20.想いはいつか風化する
「ラスカ。耳を塞いでいるといい」
「迂回してくれ」
「馬車に残って」
調査場所に向かう道中、何度かバッカスが焦ることがあった。
一度目は何かあったのか、と疑問を持つ。
二度目はあれ、と気付く。
そして三度目には確信へと変わった。
「バッカス様」
「今日はもう切り上げるか」
「バッカス様! 落ち着いてください」
「イー、じゃないラスカ。何を怒っているんだ?」
「さきほどからリガロ様の名前が聞こえる度に焦りすぎです」
「い、いや俺はリガロ様のことなんてちっとも気にしては……」
「では何を気にしていらっしゃるのですか?」
「それは……」
わかりやすいほどに戸惑っている。キースもだが、バッカスもなかなか隠し事が下手だ。学生時代はイーディスが踏み込もうとしなかったから秘密が隠されていただけなのだろう。
「今度からアンクレットさんについていこうかな」
この前のアンクレットの言葉を参考にしてみた。はぁ……とわざとらしいため息を吐いてみせたのはイーディスのアレンジである。するとますます慌てて、あわあわと身体の前で手を動かし始めた。あともう一押しといったところか。彼がイーディスを妹のように思っているのをいいことに「隠し事をされるのはあんまり気分がよくないです」と頬を膨らましてそっぽを向く。やりすぎたかなと横目でバッカスを確認すれば顔には絶望の表情が広がっていた。
「ごめん。もっと上手く隠せれば良かった……」
「そこじゃない!」
「え、じゃあどこ?」
「なぜリガロ様の話から私を遠ざけようとするんですか?」
話を振らないようにするとか、リガロ関係の物をイーディスの目に入らないように遠ざけるくらいならまだ分かる。けれど馬車の外からかすかに聞こえる噂話まで避けるのは異常だ。イーディスとてバッカスが過剰に反応しなければ外の声に耳をすませることもなかった。「一体何を恐れているんですか?」と続ければ、彼はシュンと身体を縮めた。
「リガロ様の話を聞けば、イーディス嬢が気に病むかなと思ったんだ」
『気にする』ではなく『気に病む』か。イーディスがカルドレッドの外に出ることを嫌がったのもこれが理由なのだろう。アンクレットがいっていた『過保護』は彼のことか。なるほど、と頷いてどうしたものかと頬を掻く。リガロに関心などないと嘘を吐いても無駄だろう。余計に心配させるだけだ。かといって、リガロが剣聖という役目を担っている以上、この先ずっと彼の話題を避け続けることは難しい。雑誌を買っただけでも彼の記事に遭遇するのだ。それこそカルドレッドに引きこもっていない限り、情報を遮断することは無理だ。ふーっと長い息を吐けば、バッカスの身体がビクンと跳ねる。先ほど大きな声を出したせいですっかり怯えられている。どう、言い訳したものか。馬車の天井を見上げ、迷った挙げ句、素直に打ち明けることにした。
「リガロ様のことはまぁ気になりますけど、彼が他人になったことを理解して受け入れています」
「それでも、感情が消える訳じゃない」
「なかったことにはならなくても、いつか風化します」
「……っ」
バッカスは優しい人だ。優しすぎるくらい。悲痛に歪んでいるだろう彼の顔を見ることは出来ず、イーディスは窓の外を眺める。夕暮れ色に染まる小麦畑は輝いて見える。もうすぐ収穫シーズンに入る。季節は人の感情とは関係なく巡っていくのだ。
「バッカス様を見かけませんでしたか?」
「見てないな。今日も研究室に篭もっているんじゃないか?」
「そう、ですか」
「あいつの場合、数日見ないなんてよくあることだし、水も食料もストックしてあるだろ。気にすることないって。見かけたらイーディスが探していたって伝えとくよ」
「……ありがとうございます」
馬車を降りたバッカスが荷物一式を手に、無言で立ち去ったのはもう十日も前のこと。
イーディスのせいで変な空気になってしまったから仕方ないと追うことはしなかった。また日を改めて少しずつ解消していければ。そう、思っていた。けれど彼は給料日にさえも現れなかった。
今日も食堂で何人かにバッカスを見ていないかと聞いたが、答えはいつも通り。急ぎの用事があるなら研究室に行ってみれば? と言ってくれる人もいたが、これ以上迷惑はかけたくない。とはいえ日数が空けば空くほど気まずさは増していく。だからこうして頻繁に彼が来ていないか伺うことにしたのである。
「また夜に来てみるか」
そう呟いて、イーディスは午後の務めに向かうことにした。
昨日まではバッカスがアンクレットに提出していたイーディスの魔量の変化を元に検査続きだった。だが今日からはそのデータ変化を元に、魔道書の能力にも変化がないか調べるらしい。この結果次第ではイーディスの外出回数や行き先が増えるとのことだ。ギルバート領はもちろん、経過次第ではシンドレアにだって行けるかもしれない。イーディスはぎゅっと拳を握りしめて研究員達が待つドアを叩いた。




