の要とするこの街の神殿の教義は、通称聖女教。
ほかの街や村ではまずお目にかかれない宗教だ。
それは、この宗教がソーリャの街独特のものであるからだった。
ソーリャの民は、皆すべからく聖女教の信者である。
聖女教という呼び名も、彼ら自身は入信しているという意識はないため、他称だ。
都市の住人となるさい特定の信仰は捨てることになるが、入信はしない。
神殿はあれど、明確に宗教という形態をとっていないのだ。
街に以前から住む人々は、結界が広がる様を目の当たりにして、神殿への、そして聖女への思いを新たにする。
新しく住人となった人々は、その光景を見て、ソーリャの聖女の力を確信し、信仰した。
ソーリャは、多くの人々をその懐に抱え、その心までも手に入れることに成功したのだった。
今日も少年は午前中に狩をし、午後は夕方近くまでいつもの岩の上で何か作業をしている。
安全で快適な都市監視室のモニターの前で、男はコーヒーを飲みながらため息をついた。
「今日も動かねえなあ」
「動きませんねえ」
同様にため息をついて返したのは彼の部下だ。
「ですが、昨日、結界の拡張が終わったので、今日にも動きがあるのではと、気をつけるよう指示がきてますし」
「でももう16時だ。あの流民のガキもそろそろ帰るだろう。全くつまんねえ仕事だよ」
「元、ですよ」
「元でも何でも流民は流民だ。どうせすぐにいなくなる」
議会から、要注意人物として監視の指示がきたのは、元流民の少年だ。
その1日の行動を監視して、もしも不審な動きがあれば近くに待機している兵に連絡を入れるように、と言われている。
こんな子ども相手に兵まで動かすなんて、おかしな話だ。
それで待機を命じられている兵も、こうして監視をするハメになっている自分たちも、まさにご苦労様なことである。
男はタバコを吸いに行こうと椅子から立ち上がりかけた。
そこへ部下が声を上げる。
「誰か来ました!」
こんな時に、と男はつい舌打ちをしそうになった。
どうせまたテント村の知り合いとか、狩の仲間とかそういう奴だろう、と、上げかけた腰を下ろす。
しかし。愕然とした表情で部下が言った。
「係長、あれ……」
「ああ。音声を出せ。録画もだ」
「はい!」
きっと今、自分も部下と同じ顔をしているだろう。
そこには、大きく手を振る少年と、その少年に向けて走ってくる金色の髪の少女がいた。
その少女の顔を、監視室の2人は知っている。
あれは、聖女セレフィアムに間違いなかった。




